第10話 仲良くしてあげて

 学校に着くと、校舎の前で待っていたのは俺達のクラスの若い女性担任だった。目当ては浅桜あさくらちえりだったらしく、隣に俺がいるのを見ると「あら?」という顔になっている。


「浅桜さん、宮島君、おはよう」


 当たり前なんだろうけど、入学早々休んでいた陰キャ女子のことも、二日前に転入したばかりの俺のことも、しっかり名前と顔をセットで認識してくれている……。

 俺が小さな感動を覚えながら「おはようございます」と返す隣で、ちえりもお得意の「あっ……」に続いてなんとか同じフレーズを絞り出せていた。先生の目なんて全く見られていないことは、この際見逃してやってほしい。


「今日から登校できるってお母さんから連絡頂いて、先生嬉しかったのよ。元気そうで安心したけど、でもまだ病み上がりなんだから無理はしないでね」

「……あっ、すすすみません……」


 思いもよらず温かい言葉をかけられて混乱したのか、病み上がりならぬ死に上がり女子は「きょっ恐縮です……」とかよくわからない言葉をモゴモゴと繰り返している。

 担任はニコニコとアルカイック・スマイルを浮かべていたが、俺達が校舎に入ろうとするところで、そっと俺だけを呼び止めて。


「宮島君は、浅桜さんと仲いいの?」


 小声になって聞いてくるので、俺まで「へっ?」と変な声が出てしまった。

 頭上にハテナマークを浮かべてこちらを振り向いているちえりを見やりながら、とりあえず返答。


「まあ、悪くはないです」

「よかった。せっかく席も隣になったんだし、仲良くしてあげてね」


 そういえば、長期欠席者と新入りで仲良く一番後ろの席だったな……と思い出したところで、担任は一層声をひそめて。


「浅桜さん、ちょっと友達作りが苦手な子なのかなって、入院前の一週間を見て思ってたから……」


 先生、そこは「ちょっと」じゃないと思いますけど……。


「気にかけてあげてくれると、先生嬉しいな」

「……善処します」


 軽く一礼して、俺は所在なげなちえりの背中に追いつく。

 普通は転校生の俺の方が気にかけてもらう側なんじゃ?と思わないでもないが、それだけ浅桜ちえりのボッチぶりは教師から見ても規格外ってことなのか……。

 とりあえず、俺達の担任が案外――というと失礼だけど、生徒をちゃんと見てくれている先生なのが分かったのは、一つの収穫かもしれなかった。



***



「えー先週も言ったように、この用法は古文特有のもので、今の日本語とは全然違う意味になるんですねぇ。じゃあ次の文を、後ろの小山君……」


 四時間目の古文の授業。いかにも眠気を誘う波長をした男性教師の声と、当てられた生徒による現代語訳の読み上げが交互に繰り返されている。どうやら、教科書の本文を宿題で訳させ、日付に応じた席の生徒から順に一文ずつ読ませていくスタイルらしい。


(……それで、コイツは何やってんの?)


 隣の浅桜ちえりはといえば、何やら机の並びをシャーペンで指して数えては、教科書に顔を近づけてアワアワしている。

 やがて、じっと見ている俺の視線に気付いたのか、重たい前髪越しにこちらを見て、助けを求めるように指先をくいくい動かしてくる始末。テレパシー能力なんかなくても心の声が伝わってくるようだった。


(このままだと当てられるけど、予習も何もしてないから困った、って顔か……)


 やれやれと心の中で呟いて、俺は自分のノートの余白に「どこ?」と書いて見せてやった。

 ちえりの瞳にパァっと明るい色が差した……かどうかは前髪に隠れているので知らないが、彼女はぎこちない動きで教科書をこちらに向け、わらにすがるような雰囲気で、傍線を引いた一文を見せてくる。俺は無言で了解の頷きを返し、自分の教科書のその箇所に目を落とした。


(ふむふむ……?)


 何を隠そう、古文は俺の数少ない得意科目なのだ。古文書こもんじょの読解やら何やらは霊能業界の必須スキルだというので、師匠に随分厳しく仕込まれたものだから。

 なんとなくの現代語訳をノートの端に書き、先生にバレないようにちぎって渡してやると、ちえりはコクコクと頷いて小さく合掌がっしょうしてきた。いや、このくらいで神様仏様扱いされても。

 それにしても、勉強はイマイチとか言ってたけど、案外マジメに授業に参加する気はあるんだな……。それこそ、病み上がりなんだから、当てられても「分かりません」で通るだろうに。


「はい、じゃあ次は――」


 いよいよくだんの文に差し掛かり、ちえりがビクっと身構える。

 しかし、男性教師が座席表を見ながら発したのは、ある意味では絶望的な一言だった。


「浅桜さん……は今日は飛ばして、次の列の佐々木さん」

「!?」

 

 声にならない「ガーン」という叫びが俺の耳には聞こえた気がした。先生と、飛ばして当てられた生徒と、教科書と、ついでに俺を交互に見て、ちえりは口をパクパクさせている。


(いや、今のはどう見ても、半月ぶりに来たばかりのお前に配慮してくれたんだと思うぞ……?)


 なんて、授業中に伝えるわけにもいかず、せめてもの和ませとして小さく肩をすくめてやることしか出来ない俺だった。



***



 授業終わって昼休み。案の定、ちえりは先程の件を引きずって机に突っ伏していた。

 俺が「生きてるか?」と声を掛けると、お決まりの「ふふっ……」という自虐笑いに続いて、


「きょ、教師という職業の人だけは、生徒に平等だと思ってたのに……」


 チラリとも顔を上げようとせず、呪詛じゅそ同然の声を発している。


「ふふふふっ……たっ体育の授業でペア作る時でも……先生だけは相手にしてくれたのに……。あっ、こっこれが義務教育とは違う、高等学校の洗礼……?」

「違う違う」


 ダメだこれ、完全にネガティブ領域ゾーンに入っちまってる……。衆人環視の前で生霊いきりょうになんかなられたらシャレになんないぞ。


「あっ、わっ私は所詮、授業に参加する価値すらない存在……。あっふふっ、名簿に名前はあっても実態はない、文字通りの幽霊生徒とは私のことです……。や、やっぱり死んどいた方がよかったですかね……」

「いや、あれはどう見ても先生の優しさだろ!?」


 ついつい突っ込みもヒートアップしてしまったところで、周りの生徒達がクスクスと笑いながら俺達を見ているのに気付いた。


「キミら何、夫婦めおと漫才?」

「浅桜さんってそんな面白い子だったんだ」

「あっひぃ!」


 最後のは、周囲の注目に気付いて震え上がった面白い子の声である。

 女子の一人に「大丈夫~?」と優しい声で聞かれ、「あっははははい」と壊れたレコードのようにスクラッチしているちえり。別の陽キャが俺に尋ねてくる。


「えっ何、宮島君は転校してくる前から知り合いだったとか?」

「いや、俺も昨日初めて喋ったんだけど……」


 なんだかんだで、「ウソも方便」の教えを守りきれない俺だった。


「それでその名コンビぶりはやべーって」

「前世からの縁とかじゃねー?」


 参ったな、学校では目立たず騒がずで済ませるつもりだったのに、思った以上に皆の注目を集めてしまってる……。スローライフ系主人公かな……?

 というか、俺はいつまでこの学校にいればいいんだっけ? ヘタしたら普通に卒業までここで過ごすことになるのなら、そのつもりで腹をくくってクラスメイト達と打ち解けるよう努力するべきなのか……?


「ってか、二人もクラスLINE入ってよー」


 陽キャ女子のなんでもない誘いに、幽霊上がりは「ふぇっ!?」と変な声を出して上体をのけぞらせた。


「あっらららららラインは壊れました……」

「いや、せっかく誘ってくれてるのにそれは良くないだろ」


 なんかもう、突っ込みというか普通の注意をしてしまう俺。

 おかしいな、比較対象がコイツだと俺がまるで常識人みたいだ……。元を正せば、俺もあまり人と関わらない陰キャだったはずなのに……。

 ひとまず、有難いお誘いに応じて俺がIDの交換を済ませたところで、教室の入口の方からまた別の声がした。


「宮島くーん、それと浅桜さーん、ちょっといいー?」


 見れば、廊下には、見覚えのある隣のクラスの陽キャ女子達。その中心でキラキラした笑顔を浮かべて俺達を手招きしているのはもちろん、俺にこの浅桜ちえりの入院の話を教えてくれた四月一日わたぬきさんに他ならなかった。

 ……陽キャの元締めの登場だ、心してかかれよ?



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