第7話 名前を聞いて

 世界を染める夕焼けが、屋上のへりにしゃがみ込んだ幽霊少女の透けた体と溶け合っている。俺は転落防止のフェンスに背中を預け、彼女の華奢な姿を見下ろしていた。

 無事に成仏してくれるとしても、未練を晴らせず悪霊になってしまうとしても、コイツとはあと少しの付き合いか――。


「そーいう普通の青春ってのがさ、案外簡単には手に入らないものなんだよな。大体、俺だってカノジョなんかいねーのに、ゼータクだよ」


 少しでも気持ちを和ませてやろうと思って俺が言うと、幽霊は俺の袖口を下からクイっと引いて――いや、引こうとしてすり抜けて。


「あっ、わっ私がいるじゃないですか……」


 遠くの夕焼けを見やったままそんなことを言ってくるので、思わずふっと笑いが漏れてしまった。


「そーだな」


 今日一日、コイツが消えるまでは仮初めの恋人同士。その時間も、あの夕日が沈み切るまでには終わってしまうだろうけど。

 その事実を噛みしめると、顔も名前も知らないこの幽霊との別れが、少しばかり名残なごり惜しいようにも思えてきた。


「お前って、実は結構面白いヤツだったのかもな」

「あっ……ふふっ、そっそうですかね……」

「生きてる内に、誰かがお前の魅力に気付いてやれればよかったのに」


 それが今さら何の意味もない励ましであることを。何もかも死んでからではもう遅いということを、霊能者おれたちは誰よりよく知っている。

 だったらせめて、コイツには綺麗に成仏してほしいと思った。最後に一時ひとときだけでも未練を忘れて、出来ることなら笑顔になって。


「あっ……わ、私……」


 そんな俺の気持ちが伝わったのかどうかは知らないが、幽霊は視線を伏せたまま、ぽつりと語り始めた。


「べっ、別に、陽キャとかリア充が嫌いなわけじゃなくて……。ほ、本当は憧れてたんです……わっ私もクラスの人気者になりたいなって……。あっ、でも、私っ、人の目見て話せないし、勉強も運動もイマイチだし……。し、小学校からやってたピアノくらいしか、取り柄なくて……」

「なら、ピアニストでも目指せばよかったじゃん」


 ほんの相槌のつもりで俺が言うと、彼女はふるふると首を振った。


「ふふっ……ぴっピアノの世界なんて、もっと小さい頃から英才教育受けてきた人ばっかりで……。わっ私程度の腕じゃ、はっ箸にも棒にもっていうか……」

「へえ……そういうもんなのか」

「あっ、だ、だからって……学校の先生とかレッスンプロとか……わっ私の性格じゃ、なれるわけないですし……」


 それはそうだろうな、とは言わないでおくが。


「案外マジメに進路について考えてたんだな」

「あっ……ま、真面目に悲観してたんです……」


 コイツらしい表現に俺は笑い、それからふと思いついたことを言ってみた。


「でも、なんか、今は動画配信とかあるじゃん。俺の知り合いも変な心霊チャンネルやってんだけどさ」

「あっ……ようつべ……?」

「よく知らないけど、『ピアノで弾いてみた』とか動画上げてる人もいっぱい居るんだろ? そーいうのやればよかったじゃん。動画が伸びたらカネにもなるらしいし」

「あっ……そっそうですね……。わっ私がそっち側に回るなんて、か、考えたこともなかったですけど……」


 口元しか見えない幽霊の顔に、心なしかニヤついた笑みが浮かんだように思えた。

 しかし、すぐに小さく首を振って、彼女は切ない声に戻って言う。


「……でも、もう死んじゃったから出来ないんですよね……。ふふっ、ざっ残念だな……せっかく楽しそうなことが見つかったのに……」

「諦めんのは早いって。冥界と繋がる電話とか、呪いのビデオテープなんてのが昔からあるくらいだし、今時はあの世からでも動画投稿できるんじゃね」


 そんな話聞いたこともないけど、コイツを励ませるなら何でもよかった。「ウソも方便」は師匠の口癖でもあるし。

 すると、師匠のありがたい教えが効いたのか、幽霊少女は僅かに首の角度を上げて、まっすぐ夕焼けを見やりながら。


「あっ、ふふっ……な、なんだか、あの世に行くのが楽しみになってきました……。あ、あっちで『弾いてみた』で有名になったら……ふふふふ、霊界コンサートからも出演依頼が来ちゃったりして……」

「うん……?」


 出たよ、霊界コンサート。死後の世界の想像図なんて人それぞれなのに、どういうわけか皆、その行事のイメージだけは共通してるんだよな。鬼籍に入った有名歌手とかを招いて開催されるやつ。


「ふふっ、そ、それで霊界コンサートの常連になって……昭和平成の大スター達とも共演して……ふふふっ、アメリカの天国からもお呼びが掛かったりして……!」

「お前ってムダに想像力旺盛おうせいだよな」

「あっ……よっよく親とかに言われます、妄想のストッパーが効かないって……」


 ふふっ、と笑うその口元には、先程までの自嘲めいた卑屈さはなく。

 

(……なんだ、案外可愛い所もあるんじゃん)


 なんて思ってしまった時には、彼女の全身は金色の光に溶けて消えかけていた。


「あっ……こ、今度こそ、お別れですね……」


 手をついて立ち上がった幽霊少女の声には、もう未練の色はにじんでいない。


(あの世行きを楽しみに思えたから……未練が消えたのか)


 霊界コンサートでチヤホヤされる妄想なんかでいいのかよ、と突っ込みたい気持ちがないでもないが、成仏の切っ掛けなんてひとそれぞれだしな……。


「……あっ、ありがとうございます……おかげさまで……ひっ人様に迷惑をかけずにけそうです……」

「ああ、よかったな」


 最後までよくわからないヤツだったけど、時間にして二十分にも満たない俺との会話で、そんな彼女の心残りを癒してやることが出来たのが誇らしかった。


「……最後に、素顔くらい見せてけよ」


 ダメ元で言ってみると、一日限りの恋人は、照れるように口元を緩ませて。


「あっ、ほっほんとは恥ずかしいですけど……い、一瞬だけですよ……」


 俺には触れることのできない前髪を、細い手でかき上げて――


「――は!?」


 前髪の下から現れたのは、陰キャ全開のよどみオーラからは想像もつかない、ぱっちりと可愛らしい瞳。

 涙に濡れたその双眸そうぼうに、文字通り一瞬だけ俺の驚く顔を映して。

 恥ずかしがってすぐにまぶたを閉じてしまった、その端正な顔立ちは――。


「え、待って、!? なんで!?」


 仰天して声を上げる俺の前で、消えかかった幽霊の体がビクっと震えた。


「あっえっ……病院って何の話ですか……」

「双子の姉妹とかいる!?」

「えっ、いっ居ませんけど……」


 薄目を開けて小動物のように震えるその容姿は、消える間際にまでコミュ障全開のその仕草を別にすれば、だった。


「お前、名前はっ!?」


 理解が追いつかない頭で尋ねると、彼女はハッと目を見開いて。


「ふふっ……やっと名前聞いてくれましたね、嬉しい……」


 真白い手をぎこちなく顔の横で振って、


です……来世でまた会えたら……なっ仲良くしてくださいね……」


 そこだけ切り取ったら感動青春映画のラストシーンみたいな雰囲気で、すぅっ……と風に溶けて消えていった。最後に目一杯の笑顔を残して。


 ――は!? アイツが浅桜あさくらちえり!? どういうこと!?


 現世に一人残された俺が、宇宙に放り出された猫のような心持ちでポカンとしていると……。

 数分後か数十分後か、薄闇が辺りを包み始める頃になって、ポケットのスマホがうるさく震えてあね弟子でしからの着信を告げた。


「はい?」

『イッツー聞いて聞いて、いいニュースと悪いニュースがあるんだけどっ!』


 スマホの振動に負けず劣らず、こっちのテンションお構いなしに響く鈴鳴りんなさんの声。


「はあ、大統領選挙かなんかですか?」

『ちえりちゃん、目を覚ましたよ!』


 予想外のような、そうでもないような姉弟子のセリフに、俺は目を二度ほどしばたかせる。

 音楽室への突入にあたり、霊障の被害者らしき少女に何か起きてもいいように、鈴鳴さんには病室に張り付いてもらっていたのだけど……そんなことより。


『ついさっき起きたの。あたしもチラッと霊視しただけだけど、完全に魂が戻ってる! もちろんこれがいいニュース!』


 姉弟子の弾むような声を聞いた瞬間、悪寒とも感動ともつかない妙な鳥肌と共に、自分の中で音を立ててパズルが繋がっていくのを感じた。

 まさか、アイツ、本当は死んでなくて……。霊障の被害者だと思っていた浅桜ちえりってのは、自覚もないまま生霊いきりょうになっていた本人のことで……。


『それで悪い方のニュースはねー、あの可愛さだから当たり前って言えば当たり前なんだけど、ちえりちゃん、やっぱり彼氏いるみたい。目が覚めてすぐ、「恋人になってくれたあの人に会いに行かなきゃ……」とか言い出して、今、親とか看護師さんに止められてるとこ』


 今度こそ、悪寒としか言えない感覚が、さぁっと俺の背筋を撫ぜた。


『残念だったねイッツー。ってか聞いてる?』

「あー……多分、その彼氏って俺ですわ……」

『霊障でおかしくなっちゃった?』

「いや、話せば長くなるんですけどね」

『じゃあいいや。また後でねー』


 余韻もヘッタクレもなく通話を切る鈴鳴さんと、夜のとばりが下りた屋上に呆然と立ち尽くす俺。

 ……とりあえず、思考を整理する時間をくれません?

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