第8話 日常の始まり

「ナルホドな。要するに、眠り姫はお前の愛で目を覚ましたってワケだ」


 薄暗いライトアップに照らされた心霊カフェのカウンター内。座布団の上にちょこんと丸まった真央まお師匠は、俺の報告を聞くやいなや、トラ猫の姿でもわかるニヤけづらで俺をからかうのだった。


「今の話のどこにそんなメルヘンな要素があったんですか? ていうか師匠、まさか最初から全部知ってて俺に行かせたんじゃないでしょうね」

「バカ言え。私は浅桜あさくらちえりの霊体も本体も見てないんだ。それに、仮に見てても、私でも気付けたかどうか……」


 師匠ほどの人がそこまで言う意味は、俺にも分からないでもない。

 いわゆる普通の幽体離脱なら、持続時間はせいぜいレム睡眠一回分ほど。他の霊に引っ張られたわけでもなく、自覚もないまま生霊いきりょうになって半月も体から抜けっぱなしなんて、源氏物語の時代ですら聞いたことがないからだ。


「まあでも、行けばカノジョが出来るかもって言ったのは当たったじゃん。私の霊感もまだまだ捨てたもんじゃないな」

「中身があんなキャラじゃなかったら、そりゃ俺も諸手もろてを挙げて喜んだでしょーけど」


 声をひそめて猫と対話していると、給仕きゅうじ用の冥土メイドエプロンを身につけた鈴鳴りんなさんが、カウンター越しにひょこっと身を乗り出して言ってきた。もちろん、彼女も全ての事情はもう承知済みである。


「ねー、報告終わったならイッツーも手伝ってよ。今日はトモも居ないんだしー」

「勘弁してくださいよ。今日の俺は心身ともにクタクタなんです」

「もー、あたしだって病院から戻ってすぐ働いてるんだよ? 今夜はお客さん多いんだからねー」


 頬を膨らませるあね弟子でしと、「すぐ行かせるから」と告げる師匠。そこには俺の自由意志など存在しなかった。

 そりゃまあ、今夜の客の入りを見て、俺だって全く手伝わなくていいとは最初から思ってないけどさ……。


「ちゃんと時給付けてくださいよ?」


 雇い主(の魂が入った猫)をニラみながら、俺が流し台で手洗いを始めたところで、


「とりあえず、霊能協会への報告書には、『宮島いつきが彼氏として面倒を見る』……とでも書いておくかな」


 当の師匠は、面白いオモチャを見つけでもしたような声でそんなことを言うのだった。


「いや、師匠……」

「それは冗談としてもな。その子と同じクラスになったんだろ? 面倒見るにはちょうどいいじゃん」

「イヤイヤ、そんなこと言ったって、どうせまたすぐ転校でしょ?」


 今回の案件一つのために転校させられたくらいだから、また別の事件があればあっさり別の学校に行かされるに決まってる……。

 と思っていたら、師匠は意外にも、猫のひたいにマジなシワを寄せて。


「そんなわけに行かないだろ。陰キャ思考が行き過ぎて勝手に体から魂が抜けちまうような子だぞ? 放っといたらまた何のショックで死にかけるか……」

「えぇ……?」

「それこそ、彼氏になってくれたはずの男が自分を捨てて逃げたって思ったら、今度こそとんでもない悪霊になっちまうかもしれんぞ」

「それは困りますけど……」


 なんだかもう、この時点でこの話の終着点が見えたような気がした。俺がそれを決して断れないことも。


「ん?」


 そのとき、傍らに置いていたスマホに電話の着信。画面には知らない携帯番号が表示されている。


(まさか……)


 アルコールで消毒したばかりの手で、俺が恐る恐るスマホを耳に当てると、


『あっ……わっ、私、チェリーさん……。いっ、今……カフェの手前の交差点にいるの……』

「ひいっ!?」


 人違いであるはずもない声と口調。ていうか、なんで俺の電話番号を知って……!?


「あたしが親御さんとライン交換して、なんやかんやあってイッツーの番号も教えたの」


 俺の疑問に答えたのは、再びカウンター越しに顔を出した鈴鳴さんだった。


「へぇ!? 俺のプライバシーは!?」

「プライバシー君なら、イッツーの体から抜けて浮遊霊になってたよー」

「なんにも面白いこと言えてないですけど!?」


 店内のお客さん達の視線を感じて、俺は慌てて口元を押さえる。

 その間も、耳に当てたスマホからは、あの幽霊少女――もとい病室で生きていた陰キャ美少女の声が、マイペースに響いてくるのだった。


『ふふっ……わっ、私チェリーさん……。今……カフェの前にいるの……』

「近付いてる!?」

『あっ……でも……ひっ人が苦手だから、中に入れないの……』


 スマホを握る手がカタカタと震えている。……お、落ち着け、メリーさんタイプの浮遊霊への対処法は……!?


「だ、誰か霊能者は!?」

「お前だお前。ホラ、行ってやれよ、カ・レ・シ」


 前足でカフェの入口を指す師匠。完全に楽しんでやがる……猫の手に頼ろうとしたのが間違いか。

 やむなくカウンターから出た俺は、最後の望みとばかりに鈴鳴さんに目をやってみるが。


「まー、あたしというキュートな幼馴染がありながらー、出会ったばっかの子と付き合っちゃうのは感心しないけどー」

「だから何なんですかそれ!」

「それはそれとして、あの子のことは守ってあげなきゃいけないでしょ?」


 姉弟子に背中を押される(物理)がままに、入口の扉を開けた先には、


「あっ……」


 いかにもメリーさんタイプの幽霊が着ていそうな白いワンピースに身を包み、例によって重たそうな前髪で目元を隠したまま、胸の前で両手をもじもじさせて猫背気味に立っているの姿。

 ある時は眠れる美少女、ある時は放課後の幽霊少女、してその実態は陰キャコミュ障の浅桜ちえりなのだった。


「あっ、どっどうですか……? ふふっ、電話する相手が出来たらやりたいと思って温めてた……わっ私の渾身のチェリーさんネタ……」


 生きた姿で会って最初に言うことがそれか……。別に何を期待したワケでもないけど……。


「あぁ、うん……。とりあえず、俺以外にはやらねー方がいいぞ」

「あっ、心配しなくても……ふふっ、他に相手いないですけどね……」


 相変わらずのうつむき姿勢と前髪で目元は見えないが、それでも頑張って視線を上げようとしているのは伝わってくる。それに、コイツなりに俺との再会を喜んでいそうな雰囲気も。

 まあ、師匠に言われるまでもなく、そんなコイツを無下むげに突き放せるかと言うと……。


「あっ……あの……。わ、私、なんかいい感じに成仏したみたいになったのに……ふふっ、い、生きててすみません……」

「いや、謝らなくても。生きてる方がいいに決まってるし」

「あっふふっ……ふっ、ふつつか者ですが、よろしくおねがいします……」


 質問とか確認とかのフェーズをすっ飛ばした、いかにもコミュ障流のコミュニケーション。

 そりゃ無下には突き放せないが、それにしても……。俺にだって多少は抵抗を試みる権利くらいあるはず……。


「いや、俺が恋人になってやるって言ったのは、霊体のお前に対してであって……それで成仏できると思えばこそだな……」

「あっ、わっ私のことは遊びだったんですか……?」

「どっちかっていうと仕事だったんだけどな?」


 すると、浅桜ちえりは「あぅ……」と悲しげな声を出して。


「あっ、うっウソだったんですね……。ふふっ、で、ですよねぇ……わっ私みたいな、生きてる内から棺桶に片足突っ込んでそうな女なんて……だっ誰も相手にしてくれるわけ……」

「とりあえずそのネガティブ思考だけでも棺桶から引っ張り出せよ」

「あっ……ま、また幽体離脱しろってことですか……」

「じゃなくて! あーもう、わかった、とりあえず中はいれよっ」


 観念して俺が言うと、彼女はそこに立ったまま、ふるふると首を横に振った。


「あっいえ……こっ、ここで結構です……。かっカフェみたいな明るく賑やかな場所に入ったら……ふふっ、それだけで死んじゃいそうなので……」

「どうやってその歳まで生きてきたんだよ」

「あっ……だ、だから死んじゃったんですかね……」

「なんか上手いこと言おうとして言えてないぞ」


 はぁっと軽く溜息をついてから、俺は心霊フォントで「赤かがち」の店名が書かれた看板を指して言った。


「ここ、見ての通り心霊カフェだから。お前好みのクラ~いムードの場所だから、入っても死なないって」

「あっ……そっそうですね……ふふっ、今日からここが私の家……」

「そこまでは言ってねえよ!? ってか、お母さん心配してない!?」

「あっ、ちっ近くの駅で待ってくれてます……」


 病室で会った母親の顔を思い出して、娘がこのキャラだと親御さんも大変だろうな、なんて思っていると。


「イッツー、早く入ってきなよー」


 猫と書いて姉と読む物体を腕に抱えて、鈴鳴さんが扉から顔を覗かせた。


「あっ……さ、さっきの……」

「改めて、イッツーの幼馴染で姉弟子で同僚で腐れ縁のー、鬼灯かがち鈴鳴りんなだよー。ちえりちゃん、よろしくねっ」

「あっひっ……おっおっお手柔らかにおねがいします……」


 あーあ、ただでさえ「陽」寄りの姉弟子が謎の関係性マウントみたいな自己紹介をするもんだから、陰キャ・オブ・陰キャが完全に萎縮してるじゃん……。いや、コイツの場合は誰にどんな挨拶されてもこんな感じなのかもしれないけど……。

 続いて、妹の腕の中から、師匠がぬっと顔を出して。


「私、コイツの師匠で後見人だからよろしく。あのな、コイツに飽きたら、いつでも他の男に乗り換えてくれていーから」


 言われた浅桜ちえりは、数秒固まってから、恐らくは前髪の下で目をぱちくりとさせて、


「あっえっ……!? ねねね猫が喋ってるぅ……!?」

「ああ、やっぱそこは普通の感性あるんだ。まあ、寒いから中入りなよ」

「ちえりちゃん、ハーブティー好き?」


 姉妹に歓迎されるがまま、店内にヒタヒタと足を踏み入れていく。

 残された俺は、どんな心霊事案よりも厄介な日常がこれから待っていることを悟って、静かに肩を落としたのだった。

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