第6話 どうせなら恋人に
結論としては、なんか上手いこと言おうとする気力があるくらいなら大丈夫だろう、という俺の見立ては甘かったようで。
「あっ……」
ただでさえ伏し目がちの幽霊少女が、ひときわ視線を落とした先。彼女の真白い両手は、ピアノを弾いていた時と比べて徐々に透明度を増しているようだった。
目元を覆い隠す黒髪も、内向きな性格を写したような白い肌も、窓から差し込む夕日を受けて
「ふふっ、お、お迎えが来たってことですかね……」
自嘲を込めたような笑いと裏腹に、ふるふると肩を抱いて震え始める陰キャ幽霊。
死を自覚していても消えるのは怖いのは当然として、本人以上にこの状況に危機感を覚えているのは俺だった。
(まずい……このままコイツが消えたら……)
どう見てもこの世に未練タラタラの幽霊が、その未練を晴らすこともなく力尽きる――。
それは円満な成仏を意味するのではない。霊体をこの世に留めたまま、コイツ自身の自我は失われ、先程の群体のような悪霊に成り果ててしまうことを意味していた。
「おい、気をしっかり持て! 寝たら死ぬぞ、じゃなくて、今消えたらマズイぞ!」
「あっ……どうマズイんですか……」
「ちゃんと未練を晴らして成仏しないと、さっきの連中みたいな悪霊になられたら迷惑なんだよ!」
「……ふふっ、それ新手のツンデレですか……」
ツンデレでも何でもない事実だった。
それはあまりに酷な話だった。コイツ自身にとっても、多少なりとも触れ合ってしまった俺にとっても。
「あっ……わ、私みたいな、元々いるだけで周りの人に迷惑かけてたような陰キャには……お似合いの末路ですよね……。ふふっ、しっ、死んでまで周囲に迷惑をかける存在……それが私……」
「まずその地獄みたいなネガティブ思考をなんとかしろっ!」
「あっ、地獄……
「今消えたらその地獄にすら行けないから困ってるんだけどな!?」
まあ、地獄が本当にあるのかは俺だって知らないし、仮にあったとして、高校生にもなって賽の河原で石積みってことはないだろうけど。
「あっ……走馬灯が見える……家族と黒歴史しか映ってないや……。ふふっ、陽キャの彼氏と夢の国なんて言わないから……せ、せめて学校で……話し友達の一人くらい欲しかったな……」
ダメだ、完全に死にかけてる……いや死んでるんだけど。
やむを得ない、こうなったら一刻の猶予もない。俺は彼女の両肩に手を伸ばし、ガシッと――は無理だけど、すり抜けないスレスレのところへ両手を添える姿勢を取った。
「俺がいる! 俺が話し相手になってやる!」
「えっ……」
重たい黒髪に隠された彼女の目が……見開かれたかどうかは知らないけど。
「あっ、で、出会ったばかりの私に……なんでこんなことしてくれるんですか……」
「いや、さすがに目の前で悪霊になられたら除霊師として恥ずかしすぎるし……。それにさ、仮にも一度は言葉を交わしたヤツが悪霊になって、それを自分の手で
「……ふふっ、や、やっぱりツンデレじゃないですか……」
勝手に変な解釈をして口元をニヤけさせている陰キャ幽霊。まあ、この際、円満成仏に繋がるなら何でもいいけど。
「あっ、でも……ど、どうせなら、話し友達じゃなくて恋人になってください……」
「案外図々しい奴だなお前」
幽霊の要求に呆れながらも、いやもう何でもいいや、と俺は思い直した。
「わかったよ。それでお前の気が晴れるなら、今日だけ俺が恋人になってやる」
「あっ……ほっほんとですか……ふふっ、い、言ってみるもんですね……」
「本当いい性格してるよな」
ヘタに死者と愛を誓うようなマネしたら、
まあ、生者に危害を加えるような度胸がコイツにあるとも思えないし。俺だって素人じゃないんだ、いざとなったら対処法はいくらでもあるから大丈夫か。
(……それにしても)
コイツを成仏させるための演技とはいえ、記念すべき俺の初カノジョがこんなドヨーンとした陰キャなんてな……。本当は俺だって、高校生になったら病院のあの子みたいな美少女とリア充ライフを満喫したかったのに……。
なんて感想をオクビにも出さないように努めていると、幽霊はおずおずと小さく挙手するジェスチャーと共に言ってきた。
「あっ……だったら、こっ恋人ができたら一緒に行きたかったところがあるんです……」
「舞浜の夢の国?」
「いっいえ、そそそそれはムリです……! そっそんな人の多いところっ……!」
「今日イチ声出てんじゃん」
ぶんぶんと首を横に振りまくっていた彼女は、それから数秒置いて、ふーっと呼吸(あるのか?)を整えてから、
「あっあのっ……屋上……付き合ってもらえませんか……?」
顔を伏せたまま、精一杯の勇気を振り絞ったような声で所望したのだった。
***
屋上への扉は当然ながら施錠されていた。俺の一歩後をヒタヒタと付いてきていた幽霊少女は、「ふふっ」と例の変な笑いを漏らしたかと思うと、制服の長袖に包まれた片手をすっと扉に向かって伸ばしている。
そのまま半身を扉の向こうへすり抜けさせながら、半端に上げた片手でクイクイと手招きしてくるので、俺はもうほとんど脊髄反射で「待て待て」と突っ込んだ。
「お前はすり抜けられるかもしれないけど、俺はこう見えて生きた人間なんでな」
「あっえっ……こ、こんな扉くらい、『
「ツッコミその一、俺は寺生まれのナントカさんじゃない」
小さく溜息を吐いて、俺は制服のポケットを漁る。
「そ、その二は……?」
「その二、実体のあるものまで吹っ飛ばせるわけじゃないし、その三、仮にできても犯罪だろ」
そう言いながら、ポケットから取り出した針金を顔の前に掲げてやると、幽霊少女もその意味を察したらしく「あっ……」とお決まりの反応を返してきた。
「そっ、それも犯罪じゃないんですか……」
「バレたら転校二日で退学RTAだな」
「あっ……わっ私なんかのために、きっ危険を冒して不法侵入に手を染めるなんて……。わっ、私って罪な女……」
「自覚があるなら何よりだわ」
カチャリと音を立ててノブが回り、重い扉が開いた。
律儀に抜け駆けせず待っていた幽霊と一緒に、俺は無人の屋上へと出る。五月の空気はまだ冷たく、沈みかける夕日が世界を包んでいた。
「へー。学校の屋上なんか初めて出たけど、ちょっといい雰囲気じゃん」
フィクションで生徒の居場所として多用されるだけのことはあるな……と思いながら言うと、幽霊はこくっと小さく頷いて。
「あっ、そっそうでしょう……? わっ私も……この高校の屋上は初めてですけど……」
「霊体で自由の身なんだから、いつでも来ればよかっただろ」
「あっふふっ……だ、だって一人で屋上にいたって、だっ誰も見つけてくれないじゃないですか……。そっそれより、音楽室でピアノ弾いてた方が……だっ誰か話しかけてくれると思って……」
「意外と行動原理がちゃんとしてんのな……」
何とはなしに、屋上の端のフェンスまで俺が歩を進めると、彼女もヒタヒタとその隣に付いてきた。
「あっ……こ、こういうの、漫画とかでよく見て……」
俺の足元にちょこんとしゃがみ込み、フェンス越しの夕焼けを見やって、陰キャ少女は言うのだった。
「ふっ二人きりの屋上で、夕焼けを見ながら恋人とお喋りしたり……。わっ、私もそんな、普通の青春が送ってみたかった……」
いや、自分で言った通り、そういうの漫画の中だけの話だからな?
――なんて野暮な突っ込みを入れる気は、流石に起こらなかった。
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