第26話 時は来たれり

 情熱的なキスが解けたあと、アルベールは早々にディアンを部屋から追い出した。


 キスに酔いしれ頬を火照らせる自分の顔を、いつまでもさらすのは恥ずかしかったからだ。


(ディアンのキス……気持ちよかったな──)


 反芻はんすうしてしまい、また頬の火照りがぶり返す。


「アルベール様、入ってもよろしいですか」


 マルクスの声に、淫らな思考に浸っていたアルベールは、はっと我に返る。


(まずい! マルクスに今入られては困る)


 なんとなく、部屋に濃密な空気が漂っているような気がした。


「ちょ、ちょっと待て! いいか、まだドアを開けるなよ!」


 慌てて身を起こし、手早く乱れた服を整える。

 窓を開け放ち、手をばたつかせて部屋に籠もった甘い空気を外へ追い出す。そして自分を落ち着かせ、入れと声をかける。


「失礼いたします」


 澄ました顔で部屋に入ってきたマルクスに、言わずにはいられない。


「おまえ……わざと部屋を空けたな」


 なぜディアンの暴走を止めない、と目で訴える。


「アルベール様の想い人ですから。同意でないなら、全力で阻止していますよ」


「あれが同意? どう見ても、一方的にディアンが盛っていたではないか!」


「いいえ、アルベール様。とても甘い雰囲気でしたよ」


 にこりと微笑まれ、顔から火が噴き出しそうだ。


「こここ……子どもの分際で、何を言う」


 狼狽えるアルベールに、マルクスは表情を改める。


「ディアン様は立派なお方です。共に行動するうちに、それがよくわかりました。必ずアルベール様を幸せにしてくださいます」


 だから恋路の邪魔はしないとマルクスは言う。それどころか、応援していると。


 複雑だ。非常に複雑だ。男同士の恋愛を、年端もいかない側近に勧められるとは。


 自分が思うより、マルクスは大人なのかもしれない。頼もしいとは思うものの、やはり複雑だった。


         ◇◇◇


 数日後、ディアンの帰国が知れ渡り、噂が町中を駆け巡る。

 そして悪評が好評に変わるまで、さほど時間はかからなかった。

 

 同時進行で、アルベールの悪評に拍車がかかったのはいうまでもないが。


「町はもう、ディアン様の手腕についての噂で持ちきりです」


 偵察から戻ったセオドアは、ほくほく顔だ。


 貧民街の民たちが、どのような噂を立てたのかは知らないが、瞬く間に『希望が見えてきた』と民に思わせることができたようだ。


「浮かれている場合ではない。そろそろ、オーランド兄上が動き出すはずだ」


 神妙な面持ちで、ディアンは腕を組む。


「だろうな。もういっそ王宮に赴くか」


 いつまでも、身を潜めているわけにはいかない。それに、モーリスの身も心配だ。自分たちが生きていたとなれば、殺害したと報告したモーリスは疑われる。


 あらかじめ、逃げ口上は伝授しておいた。けれどあの真面目なモーリスが、上手く誤魔化せるかといえば心許ない。


「そうだな……アルベールはここで待っていてくれ」


「なんだと、オレを置いて行くつもりか」


 アルベールは目を据わらせ、不満を露わにする。


「アルベールを危険にさらすことはできない」


「今さらだな。もう十分関わっている。だから気にせず連れていけ。それに、そばにいないとオレを守れないだろう?」


 自分を守るのはディアンの役目だと、にやりと片頬を上げる。


「──確かにそうだな。わかった、明日、一緒に王宮へ行こう。おまえのことは、俺が必ず守ると約束する。だが……」


 苦悶の表情を浮かべ考えを巡らせるディアンだったが、決意を固める。しかし、どういう体で、王宮に姿を現すべきかと新たな思案を始めた。


 そんなディアンにアルベールは、妖艶ようえんな笑みを浮かべてみせる。


「おまえはただただ、このアルベール様をと見つめていればいい」


「は……? 言っている意味がわからないのだが」


「わからないのか? 恋に溺れた腑抜けな王子を演じていればいいと言っているのだ。簡単だろう? 今のままでいいのだから」


 悪戯っぽく顔を歪めるアルベールを、ディアンはなんともいえない顔で見ていた。


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