第20話 奥の手
城に戻ったアルベールたちは、すぐさまジェラルドの執務室に向かった。
「お帰り、アルベール」
「ご心配をおかけしました、兄様」
笑顔で迎えられたことに、ほっとする。何せジェラルドと顔を合わせるのは、あの晩、コーヒーを派手にぶちまけた日以来だったからだ。
「まずは座って、紅茶を頼んであるから」
進められるまま、ジェラルドとソファーに向かい合って座る。ディアンはアルベールの隣に腰を下ろした。
「今回のこと、大まかには理解している。私もダリウス殿にはいい感情を持てなかった」
自ら探そうともしないダリウスに、不信感を募らせていたという。そんなとき、手紙が届き合点がいったそうだ。
(ダリウスの胡散臭さに気づいていたとはさすがだ。やはり、オレの兄様は素晴らしい!)
心中で絶賛する。けれど同事に、自分がそばにいなくとも、なんの心配もいらないのだと悟る。そのことに、一抹の寂しさを感じた。
しかし、これなら安心して、フランターナ国を離れられる。
「陛下、お願いがございます。私をディアンと共にトシャーナ国へ行かせてください」
表情を引き締め、証人として国王に証言したいのだと訴える。
「ダメだ、それは許可できない。危険すぎる」
「私が守る。アルベールに傷ひとつ負わせはしない」
ディアンの説得にも、ジェラルドは首を縦に振らない。
それだけアルベールのことを、心配しているのだろう。
以前のアルベールなら、ジェラルドの愛情を感じ、両手を挙げて万歳と喜ぶところだが……。
(仕方ない、奥の手でいくか)
できれば使いたくなかったが、アルベールはとっておきの札をきる。
「私はディアンを愛しているのです。だから力になりたい。離れている間に、彼に何かあったらと思うと気が気ではありません。私はディアンと出会って知ったのです。愛を──」
目を潤ませ、殊勝に懇願する。
「アルベール……」
「アルベール!」
驚愕し、名前を吐息のように口に乗せるジェラルドとは裏腹に、ディアンは歓喜に満ちた弾む声を上げた。
そして、隣に座るアルベールを抱きしめる。それはもう苦しいほどに。
「嬉しい、アルベール。私の気持ちに応えてくれたのだな。あぁ……なんという幸せ──」
感極まると、ディアンは周りが見えなくなるようだ。
おもむろに抱擁を解いたディアンは、アルベールの顎に人差し指を触れさせる。
(待て待て! まさか、キスするつもりか⁉ 兄様の前だぞ、早まるな──)
顔を上向かされ、アルベールは窮地に陥る。
ここで拒めば、ジェラルドに怪しまれてしまう。それではすべてが台無しだ。
焦るアルベールは思考が働かず、迫り来るディアンの唇を凝視することしかできなかった。
とそのとき──。
「ガシャン!」
派手に陶器の割れる音が部屋に響いた。
皆が肩をびくりと跳ね上げ我に返る。
見つめ合ったまま、目を
片や、呆然と固まっていたジェラルドは、身動ぎ佇まいを正す。
「申し訳ありません。手を滑らせてしまいました」
この声は、マルクス。
(よくやった! いい働きをしたぞ、マルクス)
拍手喝采間違いなしの功績だ。
「わかったよ。トシャーナ国へ行くことを許可しよう。──だから二人とも離れなさい」
咳払いをしたあと、いつまでも身を寄せ合っていることを咎められる。
「ありがとうございます! 陛下」
慌ててディアンの胸を押しやったアルベールは、感極まった体でジェラルドの隣へ移動した。
また何かの弾みで、ディアンが血迷っては困る。
「すまない。喜びのあまり、ここが執務室だということを失念してしまった」
後頭部に手を当て、面目ないと謝りながらも、ディアンの顔はやに下がっている。
「それでその……いつの間に、二人は恋仲に?」
ジェラルドが躊躇いがちに問うてくる。
「彼の国を思う姿勢と、学ぼうという意欲に感銘を受けました。それが次第に、愛へと変わったのです」
やや顔を俯け、アルベールはにかんでみせる。
「そ、そうか。──で、ディアンのほうは」
嘘は許さないというように、ディアンを見るジェラルドの眼差しは厳しい。弟を任せられる男かどうか、見定めたいのだろう。
「今思えば、私の恋はずっと昔から始まっていたのかもしれない。庭園で見た、弾けるような笑顔──」
遠い目をするディアンは、何を思い浮かべているのか。
「子どものころのアルベールは、天使のように愛らしかった。青年になった今は、壮絶に美しく、声は鳥のさえずりのように心地いい」
聞いている自分のほうが恥ずかしくなり、耳まで赤く火照ってしまう。
「──容姿だけ気に入ったと言いたいのか」
しかしジェラルドは気に入らなかったようだ。むっとして、目を据わらせている。
「違うぞ。アルベールはすべてが最高だ。口は悪いが、行いには信念を持っている。ただ、優しさの表現が、人とは違うというだけだ」
大きくひとつ頷いたジェラルドは、ディアンの答えに満足したようだ。
「では、供を厳選しよう。護衛は何人つけようか」
「いいえ、護衛はいりません。帰国を知られてはなりませんから」
「しかしそれでは──」
「陛下! 私に行かせてください。アルベール様の側近として、任を命じていただけないでしょうか」
ジェラルドの言葉を遮るように、マルクスが嘆願する。
これはアルベールが出した条件だった。昨日、同行したいと食い下がってくるマルクスに、陛下の任命を得ることができたら連れて行くと約束したのだ。
「君は確か……孤児院を管理している子だったね」
「はい。マルクスと申します。私はアルベール様のお人柄を、心得ていおります。とても温かく、私の重い足枷を外してくださった恩人なのです」
真っすぐなマルクスの視線を、ジェラルドは無言で受け止める。その沈黙は、ほんの数秒だったのか、それとも数分だったのか。
「わかった。本日より、マルクスをアルベールの側近とする」
「あ、ありがとうございます──」
深々と腰を折るマルクスの頬は、歓喜の涙で濡れていた。
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