第12話 苛つく心
「アルベール様……またそのようなだらしない格好をなさって──」
部屋に入ってくるなり、アレフはソファーに寝転ぶアルベールに嘆息し、説教を始めようとする。
「小言なら聞かない」
耳を塞いで抵抗するアルベールだったが、
「陛下が隣国からお戻りになられました。夕食を共にとおっしゃっておられます」
続く言葉に、ソファーから飛び起きる。
「兄様が⁉ よし、支度するぞ」
そそくさと晩餐用の正装に着替え始めると、アレフが小言を再開させる。
「いつまでも兄様と呼んではなりません。国王陛下ですぞ」
そんなことは百も承知だ。
ただ……陛下と呼ぶことで、ジェラルドが遠くへ行ってしまいそうで嫌だった。公式でない場所では、兄様と呼んでいたい。
「ああ、わかったわかった」
適当な返事を返しながら鏡で身なりを確認し、アルベールは喜び勇んで食堂へ向う。
しかし──反対側からやって来るディアンとジェラルドの姿に、足が止まってしまった。
「なんだ、あいつも一緒なのか……」
ジェラルドと二人だけだと思っていたアルベールは、落胆するはずだった。兄弟水入らずを邪魔されたのだから。
しかし、湧いてきた感情は違った。寄り添うように歩く二人の姿に、胸がモヤモヤしてしまうのだ。
(まさか二人は、恋人同士なのか?)
そのモヤモヤがイライラに変わるまで、そう時間はかからなかった。
それはぶどう酒で、ほどよくジェラルドの頬が火照ったころ──。
「ディアンの寛容さに感謝するのだよ、アルベール」
「大袈裟だ、私は十分アルベールによくしてもらっている」
微笑み合う二人に、アルベールは疎外感を味わう。
(ふん、ディアンのやつ、何が『私』だ。いつもは『俺』と乱暴な物言いのくせに。もの腰までやわらかで……)
ジェラルドの前で紳士ぶるディアンに、アルベールの心はささくれていく。そんなにジェラルドの前で、いい格好をしたいのかと。
自分は変だ。本来なら、大好きなジェラルドと馴れ馴れしくするな! とイライラするはずなのに。
「アルベール、黙ってないで何か話してくれないか。半月ぶりに会ったのだから、いろいろあっただろう? ディアンはどうかな、勤勉で人格者で……おまえも彼を見習って、国のためになることを学んでみないかい」
ディアンを褒め称えつつ、アルベールを諭そうとするジェラルドを、「せっかくの食事の席だ。小言はなしでいこう、ジェラルド」とディアンが諫める。
「あっ……、すまないアルベール。そんなつもりはなかった。気を悪くしないでほしい」
「いいえ、気など悪くしません。私を想ってのことと存じていますから」
朗らかに笑みを浮かべ、アルベールは体裁を繕う。
ほっとするジェラルドとは裏腹に、ディアンは気遣わしげな眼差しをアルベールに向けた。
それが哀れみのように思え、アルベールの胸は切なく軋む。
(くそっ、こんなことで心を乱してる場合ではないというのに)
アルベールには気がかりがあった。給仕の一人、それもディアン担当の者の様子がおかしいのだ。視線は揺れ、そわそわしている。しかも時折、スラックスのポケットを上から手で触るような仕草をするのだ。
そこに入っている何かを確かめるように。
今のところ、それを取り出す素振りはない。何かが起こるとすれば、食後のコーヒーどきだろう。
あえて隙を与え行動を起こさせるか、一切の隙を与えないべきか。
限られた時間の中で、自分の取るべき行動を考える。
そして決断したアルベールは、「あっ! 何か動いた‼」と突然叫び声を上げた。
一同の視線が、アルベールに注目する中、さらに自身に引きつけようと、大袈裟に音を立て椅子から立ち上がる。
そして窓を指差し、再度「そこだ、よく見て!」と促す。
案の定、それに釣られ、一人を除いた全員の目が窓へ向いた。
(カップに何か入れたな……)
皆の視線が逸れているのを好機と判断した男が、行動に出た。
それを横目にアルベールは、
「あれ……気のせいだったようです。すみません、お騒がせしました」
白々しい態度で椅子に腰を下ろす。
「脅かさないでくれ、アルベール。ではそろそろ、食後のコーヒーにしようか」
ジェラルドの合図で、給仕の者がカップにコーヒーを注ぎ始める。
「今日は三人で食事ができて楽しかったよ。ところで、ディアンの滞在は、あとどれくらいだったかな」
「一月後には帰途につく予定だ」
「そうか、早いな。君が来てからもうそんなに月日が経っていたのか」
「ああ。長いようで、短い。まだまだ学び足りないよ」
「本当に勉強熱心だな、ディアンは。君が帰る前に、また三人でテーブルを囲もう。アルベールもいいだろう?」
話を振られるが、アルベールは気もそぞろで「はい」とから返事をする。
ジェラルドには申し訳ないが、今はそれどころではない。アルベールの全神経は、毒を仕込まれ運ばれてくるコーヒーカップに注がれていた。
(穏便にこの場を切り抜けてみせる。絶対に)
幸いにも、給仕の男はディアンにコーヒーを運ぶとそのまますっと姿を消した。
(ディアンが口にするのを確かめもせずに逃げるとは、もう城には戻るまい)
ならば……派手にやらかしても問題ない。
アルベールは何食わぬ顔で、自身の前に置かれたコーヒーカップを口に運ぶ。そしてディアンがカップに手を伸すと同時にカップに口をつけ──。
「あっつ!」
口から離したカップを、盛大にテーブルへ倒した。
当然、白いテーブルクロスに茶色の染みが広がっていく。それも、アルベールの向かいに座っているディアンのほうへと。
「うわっ、どうしよう」
席を立ち、小走りでディアンの座る席へと回り込む。そして焦った体を装い、今度はディアンのカップを倒した。
「あっ! 重ね重ねすまない。ディアン、コーヒーがかかっていないだろうか」
ディアンの肩に手を置き、顔を寄せ心配げに声をかける。
「大丈夫だ」
「よかった……」
ほっと息をつき、身を起こす際、耳元で囁くように「コーヒーに毒が盛られている」と告げる。
これで回避は成功。そう安堵したときだった。
「アルベール……まさかとは思うが、ディアンへの嫌がらせなのか? だとしたら、私は許すわけにはいかない」
ジェラルドにしては珍しく、眉間に皺を寄せ険しい顔をしていた。
ジェラルドは最初にコーヒーに口をつけていた。カップを手放すほどの熱さではないと思ったのだろう。
「嫌がらせなどしません。兄様との食事の席ですよ。しかし、場の空気を悪くしてしまいましたね。私はこのまま下がります」
一礼して顔を上げると、ディアン以外の皆が、アルベールを下等な者を見るような目で見ていた。
そう、ジェラルドでさえも。
アルベールは肩を竦め、悪びれもせずおどけてみせると、そのまま踵を返し自室に戻った。
「さすがにキツいな」
ジェラルドに、あのような目で見られたのははじめてだった。きっと恋人へ向けて取られた態度が、許せなかったのだろう。それだけ、ディアンのことが好きだということ。
二人同時に想い人を失ったような悲しみに、心臓は熱を失い、鉛のように重く感じた。硬くなり、今にも鼓動が止まってしまいそうなほど、苦しい。
(もう、お役御免ってことか──)
自分の後釜は、ディアンに譲るとしよう。
「はぁー、これからどうするかな」
旅にでも出て、自由気ままに暮らすのもいい。悪役を演じることもなく、誰の目を気にすることもなく。
今後の身の振り方を考えるも、それは今ではない。ディアンの即位を見届けてからだ。
「あ~あ、やけ酒でも飲みに行くか」
久々に町へ繰り出すのもいい。
ディアンが来てからというもの、アルベールは夜の外出を控えていた。
「でもな~、その前に、兄様のところへ様子伺いに行くべきかな」
ジェラルドの前で少しやりすぎたかと、しばらく悶々とするのだった。
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