第8話 胸の痛み
ディアンが来てから半月。
彼は来る日も来る日も、ひたすら学びを求め息つく暇もない。そんな姿に、アルベールは感銘を受けた。
ディアンは真に心から国を思い、民のために尽くそうとしている。
そんな心根を持つ人間が、ジェラルド以外にいるなんて──。
(あの男は、信用してもいい?)
アルベールの中で、ディアンに対する警戒心が薄れていく。
彼は腹黒ではない。自分を騙し、裏切ったりしないと。
「まあ、兄様の次に、力になってやってもいいかもな」
自室のソファーで独りごちるアルベールは、今朝方マルクスからの報告を受け、自分はどう立ち回るべきか思案していた。
(今後はディアンのそばを、極力離れないほうがいいだろう)
昨夜、モーリスが商人を装い戻って来たのだ。そして今日、正午を過ぎたころダリウスが町を見たいと城を出た。
この国に来てからの、はじめての外出──。
モーリスと会っているのは間違いない。それは想定内のことだが、問題はオーランドから出された指示だ。
「警告くらい、してやるか」
アルベールは勢いよく、ソファーから起き上がる。
今日はジェラルドの執務を見学すると言っていたが、そろそろ部屋に戻っているころだろう。
もう夕刻だ。窓の外から差し込む西日が、幾分弱くなってきていた。
(面倒かけさせやがって。わざわざオレから足を運んでやるのだ。感謝しろ)
心中では悪態をつくものの、ディアンの部屋へ向かう足取りは軽く、口元が緩んでしまうのはなぜだろう。
(まぁあれだ。このところ、ディアンの世話で忙しかったからな。今日はお守りから解放されて、のんびりできたから気分が晴れているってところだ)
決して今日は会えないと思っていたディアンに、会う口実ができて浮かれているわけではない。
孵化しようとしている気持ちから顔を背け、アルベールはディアンの部屋のドアを勢いよく開けた。
「暇だから遊んでやる!」
突然現れたアルベールに、ディアンは驚きダリウスは動揺をみせる。
怪しい……。
アルベールは、何食わぬ顔でダリウスに歩み寄る。
「おー! チェリーじゃないか。この国の特産品だ。甘くて美味いぞ。オレにもひとつくれ」
ダリウスの手には、五、六粒のチェリーが盛られた籠があった。
アルベールがそれに手を伸ばすと、ダリウスはすっと籠を避ける。
「こ、これは我が王子への土産物です。アルベール殿下は、食べ慣れているでしょう?」
目が泳いでいる。それに、口元が引きつり妙にぎこちない笑みだ。
「ディアン殿下、そなたの家臣は、よほど主人に忠実なようだ。チェリーひとつ分けてくれないとは」
チェリーを横目に、大げさに嘆いてみせる。
「ダリウス、私に気を遣わなくてもいいぞ」
いやしかし……、と渋るダリウスは、額に汗を浮かべていた。落ち着きなく、しきりに手で喉を触っている。
(毒でも仕込んでいるのか? ならば……)
アルベールはにこりと微笑む。
「いや、買ってきた本人が、まず先に食べるべきだろう」
素早くチェリーを摘まみ、ダリウスの口元へ持っていく。
「ほら、あ~ん」
「ひゃー、や、やめろっ」
唇に押し当てようとした瞬間、ダリウスは顔を背けアルベールの手を払い除けた。
「ほーぉ」
アルベールは目を据わらせ、悪辣な笑みを浮かべた。そしてダリウスの手にある籠をはたき落とす。
その衝撃で宙を舞った赤いチェリーが、毛足の長い絨毯に音もなく埋もれる。
そして──。
「おっと──悪い、ふらついてしまった。あ~あ、せっかくの土産が台無しだ」
自身の足を上げ、無残にも潰れ果汁が飛び出したチェリーを見下ろす。
「お詫びに、オレが明日にでもご馳走してやろう」
「い、いえ、畏れ多いことでございます。私こそ、アルベール殿下に失礼を、お許しください」
深く腰を折り一礼すると、ダリウスは逃げるように足早に退出していった。
「おい、そこの側近、誰か侍従を呼んでこい。絨毯を取り替えさせる」
「失礼ながら、私の主人はディアン様です。あなたの指示に従う謂われはありません」
セオドアは毅然と意志を示す。
アルベールの尊大な態度に納得いかないようだ。
(っ──!)
セオドアから向けられる嫌悪のこもった目は、アルベールの胸に小さな棘となって刺さり、ツキンと痛みを与える。
ディアンも同じように、悪感情を持っただろうか。
久しく忘れていた胸の痛みは、アルベールを息苦しくさせる。
「ふん、自分たちで掃除するというのだな。好きにしろ。だが、その絨毯は捨てろ、いいな」
身を翻し部屋を出ようとしたとき、屈み込むセオドアの影が目の端に映った。振り向くと、潰れたチェリーに手を伸していた。
アルベールは反射的に、自身の勲章を止めている金の留め金を引き抜き、放ってしまう。
「なっ、何をするのですか⁉」
後ろに身を引いたセオドアが尻餅をつく。
そして絨毯に刺さった留め金を一瞥すると、表情を険しいものへと変貌させた。
ゆっくりと立ち上がったセオドアは、怒気をはらみ腰に携えた短剣の柄を握る。
アルベールを、主に仇なす者と判断したのだろう。
しかしアルベールは気にも留めず、つかつかと自身の投げた黄金の留め金に歩み寄る。
(先が白んでいるな……)
絨毯に刺さった留め金を引き抜いたアルベールは、確信した。ディアンは命を狙われているのだと。
(よくも物騒なものを持ち込んでくれたな)
チェリーに仕込まれていた毒は、おそらく水銀だろう。
すぐに命を落とすわけではないだろうが、繰り返せば体調を崩し、様々な神経障害を起こすはずだ。
「アルベール?」
留め金を見つめたまま動かなくなったアルベールに、ディアンは怪訝な顔を向ける。
「こういうことだ」
変色した留め金を、ディアンにも見せる。
「そういうことか。セオドア、剣から手を離せ。アルベールは私を救ってくれたようだ」
懸念していた事態が本格的に動き出したようだと、ディアンの顔が曇る。
その様子から、自身の命が狙われることも視野に入れ、この国に来たのだとアルベールは察した。
「迷惑だ。おまえに何かあってみろ、我が国に嫌疑がかかるだろう。もう国へ帰れ」
フランターナ国から出ていけと、人差し指をドアに向ける。
「すまないが、まだ帰ることはできない。学び足りないのだ。頼む、アルベール。もっといろいろ教えてくれ」
「はぁー? なぜオレが、そのような面倒なことをしなければならない」
「なぜって、俺に早く国へ帰ってほしいのだろう? 俺一人では、いつまで滞在が続くかわからないぞ」
ディアンのにやけた顔は、アルベールを挑発しているものだ。
口車に乗せられるのは腹立たしいが、ディアンの言うことにも一理ある。もたもたしていては、ジェラルドにまで火の粉が降りかかってしまう。
「わかった。だがその前に、確認したいことがある。おまえはこの国に、知略を携えて来たということか?」
命を狙われているのだ。策くらい講じているだろう。
「いや、たいそうな知略などない。身を守りながら学びを深め、国に持って帰ることしか考えていない。とはいえ、兄上の悪行を露見させられれば、一石二鳥……いや三鳥くらいにはなるな」
飄々としたディアンの態度に呆れつつ、隠された思惑はないか探ってみる。けれど真摯な眼差しからは、嘘は欠片も見当たらなかった。
「おまえは……本当に、トシャーナ国を愛しているのだな」
「ああ。俺は傾きかけた国を立て直したい。苦しみから、腐敗していく民の心を救いたいのだ」
なんて温かい人間なのだろう。
彼を守り、願いを叶えてやりたい。
肉親以外で、こんな感情が湧いてきたのははじめてだった。
だが、自分は悪役王子だ。この姿勢を崩すわけにはいかない。愚の骨頂を保ちながら、ディアンに迫る危機を未然に防ぐ策を練る必要がある。
「少し考えさせてもらう。おいディアン、その絨毯、始末させておけよ。方法はわかっているな。そいつは、オレの言うことは聞かないらしいからな」
そいつ、とセオドアに向け顎をしゃくると、ディアンがふっと笑う。
「セオドアとは乳兄弟なのだ。俺の母上は乳の出が悪かったらしくてな。セオドアの母君には世話になった」
聞けば二人は同い年。ディアンより数日後にセオドアが生まれ、いつも一緒で苦楽を共に過ごしてきたという。
信頼関係で結ばれた絆。双子みたいなものだろう。
「そいつは信用していいってことだな。理解した。で、ディアンはオレを信用するのか」
「ああ、もちろんだ。俺はアルベールを信用する」
「となるとセオドア、おまえもオレを信用すると思っていいのだな」
意地の悪い笑みを向けると、セオドアの左頬がひくひくと引きつる。
相当不本意のようだ。手をぐっと握り込み、悔しそうに「信用いたします」と口にした。
「嘘はつかなくていい。本心ではない言葉など、なんの意味もない」
二人に背を向け歩き出したアルベールは、肩越しにひらひらと手を振る。
「あぁ……ひとつ言い忘れていた。モーリスという男、昨夜王都に舞い戻って来ているぞ」
ドアノブに手をかけたまま振り向き、意味することはわかるだろうと言外に匂わせ、部屋を後にした。
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