第7話 掴めない心情
城内にある書倉庫の一角で、ディアンは黙々と文献に目を走らせていた。
「なるほど、湿気を嫌う野菜もあるのか。それに、乾燥に強くやせた土地でも育つ植物まであるとは……」
手元の本は、日照りで困窮した数年をどう切り抜けたかを記したものだ。雨の少ないトシャーナ国で応用できればと、朝から読み始めすでに三冊目に突入している。
整備された図書室ではなく、お蔵入りに近い書物が納められたここへ案内してくれたのは、アルベールだった。
とはいえ、すんなりと案内されたわけではない。
(はじめは嫌がらせかと思ったんだがな……素直になれないだけなのか?)
それは今朝のやり取りでのこと。
アルベールに何が学びたいのかと問われたディアンは、農業の盛んなフランターナ国を手本にしたいと伝えた。
しかしアルベールは、「気候も地質も違うのだから真似ても無駄だ」とけんもほろろに一蹴した。
悔しさから顔を歪めるディアンを嘲笑ったアルベールだったが、ついてこいと顎をしゃくり、歩き出す。
なんだかんだ言っても、本当は優しいのかもしれない。
そう思ったのも束の間で、すぐに失望へと変わった。
案内された先は、床に無造作に積まれた本の山がいくつもあり、棚には乱雑に本が詰め込まれている書倉庫だったからだ。
他国に易々と、利益になることを教えるわけがない。そう言いたいのだろう。
この中から、自分の求める本を探せというのか……。
途方に暮れるディアンを尻目に、アルベールは書倉庫の中をふらふらと、迷路を楽しむかのように歩き回っていた。
揶揄われている。
そう憤ったが、それは早合点だった。それがわかったのは、アルベールが本の山に足をぶつけ、床に倒したときだ。
『痛いな──。崩れたじゃないか。おまえのせいだ、戻すから手伝え』
ぶつぶつ言いながら、これを持っていろと数冊の本を手渡された。
生意気なやつだとむっとしたものの、本の表題を見てぴんときた。
(俺に教えるために、わざと床に積まれた本を倒したのだな)
感心する自分とは裏腹に、セオドアは我が主に対する態度が目に余ると憤慨していたが。
やはりアルベールは、わざと悪ぶっているのではないか。そんな気がしてならない。
しかしなぜ、そんなことをする必要がある?
ふと本から顔を上げたディアンは、アルベールの姿を探す。
「ディアン様、いかがされましたか」
視線を巡らせていると、セオドアが問いかけてくる。
「ああ……いや、アルベールはどうしているかと思ってな」
「飽きたのでしょう。随分前に出て行かれましたよ」
しばらく書倉庫の中を徘徊していたが、『こんな埃りっぽいところにいられるか』と出ていったという。
肩を上げ、やれやれと呆れ顔のセオドアの中では、アルベールはすっかり我が儘のろくでなし王子のようだ。
「もう、あのお方に関わらないほうがよろしいのでは?」
「まあそう言うな。アルベールのお陰で、いい資料を見つけられたのだから」
「偶然でしょう。あれで王子とは──ジェラルド陛下の弟君とは到底思えません」
アルベールへの愚痴がうっかり口から出そうになり、セオドアは一瞬思い止まる。だが、言わずにはいられなかったようだ。
(セオドアは、あの晩のことを根に持っているからな)
それはフランターナ国に到着した晩のことだった。
歓迎会だと酒を手に押しかけてきたアルベールに、大量の酒を飲まされたあげく、敵意を燃やすダリウスと賭けをさせられたのだから無理もない。
それも、ボードゲームで負けたほうが、裸で踊るという。
その賭けに、セオドアは負けてしまったのだ。
しかも屈辱で歯噛みしているセオドアに、アルベールはさらなる追い打ちをかけた。
腹にインクで悪戯書きをするという……。
(『腹芸』だとか言っていたな。アルベールはゲラゲラと大笑いしていたが……)
ディアンも相当な量の酒を飲まされた。お陰で目が覚めたのは、旅の疲れも相まってか、兵士たちが帰還の途についたあとだった。
ダリウスはどうにか見送りに間に合ったようだが、顔色は青かったらしい。
しかしなぜ、アルベールはあのような行動を取ったのだろう。
単に、バカ騒ぎをしたかった?
いつもこんなことをしているのかと問えば、自分と酒を飲みたがる者などいないという。敬遠されているのだと。
(ジェラルドの言うように、淋しさからくる反抗期だったとしたら……)
ふと、閉鎖的な空間で、冷ややかな視線を浴びながら過ごした王宮での暮らしを思い出す。
孤独──。
アルベールと自身の姿が重なる。
とはいえ、自分にはセオドアがいた。だから苦境にも抗えた。
アルベールには、そんな相手がいなかった?
だとしたら、自分がその淋しさを埋めてやりたい。そんな衝動に駆られる。
しかしディアンには、何より優先しなければならないことがある。
今は自身の心の欲求を、押さえ込むしかなかった。
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