第3話 面倒事

「アルベール様はどこだ⁉」


 夕陽が赤く染まり始めたころ。

 書物を手にアルベールの自室にやって来た教育係のアレフは、もぬけの殻になっていることに絶叫する。


「それが……また城を抜け出して、城下へ行かれたのではないかと──」


 アレフの声を聞きつけやってきた使用人が、首をすくめ事情を説明する。


「あれほど目を離すなと言っておいただろう! はぁー、まったく……。つくづく困った王子だ」


 手に負えないと、アレフは深いため息をついた。


 ──そのころアルベールは、使用人のなげきなど知ったことかと平民の姿を装い、意気揚々と酒場に向かっていた。


「アレフのやつ、今ごろ目をいてるかもな。──さて、今日はここにしてみるか」


 窓から店内をうかがい見ると、なかなかの賑わいだった。個々のテーブルには、数種類の料理が乗っている。羽振りのいい客が集まっている証拠だ。


(ここなら、何かしらの収穫がありそうだな)


 こうやって世を忍び、夜の町をぶらつくのは遊ぶためではない。ジェラルドの守るこの国を、陰ながら自分も守るためだ。


 今夜アルベールが出向いたのも、使用人が『町でよからぬことが起こっているらしいの』と噂しているのを耳にしたからだった。


「店主、ぶどう酒とチーズをくれ」


 カウンターに歩み寄り、メニュー表を差しながら注文する。


「──金は持ってるんだろうな」


 頭の先から足下まで一瞥した店主は、胡乱な目を向けてくる。


 薄汚れた格好をし、背を丸めたアルベールは、一見くたびれた労働者に見える。白い肌も煤で汚しているため、金を持っていないと思われたようだ。


「これで足りるだろう」


 小袋から銀貨を一枚取り出し、カウンターに置く。すると、店主は目を瞠り、ころっと態度を変えた。


「釣りがないんだが……ナッツをつけてやるから、いいだろう?」


 にたにたと笑顔を作り、丸め込もうとする。


「強欲だな。そうなると、ぶどう酒を三杯はもらうぞ」


「なんだ、意外と頭が回るんだな。まあいい、毎度あり」


 金の計算などできないだろうと、なめられたようだ。とはいえ、細かいことを言う気はない。ぶどう酒を追加することで手を打つと、店主は上機嫌で皿にチーズとナッツを乗せ、大きなコップに三杯分だと言ってぶどう酒を注いだ。


 それを手に、店の隅のテーブルに着いたアルベールは、恒例の情報収集を始める。


 酒の入った連中の声は、自然と大きくなるものだ。さして耳を欹てなくとも、そこかしこから会話が聞こえてくる。


 どこぞの貴族は横暴だとか、隣の家に赤ちゃんが生まれたとか、賃金が安いとか。

 酒場には、国民の愚痴と本音が溢れている。よからぬこと、についても何かしらわかるかもしれない。


 チーズを囓りながら、会話を聞き分けていると、早々に欲しい情報を拾う。


(物盗りだったのか)


 決まって夜に起こるらしいという情報に、どう警備をするべきか考える。そんな最中だった。


「──ジェラルド様はお美しいお方だよな」


 たとえ喧噪けんそうの中であろうとも、『ジェラルド』という響きは、否応なく耳が反応する。


「ああ、一度見たら、虜になる絶世の美人だ」


 友人同士だろうか。三十半ばに見える男がふたり、色事に花を咲かせていた。


(当然だ。兄様の美しさは、もはや神。もっと褒め称えろ)


 ジェラルドを賛辞する声に上機嫌だったアルベールだが、聞き捨てならない言葉を耳にしてしまう。


「女だったら、一晩中鳴かせてみたいよな、がははは……」


「そうだな、あの絹のような柔肌……あ~たまんねぇな、うひひひぃ」


 酔っ払いのれ言。わかっていても、腹立たしさから奥歯をギシギシと軋ませる。


(あのヤロー、兄様を愚弄ぐろうするとは許せん。天誅てんちゅう下してやるぞ!)


 頭の中であらぬ妄想をしているのかと思うと、脳ミソを掻き回してやりたくなる。


 そんな不穏なことを考えるアルベールだったが、新たな客の登場で気がそがれてしまう。


 その客は、この国では見かけない風貌の男だった。着丈の長い生成りシャツに、裾の絞られた茶色のズボン。足元は黒いブーツを履いている。

 肌は日に焼け褐色が強く、肩に毛先が触れる長さの髪は漆黒。体軀は逞しく、アルベールより一回り……いや二回りは大きいだろう。

 醸し出す雰囲気は、荒野に君臨する獣王のような孤高さを帯びていた。


 男はカウンターでぶどう酒を三杯頼むと、先ほどジェラルドを愚弄した酔っ払いのテーブルに近づいた。


「なあ、ぶどう酒奢るから、面白い話を聞かせてくれないか。俺は西から来た旅の商人だ。巡った国の先々で話を聞くのが楽しみでな」


 男はへらへらと笑みを浮かべ、へりくだった態度をみせる。


 密偵か──。


 うまくテーブルについた男は、相槌を打ちながら、巧みに情報を聞き出していた。


 そう、アルベールのことも。


「第二王子? いや~、ありゃあダメだ。いいのは見た目だけ。性悪で金食い虫の穀潰ごくつぶしさ」


「そうそう、ジェラルド様とは、天と地ほどの差があるな」


「へー、話の種に一度会ってみたいものだな、その性悪王子に」


 話に乗るように笑い声を立てる男だったが、長い前髪から覗く目は笑っていなかった。それどころか、一瞬落胆したようにも見えた。


(あの男……見覚えがあるような気もするんだが──)


 何を探っているのかも気になり、アルベールは接触を試みようと、深く帽子を被り直す。そして腰を浮かせたときだった。


(うん? なんだ……)


 三つ先のテーブルで、不審な動きをみせる親子が目に入る。


(れいの物盗りか──⁉)


 夜に起こる理由に合点がいく。

 感覚が鈍くなった、酔っ払いを狙うためだったのだ。


(なるほど、そういうことか)


 父親に連れられた小さな子どもが、客の上着のポケットから財布を抜いたのだ。背丈からしても、テーブルの下にくるポケットは狙いやすい。


 そして次の標的へ、父親は顎をしゃくる。その先には、あの商人だと名乗った男がいた。酒を奢っていたことから、金回りがいいと思ったのだろう。

 おまけに椅子の背もたれに、無造作にかけられた荷袋の紐が緩んでいることも、目をつけられた要因か。


(まずい。あの男は、見逃さない)


 そんな気がした。捕まれば、役所に突き出されるかもしれない。


 痩せ細り、表情のない子ども。父親に無理矢理やらされているのではないか。


 あの子の目は、精気を失っている。ただ呼吸をするのと同じように、罪を犯しているのだろう。それがあの子にとっての普通。


 自分の心を守るために、普通になってしまった……?


 アルベールは父親に対し、沸々と怒りが込み上げてくる。


 止めなければ。気づいたからには、助けたい。


 とはいえ、それは一時凌ぎに過ぎない。ほんの一握りを正しても、焼け石に水。だが、『国民が幸せであり、自身を高める意欲を与えられる王を目指したい』そう語ってくれたジェラルドの力になりたい。自分のできる方法で、だけれど。


 自身の座るテーブルから離れたアルベールは、千鳥足を装い男のテーブルに近づく。


「うわっ~とっと……」


 テーブルの脚に自身の足を引っかけ、派手に身体を傾げる。


「おい! 何やってんだよ兄ちゃん」


 驚いた酔っ払いの男が、倒れかけたコップを慌てて手で押さえた。


「いや~悪い悪い。飲みすぎた、あははは」


 テーブルに片手をついたアルベールは、もう一方の手を商人の男の肩へと伸ばす。そして力いっぱい肩を掴み、身体を支える体を装う。

 背後に立つ子どもに、振り返らせないためだ。


(手遅れだったか……?)


 男はなかなかの反射神経をしていた。アルベールが足を引っかける間際、助けようと手を伸していたのだ。背後の子どもの気配に気づいている可能性は否めない。


 ならば──。


「おまえも、驚かせて悪かったな」


 男の荷物へ伸しかけていた手を、さっと引っ込めたのを確認し、アルベールはわざと大きな声で子どもに話かける。


 注目を浴びたことで、もう窃盗はできないだろう。この場を立ち去るしかない。

 

 案の定父親は「帰るぞ」と、乱暴に子どもの手を引き、店から出ていった。心中では、『邪魔しやがって』と舌打ちしていることだろう。


「よっこらしょっと、騒がしくしたな」


 よろよろと身を立て直したアルベールは、ふらふらと身体を揺らしながら、そのまま外へ出た。


「どこだ、ろくでなしの父親は」


 視線を巡らせ親子を探す。


 いた、さほど遠くまではいっていなかったようだ。


 距離を詰めたアルベールは、酒場から外れた人気のない通りまであとをつける。


「とっとと歩け。ドジ踏みやがって。くそ、今日の稼ぎはこれっぽっちか、とんだ邪魔が入っちまったぜ。おまえがぐずぐずしてやがるからだ」


 横柄な態度で子どもに八つ当たりする父親に、アルベールは我慢ならなくなった。


「おい! ちょっと待てよ」


「あー! なんだと、誰だぁ。──チッ、おまえか」


 振り返った父親は、アルベールが先ほど邪魔した男だとわかると、舌打ちして顔を歪める。


「なあ、あんた、そのガキに盗みをさせているだろう。見てたんだぜ」


 アルベールは片頬を上げ、下卑げびた笑みを浮かべてみせる。


「はっ、何が言いたい? 自分の子でもねぇのに養ってやってるんだ。俺のために働くのは当然だろう」


(胸くそ悪い、何が養ってやってるだ。おまえが養ってもらってるの間違いだろう!)


 心中で憤慨するが、顔には出さない。それどころか、愛想よく取引を申し出る。


「いや~、よく仕込んだものだと感心してな。他にもいるなら、そのガキ、売ってくれよ」


「売れだと? 冗談じゃねえ、こいつはいい腕してんだ。今はこいつ一人で十分稼ぐからな、他はいないんだよ。食い扶持ぶちが増えるのはごめんだしな」


「食い扶持……その割に、そのガキは痩せこけているが?」


 自分はぶくぶくと太っていながら、なんて言い草だ。


「ふんっ、死なない程度に食わせてやってる。もういいだろ、売る気はねぇ」


 踵を返し歩き出そうとする男を、アルベールは自分の財布を振ることで足を止めさせた。


「どうだ、いい音だろう? 中身は全部、金貨だ」


「何、金貨だと──」


 男は生唾を飲み込み、財布と子どもを交互に見る。


「まあ、スラムに行きゃあ、いくらでもガキはいるしな」


 行け、と背を押し出された子どもは、躊躇いながらもアルベールの元へ歩み寄る。


「ほらよ、受け取れ」


 財布を放ると、飛びつくように掴み、即座に中身を確認し始めた。


「うひひひぃ、まさかこんなガキに金貨十枚の値がつくとはな」


 ご機嫌で帰っていく男の背に、アルベールは侮蔑ぶべつの籠もる視線を向けた。

 理不尽な目に遭う子どもの姿は、否応なく前世の自分に重なる。


(くそ、オレとしたことが。ちっとも国の細部に目が行き届いていないじゃないか)


 あのような大人に、どれほどの子どもたちの未来が閉ざされてきたのか。ジェラルドに、早急に対処してもらう必要がある。


「歳はいくつで、名はなんという?」


アルベールの前で、俯き所在なさげに佇む子どもに問いかける。するとわずかに肩を揺らし、恐る恐る顔を上げた。


「──マルクス。歳は……十歳? か十一……わからない」


 正確な歳がわからないのか、マルクスは首を小さく左右に振る。


「そうか……。マルクス、おまえはこれからどうしたい?」


「────」


「思いつかないのか? では選べ。好きな所で自由に暮らすか、オレのために働くか」


 金もなく、行く当てのない子ども。どちらが自分にとって最善か。この少年はどちらを選択するだろう。もちろん自由を選ぶなら、それなりの支度はさせてやるつもりだ。


 しばらくアルベールの目を見つめていたマルクスだったが、決意したようだ。

小さな手が、アルベールへと伸される。そして微かに震える手で、服の裾をキュッと握った。


「なかなか見る目があるな。──今までよく耐え、よく頑張ったな」


 膝を折り視線を合わせたアルベールは、その華奢きゃしゃな身体を優しく抱きしめた。


◇◇◇


翌朝──。


「キャー! アアア、アルベール様、そそその子どもはいったい……」


 耳にキーンとくる使用人の悲鳴に、アルベールは顔を顰める。


「ふぁ~、朝から大きな声を出すな。飲みすぎて頭が痛いのだ」


 アルベールは欠伸混じりに頭を押さえる。


「何事だ! 悲鳴が聞こえたが」


 何かと小言の多いアレフが、血相を変え寝室にやって来た。


「アルベール様が、子どもを連れ込んで……」


 あわあわとする使用人が口走った言葉に、気だるげに身を起こしたアルベールは目を据える。


「おまえ、オレを愚弄するつもりか? 連れ込んだなどと」


 確かに昨夜連れ帰ったマルクスを、自分のベッドに寝かせはしたが。


「いっいえ、申し訳ございません」


「はぁー、アルベール様、あなたという人は。さあ、ご説明を!」


 盛大なため息をつくアレフに詰め寄られる。


「酔っていたからな~。よく覚えていない。多分拾ってきた」


 片膝を立て、何食わぬ顔でさらりと言う。

 

「拾った……さらってきたのですか!」


 なんということだ。自分の教えが台無しだというように、アレフは頭を抱え顔面蒼白だ。


(アレフのやつ、とうとう犯罪まがいなことにまで手を染めたと思っているな)


 アルベールなら、やりかねない。日頃の行いを思えば、疑われても文句は言えないが。


「心配するな、こいつは孤児だ。行く当てもなく彷徨っていたからオレが拾った。人助けだ。オレもたまにはいいことをすると思わないか」


 そう言ってアルベールは豪快に笑う。しかしアレフは嘆息し、呆れた顔だ。


「そうだ、オレの小間使いにちょうどいいではないか。おまえたちも、オレから解放されて何よりだろう」


「またそのような戯れ言を──」


「アレフ、いい仕事をやろう。こいつはマルクス。三月で、立派な小間使いに育てろ。ゆくゆくは、このアルベール様の側近になるに相応しいほどのな」


 有無を言わせず、優秀なおまえならできるだろうと挑発する。それに、今さら町に放り出すなど、王子として外聞が悪いだろうと。


「承知しました。このアレフが、立派な小間使いに教育いたしましょう」


 アレフはプライドの高い男だ。アルベールが、『できないなどと言わないだろう?』という態度を取れば、意地でも成し遂げようと躍起になることはわかっていた。


 四十代半ばの、ややつり目の生真面目なアレフは、国王が悪戯を止めない息子を更生させようと、アルベールが十歳のときにつけられた教育係だ。かれこれ八年の付き合いになる。

 

(こいつは、オレの従者であることが不満だからな)


 ジェラルドの従者であったなら、自身の能力を遺憾いかんなく発揮できるのに。そう思っているのが言動の端々に伺えた。


 ならば、その能力とやらを発揮できる場を与えてやればいい。

 

「だとさ、マルクス。しっかり学んで、ここへ戻ってこい。こき使ってやるから、覚悟しておけよ」


 悪辣あくらつな笑みを浮かべ、身を固くして話を聞いているマルクスを見据えた。


 自分は悪役。助けてくれた、優しい王子だなどと思われては困る。酒に酔っての気まぐれで、拾われたのは運が悪かったなとうそぶく。


 しかしマルクスは、慕うような視線を向けてくる。


 アルベールはその純粋さに耐えられず、「早く行け」と、鬱陶しそうに顔を顰め、マルクスを追い立てるのだった。


            ◇◇◇

 

 ──数ヶ月後。


「アルベール様、入りますぞ」


 自室のソファーに寝転がり、読書にふけっていたアルベールは、素早くクッションの下にそれを隠す。


「アルベール様……まただらだらと。さあ、起きてください。陛下がお呼びです」


「────」


 寝た振りを決め込み返事をしないアルベールに、アレフはなおも声をかけた。


「アルベール様! 何がなんでも起きていただきますぞ!」


 諦めてはくれないようだ。仕方ない、起きてやるか。


「ふぁ~あ。なんだよ、うるさいな。マルクスはどうした、孤児院か? おまえが呼びに来るなど、嫌な予感しかしない」


「いいえ、名誉なことですぞ。さあ、早くお支度を」


 アレフに急かされ、アルベールは身支度を調えるべく洗面室へと消える。


「あのお方に務まる任務とは思えないが、陛下は何をお考えか……」


 ため息交じりに呟くアレフの声を盗み聞く。

 先行き不安だ、我に任せてくれまいか。

 アレフのため息に込められた心情を察する。


「アレフのあの様子……これはただ事ではなさそうだな」


 二月前、国王であった父親が亡くなり、第一王子のジェラルドが跡を継いだばかりだ。何か問題が起きたのだろうか。


 そう思うものの、ここのところ町でいざこざは起きていないはずだった。マルクスに窃盗をさせていた男も、今は牢の中だ。


(まあ、密告したのはオレだけどな)


 町の不憫ふびんな子どもたちの実状を知ったジェラルドは、早急に孤児院を設立した。その施設の子どもたちの教育係を任されたのが、マルクスだ。


 もちろん、ジェラルドにマルクスを推薦したのはアルベール。


 孤児たちは大人に虐げられてきたのだ。役人に偉そうに管理されては、反発心が募るだけ。その点マルクスなら、境遇を理解してやれるし、アレフから学んだことを教えてもやれるだろうと。


 事実、アレフの元から帰ってきたマルクスは、見違えるほど成長していた。十分に国王の期待に応えてくれるだろう。


(まあ、アレフの頑張りも、褒めてやるべきかな)


 自分の前に、マルクスを連れてきたときのアレフを思い出すと愉快になる。『私の実力、思い知ったか』と言わんばかりの勢いだったのだ。


(な~んて、絶対に褒めてやらないけど)


 こうして新たな施設ができたことで、働き口を得た者もいる。よって、今では新国王ジェラルドの人気はうなぎ登り。アルベールにとって、何より喜ばしいことだった。


 そんなジェラルドを困らせる事案があると? 


(ならばこのオレが、兄様の憂いを晴らそう)


 自信はある。若き国王を陰で支えるべく、これまでひっそりと勉学にはげんでいたのだから。

 治安維持のために、お忍びで町の状況も把握している。城の者は、夜な夜な城を抜け出し、遊んでいると思っているが。


「アレフ、もう下がっていいぞ。執務室くらい、一人で行ける」


 身なりを整えたアルベールがそう言うと、アレフは「隙を見て逃げるおつもりでしょう」と目を吊り上げる。


 普段があれだけに、信用されないのも頷ける。


 けれどアルベールは、食い下がるアレフを退け、国王の執務室へと向った。


          ◇◇◇


「よく来たねアルベール、ここへ座りなさい」


 朗らかな笑みを見せ机から離れたジェラルドは、ソファーへ移動し、向かい側に座るようアルベールを促す。


「兄様、顔色が優れないようですが、無理をなさっているのではありませんか」


 笑みで体裁を繕っても、青白さまでは隠せていない。ジェラルドは優れた人だが、いかんせん虚弱体質だった。


(本来なら、至って健康なはずなんだけどな……)


 身体を取り替えられたらいいのに。どうして身体が弱いのが、自分ではないのだろう。


「心配してくれてありがとう。この件が片づいたら、少し休ませてもらうから大丈夫だよ」


 そう前置きし表情を引き締めたジェラルドは、アルベールに頼みたいことがあると口にした。


 至極真剣な眼差しを向けられ、何をさせる気だと身構える。


「半月後、国を一つ跨いだ異国から来賓が来る。トシャーナ国第三王子、ディアン・フォロスターだ。滞在は三月、その間の接待を任せたいのだ。これはアルベールにとっての、初公務だよ」


 受けてくれるだろうと微笑まれる。


(嫌だ! なんとかかわさなければ)


 アルベールは目を潤ませ、自分に公務など務まらない、不安で夜も眠れないと上目遣いでジェラルドを見つめる。


 するとジェラルドは眉尻を下げ、心配げな表情に変わった。


 アルベールの悪役ぶりを知らない者が見れば、『おまえは何もしなくていいよ』とほだされてしまいそうだ。

 見た目だけは可憐な美青年。白皙の肌が、さらにか弱さを演出し、庇護欲を掻き立たせていることだろう。


 とはいえ、長きに渡り悪役を勤めてきたせいか、目はややキツくなってしまったが。


「いけない……私は心を鬼にする。アルベールは、もう十八だ。これまで成人として、一度も公務を果たしていない。私は耐えられないのだ、おまえを悪く言われることが」


「兄様……」


 自分の悪評が、若き国王を苦しめている。


 わかっていても、悪役を辞めるわけにはいかないのだ。もし自分が豹変し、やり手の王子となれば、王位交代などと担ぎ出そうとする輩が現れるかもしれない。


 それだけは、絶対にあってはならない。


「ですが、ますます悪評を集めることになっても知りませんよ」


「アルベールならきっとできる。私は信じているよ」


 信頼を裏切るようで、ジェラルドには申し訳なく思う。けれど、その思いには応えられない。

 とはいえ、悪評を最小限に留める努力はしよう。これ以上、ジェラルドの心労を重くするのは憚られる。


「私で役に立つのかは疑問ですが、やってみます。ところで、三月もなんの目的でこの国へ来るのですか」


「ディアンは我が国の政を学びたいのだそうだ。今、彼の国はいろいろと大変のようでね。アルベールは彼のこと、覚えているかな。数年前、この国に招いたことがあったのだよ」


 もちろん覚えている。端整な顔立ちの、クーフィーヤを被った男。


(はっ、まさか、滞在中に兄様を口説くつもりではないだろうな!)


 監視だ、監視!

 

「そういえば、記憶の片隅に覚えがあります。しかし、面倒事は遠慮するべきでは?」


 いろいろ──。


 ジェラルドの憂いを帯びた表情から、なんらかの事情を知っていることは窺える。


「そう言わないでくれ。ディアンは誠実で、私と同じ思想と志を持っている努力家なのだ」


 だから力になりたいという、ジェラルドの気持ちは尊重したい。けれど特別なことはしないし、普段どおり振る舞うことは念押ししておいた。


「きっと気が合うと思うよ。彼は一風……個性的で楽しい男だ」


 言葉は濁したが、言外に変わり者同士馬が合うだろうと言ったも同然だ。


「相手が機嫌を損ねたときは、お役御免にしてください」


「善処するよ」


 嬉しそうに微笑むジェラルドを前に、もう拒むことはできなかった。


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