第2話 異国の男

「兄様の邪魔をするやつは、オレがこの手で、火種のうちにすべて消してみせる」


 しかも、悪役のままで。


 とはいえ、今のアルベールは十歳。中身は大人だけれど。


「子どもの悪戯いたずら範疇はんちゅうとどめるには……」


 この加減が難しい。過ぎた行いは恨みを買い、自分自身が破滅する。それではジェラルドを守り、陰ながら支えることができなくなってしまう。


「やつは小者だ。少し脅せば逃げ出すはず」


 ゲームでは、三年後にジェラルドが犯罪に気づき裁くのだが、それでは遅い。そのころには、城の台所事情に影響が出てしまっているのだ。


 早い段階で、対処しておく必要がある。が、しかし……。


 アルベールは悪役。手柄を立ててはならない。周りに真相を気取けどられることなく、自ら出て行かせなければ。


 これこそが、悪役としての『』だとアルベールは考えている。


 とはいうものの、今回は名案が浮かびそうで浮かばない。外に出れば何かひらめくかと、使用人の目を盗み、部屋から抜け出してきたというのに。


(もう今日は諦めようかな)


 そう思ったときだった。

 ふと視界の端に、何やら動く影が映つる。


「あ……ネコだ。ふふふ、オレって最高」


 アルベールは自身の奇策に満悦し、優雅に微笑んだ。


         ◇◇◇


 ネコの捕獲に成功したアルベールは、その胸に抱き厨房へと向かう。


「おい、ベルガ! 何もたもたしてやがる、早く湯を沸かせ!」


 足を忍ばせ厨房内を窺い見ると、昼食の準備で料理人たちが忙しなく動き回っていた。小太り中年男のオリバーも、相当苛々しているようだ。ふてぶてしい顔で、そばを通った少年の尻を蹴飛ばした。


(偉そうに、たかだかコック長代理の分際で)


 おまえの手際が悪いからだろう!

 

 と言ってやりたい衝動を、なんとかこらえる。


「頼むぞ、派手に暴れてくれよ」


 アルベールは厨房に向って、腕の中のネコを手放した。


「うおっ⁉ なんだなんだ。誰だ、ネコを入れたのは! 早く外へ摘まみ出せ」


 オリバーは目を剥き、「こっちに寄こすなよ」とわめき散らす。どうやらネコが苦手のようだ。厨房の隅へ逃げる姿はへっぴり腰で、いつも威張り散らしている姿とは別人だ。


(あ~、オリバーが大きな声を出すから、ネコが怖がってるじゃないか)


 おまけに追いかけ回され、ネコは右往左往しながら厨房内を走り回っている。オロオロするオリバーは見ていて愉快だったが、これ以上放っておくと、怪我人が出る可能性もある。


 それはアルベールの本意ではなかった。


「ぼくのネコをいじめるとは、どういうつもりだ!」


 子ども特有の高い声で、腰に手を当て怒ってみせる。


「っ! ア、アルベール王子のネコでしたか。どおりで可愛らしいネコだと思いましたよ」


 突然姿を現したアルベールに、オリバーはたじろぐも、おべっかを口にする。胸の前で手を揉み、猫撫で声だ。虫酸が走るが、今は我慢するしかない。


「待って、ダイリ。勝手に食材を食べてはダメ! 泥棒だよ、泥棒。誤魔化しても、ぼくは知っているからね」


 ネコをダイリと呼び、「ダイリは泥棒ネコ」と叫びながら、まな板に乗せてあった魚を手にする。


「探し物、あったよ」


 好物を目にしたネコは、「ニャー」とひと鳴きし、勢いよく飛びついてくる。


「やっと捕まえた。こんなに厨房を荒らして、いけない子だね。どうしてくれよう。──やはり……悪いことをした者には罰を──そうだろう、コック長


 オリバーのそばに歩み寄り、囁くように告げ見据えると、ヒュッと彼の喉が鳴る。


「速やかに身を引けば、見逃してやろう。図々しく居座るなら……国王陛下に報告しようかな」


 ネコの頭を撫でながら、視線はオリバーから離さない。


 これで自分のことだとわからない、なんてことはないだろう。よほどのバカでない限り。


 顔色をなくし身震いするオリバーは、アルベールの言わんとすることを正しく理解したようだ。


「騒がせたな」


 厨房内は、落ちた鍋や小麦粉で大変な有様になっていた。しかしアルベールは、何事もなかったかのように厨房をあとにする。


「ほら見て、またアルベール様が悪戯しているわ」

「困った王子様ね。ジェラルド様とは大違いね」


 騒ぎを聞きつけ、遠巻きに様子を窺っていた城の使用人たちは、アルベールが立ち去ったと思い陰口を言い始める。


(その調子その調子。この城の使用人は、陰口や噂話が好きで助かるよ)


 壁に身を隠し聞き耳を立てていたアルベールは、自身の悪評ににんまりする。


 次期国王でなくてよかった? 


 そんなことは、言われなくともアルベール自身が一番よくわかっている。


(次期国王は、ジェラルド兄様が相応しいに決まっているのだから!)


 穏やかで優しく、聡明で正義感の強い第一王子であるジェラルド。彼の株を上げるためなら、自分は悪役でいい。


「怖い思いをさせて悪かったな。助かったよ、ありがとう」


 庭に出たアルベールは、抱いていたネコをそっと地面に下ろす。


 これでまたひとつ、もめ事の火種がなくなった。

 晴やかな気持ちで、ネコを見送るアルベールだったが……。


「アルベール、こっちへおいで。──また、使用人を困らせたと聞いたよ」


 背後から、嘆息混じりに声がかけられる。振り向くと、弱り顔のジェラルドが手招きしていた。けれどアルベールは意に介さず、満面に笑みを浮かべ駆け寄る。


「ジェラルド兄様!」


 勢いよく、飛びつくように腰に抱きつく。


「ふふ、私には、素直で可愛い弟なのだが……どうして悪戯ばかりするのだろう」


「──普通にネコと散歩していただけです」


 大好きなジェラルドにため息をつかれ、アルベールは口を尖らせる。


「普通に散歩? 厨房にネコを放つことが?」


 やれやれと呆れたように眉尻を下げ、それでも頭を優しく撫でてくれる。


(あぁ……温かい兄様の手だ。まるで真綿で撫でられているみたいに気持ちいい)


 もっと撫でてと、アルベールは見た目の年相応に甘える。


 若干、度を超しているとは思う。けれどそれは仕方のないこと。なぜならアルベールは、自他共に認めるブラコンなのだから。これも前世、シスコンだった名残だろう。


「あの、ジェラルド兄様。いつになったら、ぼくとボードゲームしていただけますか」


 昨年十八歳を迎えたジェラルドは、公務にも携わるようになり多忙を極めていた。お陰で思うように構ってもらえず、アルベールは憤懣ふんまんやるかたない。


「ごめんよアルベール。まだ約束できそうにないのだ」


「そうですか……。わかりました。兄様は、国のために頑張っていらっしゃるのだから、ぼくが聞き分けのないことを言っていてはダメですよね」


 にこりと微笑むと、ジェラルドはほっとしたように吐息を漏らす。


「二年ぶりだというのに、淋しい思いをさせてすまない、アルベール」


 隣国の貴族学院から戻ってきての、久々の再会。どれほど待ち侘びていたことか。

  

 会えなかった二年の間に、ジェラルドはますます美しくなっていた。風になびく銀色の長い髪はさらさらで、澄んだ紺碧の目に肌は新雪のように綺麗だ。白の軍服も、ジェラルドの美しさを引き立てる脇役といっていい。


 一方のアルベールは、白いシャツにネイビーの半パンという姿だが、ジェラルドに引けを取らない美しさを誇っていた。

 天から降り注ぐ太陽光で輝きの増す金髪は、短いけれどやわらかくふんわりとしている。目の色はあずき色で、この国では珍しく自身も気に入っていた。


 ジェラルドが儚げな美人なら、アルベールは可憐な天使といったところだ。性格は、まったく可憐ではないけれど。


「いいえ。城に兄様がいてくれるだけで、ぼくは嬉しいのですよ」


 溢れんばかりの兄弟愛を、全身で伝える。とそのとき。


「おーい、ジェラルド、まだか?」


 少し離れたところから、ずっとこちらを見ていた異国の男が、待ちくたびれたのか声をかけてきた。


「ああ、今行く。またね、アルベール」


 あぁ……いってしまわれた。


 背を向け去っていく後ろ姿を、寂しげに目で追う。


 アルベールの哀愁の籠もった視線に気づかないジェラルドは、「待たせたな」と手を上げ異国の男に微笑む。


「あっ! 気安く兄様に触れるなんて、信じられない──あの男、下心があるのではないだろうな。兄様との貴重な時間を邪魔したあげく、肩に手を置くだと! なんてやつだ。おまえなんか、早く国へ帰ってしまえ!」


 先ほどまでの哀愁は一瞬で消え去り、悪態をつく。そして射貫かんばかりに、男の背を睨みつける。


 そんな視線に気づいたのか、男が不意に振り返った。


(ふん、構うものか。もっと睨んでやる)


 臆することはない。何せ自分が構ってもらえない理由の一つが、あの男なのだから。


 ディアン・フォロスター。ジェラルドが貴族学院で親しくなった学友だ。


 ゆったりとした丈の長い衣服は、目の覚めるような青色で、腰には革紐が巻かれ短剣を携えている。頭は生成りのクーフィーヤで覆っていて、まるで砂漠の民のようだった。長身で精悍な顔立ちではあるが、青年に成り立ちの初々しさも残っている。


(おかしい……本来なら、ここで登場するのはトシャーナ国第二王子、エドモン・フォロスターのはずなのに。あんなキャラ、いたか……?)


 アルベールは本来にない、新たな登場人物に戸惑う。


 ゲームどおりにはいかないということか……。


 そもそもアルベールは、ジェラルドと不仲な設定だ。そんな自分が大好き前開なのだから、独自なルートを辿っていても不思議はない。


 もはやここは、プログラムされたゲームの世界ではない。現実なのだ──。


      ◇◇◇


「遅い昼食になってしまってすまない、お腹が空いていただろう?」


 食堂でディアンと向かい合って座るジェラルドは、申し訳なさそうに謝罪を口にした。


「いや、大丈夫だ。気にするな」


 とはいえ、その心情は理解できる。昼食の遅れた原因が、弟の悪戯のせいとあっては立つ瀬がないだろう。


「ひとつ尋ねるが、ジェラルドの弟は双子か?」


「いや、私の弟はアルベールだけだが」


 なぜそんなことを問われるのかと、ジェラルドは不思議そうに首を傾げる。


「あの厨房での騒動が、幻ではないかと思ってな。先ほど見た、君に向けるあの子の笑顔は、とても愛らしかった」


 背中に感じた、刺さるような視線。あの弾けんばかりの笑顔を見たあとでは、アンバランスさに混乱するというもの。


「なんというか……反抗期なのだと思う。使用人には悪いが、発散に付き合ってもらっている」


 苦笑を浮かべ、きっと時がくれば、悪戯も落ち着くだろうとジェラルドは言う。


「悪戯? 反抗期とはいえ、正してやるべきではないのか」


 あれは悪戯で片づけるべきではない。あの子のためにならないし、ますます助長したらどうするのだと、ディアンは苦言を呈する。しかしジェラルドは、


「アルベールは、お母様の記憶がほとんどないのだ。二歳になる前に、亡くなってしまったからな。私には愛された記憶がある。──しかしアルベールは……淋しさから、あのような行いをしてしまうのだと思う。もっと私が構ってやっていたら……」


 自分にも責任があるのだと、顔をかげらせる。


 淋しさから……?

 

 果たしてそうだろうか。アルベールの目は光を失っていなかった。それどころか、鋭い眼光からは強い意志さえ感じた。とても精神を病んでいるようには見えない。


 しかし口を出す立場にないディアンは、アルベールという人間の行く末を案じることしかできなかった。


     ◇◇◇


 十日後、アルベールは庭園の木の枝に座り、高所から帰路につく男の馬車を眺めていた。嬉しさから、自然と足がぶらぶらと動く。


「やっと帰ったぞ。これで兄様と、ゆっくりお話しできる」


 などと浮かれている場合ではない。今後あのディアンという男が、どう関わってくるのか。それにディアンだけではない。ゲーム内にはいなかった人物の登場も、続々と現れる可能性は大いに考えられる。たとえ見知った人物だったとしても、性格が同じとも限らない。


(先入観は危険だな。一から人間観察するしかなさそうだ)


 これから自分は、どんな未来に向かうのか。いや、向かわせるのかだ。


 舞台の基盤となるものは、変わらないはず。


 ならば──自分は悪役王子になりきり、平和的解決に努める。


 この姿勢は揺るがない。何があろうと、ジェラルドの栄光の未来を妨げてはならないのだから。


(早急に、確固たる名声を兄様に!)


 そう決意した日から──。


『ますます悪戯に磨きがかかったぞ』


 そう陰で囁かれ続け早八年。


 アルベールは国中の民が中傷するほどの、悪役王子になっていた。

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