職場に慣れてみよう(2)


 酒場の二階は、主に従業員の生活区間だ。

 従業員全員分の部屋が振り分けられていて、それなりに広い。一人部屋だと考えると十分……いや、それ以上だ。ちょっとした高級な宿屋よりも広いスペースで、質もかなりいい。


 そんな中、マギサのみが二つの部屋を使っていて、片方は事務室、もう片方は私室と使い分けているらしい。

 私がザインに案内されたのは事務室のほうだった。


「あら? よく来てくれたわねぇ」

「……お? もう終わったの?」


 中には部屋の主人であるマギサと、店主のフィーナが談笑していた。

 ……キセルの臭いを消すためだろうか。若干香水の匂いが強い。


「それじゃ、私は邪魔だろうから退散するね」

「フィーナも一緒にいてもいいのよ?」

「タイマンで話をしたほうが馴染みやすいでしょ」

「……それもそうねぇ。それとフィーナ?」

「ん? なに?」

「タイマンって言葉、使い方間違っているわよぉ」

「なんと!?」


 フィーナはショックを受けたように体を硬直させ、とぼとぼと部屋を出て行った。

 その背中は本気で落ち込んでいるようで、なんか……本当に彼女が店主なのか? と疑問に思ってしまうほど弱々しかった。


「不思議に思うでしょう?」

「えっ?」

「フィーナのこと。あれで本当に店主なのかって表情をしているわよぉ」

「──っ!」

「ふふっ、そんなに警戒しないで。手に取って食おうなんて思っていないのだから」


『僕よりも面倒な相手なので、お気をつけて』


 ザインが言っていたことが、今になってよくわかった。

 確かにマギサという女は、俺にとって相性の悪い相手なのかもしれない。

 戦いで例えるのなら、俺が正々堂々と戦うタイプなら、彼女はありとあらゆるもので絡め手を用いるタイプだ。


「商売を専門にしているせいで、相手の思考を読み取るのが癖になっているのよ。気を悪くしたなら謝るわぁ」

「……いや、気にしないでくれ」

「…………ふぅん? あなたは優しいのね。フィーナが気に入る理由がよくわかったわ」

「フィーナが? 私のことを?」

「まさか、気付いていなかったの?」

「…………」

「まぁ、そうよねぇ……まだ会ったばかりだもの。普通は気に入られているって思わないわね」


 もう俺が何を言わなくても会話が成り立つのでは?

 そう思ってしまうほど、彼女の感情を読み取る能力は異常だ。いくら騙し合いに慣れている貴族でも、ここまでの者はいない。


「そうでもないわ。会話ってのは、互いに口にして話すから『会話』が成り立つものよぉ」

「もはや読心術の極みだな」

「お褒めに預かり光栄よぉ」


 マギサは怪しく笑う。


「それじゃあ、質問に答えるわねぇ。フィーナは店主よ。あなたが思っている裏支配人ってのは存在しないわ」


 思いがけない言葉に、体が硬直してしまった

 裏支配人を疑っていることまでバレていた? そんな馬鹿な……。


 やはり、彼女は危険かもしれない。

 下手をしたら俺の目的も……いや、思考すらも読み取られてしまうなら、今後彼女の前では変なことを考えないようにしよう。


「フィーナは、ちゃんと仕事が出来ているのか? ……ああ、いや、経営が続いているのだから問題はないのだろうが、やはり初見では信用できなくてな」

「ふふっ、そこはバッチリ……と言いたいところだけれど、経営に関しては私の一任よ。フィーナは、そうねぇ……客寄せのマスコットかしら? 雰囲気作りならお手のものよ」


 俺はその場でコケた。

 店主としてそれはいいのか? もう少し何か特別な仕事を任されていると思っていたのに、まさか雰囲気作りとは。


「それが一番大事でもあるのよ。あなたは、みんなを見てどう思ったかしら?」

「……いい雰囲気だ。居心地がいいな、と」

「そう、それよ」


 キセルの先端をビシッとこちらに向ける。


「結局は居心地のいい職場ってのが、私達のような従業員が不満なく仕事できる環境なの。彼女は一生懸命に、それを保とうとしてくれているのよ。それが長として重要なことだと思うわ。……だから私達は、あの子の望む世界を実現させるために働くのよ」


 そんなことを言いながら、マギサは昔を思い出したように遠い目をしていた。


「ふぅ……どうしてそこまでフィーナを信用しているのか。って顔をしているわね」

「……そうだな」


 やはり、俺が何を言わなくても問題はないではないか。


「私を含むここの従業員は、フィーナに恩があるのよ。だから彼女に恩を返すため、私達は彼女に尽くすのよ。ただそれだけの理由」

「……単純なのだな」

「ふふっ、わかりやすいでしょう?」


 マギサは楽しそうに笑った。


「ああ、全くその通りだ」


 俺もそれに釣られて笑った。


 ──マギサ。聞いていた通り面倒な相手だ。

 しかし、なんだかんだで俺の疑問を全て解決してくれた。根は優しく、芯もしっかりしている女性だということが、今回の話し合いで深く理解した。

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