第33話 幸せの形

 夫婦仲が冷え切っていたと思われていた俺たちが、突然仲良くしだしたことで、城内は一時騒然となった。

 まあ仲良くなった次の日、全ての予定を半日ずらすという失態を犯したのだから、仕方もないだろう。


 とはいえ、リュミエールは相変わらず氷結顔で、皆の前では表情筋一つ動かさないし、俺と二人きりでも、スンッとした態度をとる。

 長年染みついた習慣は、中々変えられないようだ。


 ま、そいつを崩すのが、最高に楽しいんだけどな‼


 一時は何故か知らんが、俺が前妻を恋しく思い、リュミエールに重ねているほど疲弊しているのでは? という噂が上がったが、ビアンカまでもがリュミエールとの関わり合いを積極的にもつようになったこと、ビアンカを憎んでいると噂されていたリュミエールが穏やかに接していることから、三人の関係に変化があったのだと、ようやく皆の認知が変わってきたのが最近。


 まあそれでも、


「陛下! あの女に何を誑かされたのですか⁉」


 などと言って、仕事中に乗り込んでくる愚か者俺の叔父もいたが、こちらが時間をかけて懇切丁寧に説明してやったら納得してくれたようで、最後は泣きながら土下座をして謝罪してくれた。


 その後、側室のことや、リュミエールへのあたりが強いなと思ってたので、どしたん、話聞こうか? と優しーーーーーーーーく相談に乗ってあげたら、叔父は、とある貴族と懇意にしていたらしく、その貴族の娘を俺の側室にしようと計画していたのだと素直に話してくれた。


 とりあえず、残った髪の毛をむしりながら丁重にお断りしたので、二度とこんな俺の意にそぐわないことは考えないと思う。


 やはり対話は大切だ。

 叔父の事情も分かったし、その上で俺の希望も伝えられたし。


 平和的に物事を解決するには、対話はやはり欠かせないな!

 ヨシ!


 それからは、平和な日々が続いている。

 俺が鏡を壊してから、もう二ヶ月ほどが経過しただろうか。


 ビアンカは城にはいない。

 リュミエールと和解してから数日後、再び大神殿に行き、聖女修行に励んでいるのだ。


 聖法の使い方や、邪祓いの際、七人の妖精聖騎士たちとどう連携していくかなどを中心に、毎日修行に励んでいると、時折届く手紙に書いてあった。


 きっと、過酷な修行を積んでいるのだろう。

 しかしビアンカの手紙には、そんな辛さをおくびにも出さず、出来なかったことができるようになった喜び、邪祓いに対する手ごたえなど、ポジティブな内容が書き綴られていた。手紙の最後に書かれた、


”お義母様は必ず救います!”


 というビアンカの決意を見た俺とリュミエールは泣いた。


 ビアンカの健気さと気遣い、優しさ、そして、丸っこく書かれたまだつたない文字の可愛さに、【白雪姫をでたおす会】会員の俺たちは泣き、手紙の前で祈りを捧げた。


 娘への愛情が信仰に代わりそうになりつつも、穏やかな時間が過ぎていった。

 世界を滅ぼす邪纏い【狭間の獣】の存在など忘れてしまいそうになるほどの、穏やかな時間が――


 そして今、俺たちは、庭園のチェリック通りにやってきている。


「すっかり、散ってしまいましたね」

「ああ、そうだな」


 リュミエールの残念そうな呟きに、俺は頷いて答えた。

 二ヶ月前はまだ満開だったチェリックだが、さすがにもう花は散っていて、青々とした緑の葉っぱが覆い茂っている。


 チェリックの花が散ったあと掃除をしたのだろう。

 ピンク色の絨毯だった地面も、茶色い土に戻っていた。ここ数日、晴れた日が続いていたし、流石にもう地面がぬかるんで歩きにくいということはないだろう。


 でも、


「リュミエール、手を」


 彼女に向かって手を差し伸べる。

 初めて二人でこの道を歩いたあのときと、同じように――


 リュミエールは、俺の手を少し見つめたのち、


「……ありがとうございます」


 恥じらいながらも、そっと手を重ね――俺がその手を握ると、嬉しそうにはにかんだ。どれだけ身体を重ねても、ふとしたときに見せる恥じらいの表情は、無垢な少女のように初々しく見えて、その都度、心に甘美な痺れがまわる。


 くっそ……自慢したい。

 俺の嫁が、滅茶苦茶可愛すぎて辛いって、匿名でメッチャ発信したい‼


 この世界が、まだそこまで付いてきていないことを残念に思いつつ、俺たちは手を繋ぎながら、緑のトンネルを歩き始めた。

 茂った葉っぱが日差しを遮り、心地の良い風が吹き抜けていくから、とても気持ちが良い。


 チェリックの木々を見ている、と見せかけて、繋いだ手の温もりに、めっちゃ意識を集中させていると、


「レオン様、ちょっとお待ちください」


 リュミエールが足を止めた。

 ドレスの隠しポケットをゴソゴソしたかと思うと何かを取り出し、俺に手渡してきた。


 白い紙に包まれた中にあったのは、花びらを一枚一枚丁寧に広げて乾燥させた、チェリックの花だった。


「押し花、か?」

「はい。以前、あなた様から頂いたチェリックで作りました」


 以前俺があげたって……もしかして、あれか?


 リュミエールの髪の毛についていたチェリックの花弁を、俺がとったアレか?

 それを彼女が密かに持って帰っていて、ポチに、


”感動のあまり、永久に保存できないか、方法を模索中です。もし何か良い案があれば教えてくださいね?”


 って、めっちゃ不穏なことを言ってたアレか?


 良かった。

 邪法で永久保存することは諦め、人間が出来る可能な保存方法を選んでくれたんだな。


「……結局、押し花にしたのか」

「そのご反応は……も、もしかして……見て、おられた、のですか……?」

「少しだけだ。永久保存できないか、邪纏いの鏡に聞いていたくらいで……」

「見てます! 全部、ご覧になってるではありませんか! もうっ……い、一体いつから鏡に成り代わられていたのですか……」


 そう言いながら、リュミエールは頬を赤くする。

 だが彼女の質問にはあえて答えず、押し花を返しながら笑いかけた。


「そんなにチェリックの花が名残惜しいなら、年中チェリックの花が楽しめる、暖かな地方の土地を買おうか? 別荘でも建てて、休みの時に過ごすのもアリだな」


 素晴らしい思いつきだと思ったが、リュミエールは大きく目を見開くと、慌てて首を横に振った。


「い、いえ! そこまでしていただくわけには……私はただ……」

「ただ、どうした? 何か他に希望があるなら、良い機会だから言え? 土地に限らず、宝飾品でもドレスでも、世界の半分でも」

「せ、世界っ⁉」

「冗談だ」


 とは言いつつ、ちょっと頭の中でシミュレーションしてる自分がいる。


 多分俺、好きな人が出来ると権力持っちゃ駄目なタイプだ。好きな人のために何でもしちゃって、最終的に自国滅ぼしそう。


 そんな俺の不安を余所に、リュミエールは口ごもりながら、繋いだ手に力をこめた。

 俺を愛おしそうに見つめる瞳の中に、僅かに寂しさの陰が見える。


「来年も……また同じように、チェリックの花の中を歩きたいです。そのときは、ビアンカも一緒に……」


 浮かれていた気持ちが、一気に冷めた。


 ――来年。


 何も知らなければ、特別な意味を持たない単語。

 絶対にそのときが来るのだと、当然なのだと、疑うことすらしない、当たり前の感覚。


 だけど全てを知った今の俺たちにとって、たどり着けるか分からない――場所。


 狭間の獣を祓う方法はある。

 チート能力もある。


 なのに、何だ。

 この得体の知れない不安は。


 ファナードの女神は、チート能力で狭間の獣を祓うだけでは駄目だと言った。きっとそれが、俺が全てを知っても世界を救えなかった要因なのだろう。


 なら、ビアンカの一回目の人生は?

 あのとき、リュミエールは処刑されることで、獣を祓ったはずだ。


 なのに、どうして世界はまだやり直し続けている?

 世界を滅ぼす存在を祓ったんだろ?


 正直、このまま狭間の獣の邪祓いを進めていいのか迷っている。

 何かが、まだあるような気がしてならない。


 俺が見落としている、何かが……


”思い出して――”


 女神の最後の言葉が、耳の奥に蘇り、消えていった。


 気付けば俺は、リュミエールの手を強く握り返していた。彼女の憂いと、俺の心に芽生える不安を打ち消すように、自信満々に頷いて見せる。


「もちろんだ。来年は、ビアンカとともに来よう。必ずだ」

「はい――必ず」


 必ず、という言葉を強調しながら、リュミエールも大きく頷いた。

 

 そのとき、


「お父様、お義母様ぁー!」


 俺とリュミエールが、世界一尊い声だと満場一致で太鼓判を押す、愛らしい声が後ろから聞こえてきた。

 この俺たちが、あの子の声を聞き間違えるわけがない。


「「ビアンカ!」」


 ほぼ同時に振り返り、ほぼ同時に名を呼んだ。

 振り返った先にあったのはもちろん、俺たちが愛して止まない白雪姫――ビアンカの姿。


 ビアンカの身体が弾かれたようにかけ出したかと思うと、みるみる近づき、俺たちに抱きついてきた。俺たちは、腰を落としてビアンカと視線を同じにすると、小さな身体を抱きしめ合った。


「ビアンカ、戻ってきていたのか。手紙をくれれば、迎えにいったものを」

「驚かせたくて、黙って帰ってきちゃいました! えへっ」


 ぺろっと舌を出すビアンカを見たリュミエールの表情が、とたんに氷結に変わった。継子の可愛さを直接食らい、オーバーキルされたようだ。


 分かる。

 どちゃくそ分かる。


 ビアンカの可愛さは、俺たちにとって効果抜群すぎるからな。


 俺がこうして正気を保っていられるのは、事前に気合を入れていたからに他ならない。前世の世界で言うなら、HPが1だけ残っている状態だ。ぐふっ。


 ゆっさゆっさとリュミエールの肩を揺すると、再起動したのか、彼女の瞳に正気が戻った。かと思えば今度は、はー、とか、わーとか、謎の言葉を発しながら、いつもは真っ直ぐ結ばれている唇を、ふにゃんふにゃんにしている。


 そんな義母を不思議そうに見ながら、ビアンカが訊ねる。


「お父様たちは、お散歩ですか?」

「ああ、そうだ。ちょっと仕事の休憩中でな」

「なら、私もご一緒してもよろ――」

「もちろんですっ‼」


 ちょっ、リュミエールさん、食いつき早すぎ。


「あ、でも、お義母様、せっかくお父様と二人っきりだったのに、私お邪魔じゃ――」

「いえ、それを言うなら、真のお邪魔虫は私の方です。さあビアンカ、せっかく戻ってきたのですから、陛下と一緒にお散歩をなさってください。私は、見えない場所からお二人を見守るだけで満足ですから」

「え? 何で見えない場所から?」


 ちょっ、リュミエールさん。

 サラッと推しの家の壁になりたい発言すな。


 ビアンカが意味わからんって顔してるじゃないか。

 全く……相変わらずだな、この人は……


 このままじゃ埒が明かないと思った俺は、会話になっているようで微妙に噛み合っていない二人の話に割り込んだ。


「リュミエールもビアンカも、一体何を譲り合っているんだ。三人一緒に行けばいいだろ」


 俺の提案に、ビアンカの表情がパッと明るくなった。そして、俺とリュミエールの真ん中に割り込むと、右手で俺の左手を、左手でリュミエールの右手を握った。


 手を繋ぎながら、俺たち三人は歩き出した。

 

 親子三人で歩いている。

 三つの影が繋がり、幸せの形を作っている。


 その事実に、心が締め付けられる。


 終始上機嫌なビアンカだったが、そろそろ城に戻ろうとしたところで、不意に表情が変わった。


 立ち止まり、十歳とは思えない大人びた表情を俺たちに向けながら言った。


「お父様、お義母様。狭間の獣を祓う準備が整いました。近々、大神殿にお越しいただけないでしょうか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る