第21話 娘の人生と王妃の一生
「……では、一番初めの私の人生から、お話しさせて頂きます」
そう前置きをして、ビアンカの話が始まった。
語り出す横顔は俺の知っている幼い娘じゃない。初めてこの顔を見たときは、得体の知れない怖さがあったけれど、ビアンカの告白を聞いた今はその気持ちもなくなっている。
十歳の見た目だが、この子の中身は十九歳なのだ。いや、四回目の人生だと言っていたから、累計するともっと上だろう。
つまり見た目は子ども、頭脳は大人なのだ。
「一度目の人生のときの王妃殿下は、優しい方でした。今と同じように、感情はあまり表に出されない方でしたが、お言葉や雰囲気に優しさがありました。しかし直ぐにその優しさは身を潜め、心の内が読めないとても恐ろしい方へと変貌しました。お父様に対して冷たくなり、私に酷く当たるようになりました。毎日些細なことで叱咤され、時には物が飛び、手を上げられ……皆が止めようとする中、王妃殿下は頑なに王族としての教育だと言い張り、態度を改めることは決してありませんでした」
一度目の人生のアリシアは、今よりもずっとずっと攻撃的だったようだ。
今だってビアンカに厳しいが、流石に物を投げたり、手を上げたりはしていなかったもんな。
ループしているとはいえ、全く同じではないのかもしれない。
「その頃でしょうか? 王妃殿下が持参した鏡に向かって夜な夜な、世界で一番美しい人間を問うているという噂が広がったのは。侍女がたまたま、鏡に問う声を聞いたことがきっかけで広がった噂でしたが、実際に鏡と対話する王妃殿下の姿を見た者はおりませんでした。ですがその噂がきっかけとなり、王妃殿下の厳しい態度は、私に嫉妬しているからではないかと囁かれるようになったのです」
「俺は、何もしなかったのか?」
「王妃殿下に注意をなさっていたようですが、あのときの王妃殿下はお父様に対し、非常に冷たい態度をとられていたため、聴く耳を持たないばかりか、私を甘やかしていると逆に強く責められると困っていらっしゃいました。でもきっと何とかするから、王妃とは距離を取るようにと仰ってくださいました」
アリシアに責められて困っていた……程度で済んでたのか。
一回目の人生の俺、メッチャメンタルつよつよじゃね?
今なら間違いなく凹んでいるは――
「……とはいえお父様、その後の公務は色々と失敗なされていたので、精神的にかなりのご負担をかけていたと思います」
いや、めっちゃ凹んでるやん、一回目の人生の俺。
間違いなく、俺自身だわ。
後、一回目の人生でも俺、アリシアとビアンカとの仲をとりもてなかったどころか、ビアンカを守ることすらできていなかったんだな。
ほんと今と同じだ。
間違いなく、俺自身だわ。
自分の問題が父の足を引っ張ったと思っているのか、ビアンカはシュンッと小さくなっていた。それに対し、何も気にすることはないと伝えると、続きを促した。
「その後、私に対する王妃殿下の態度は、どんどん酷くなっていきました。まだ心身共に幼かった私は、ただただ王妃殿下の言葉や態度に怯え続け、それと同時に憎しみを募らせていきました」
「憎しみ……王妃を憎んだのか?」
「……はい。だって王妃殿下がいなければ、私もこんな怖い思いをせず、お父様だって心を痛める必要はなかったのですから。あの頃の城内の雰囲気も最悪でした。その元凶である王妃殿下のことを考えると、憎しみが抑えられなかったのです」
当時の憎しみを語りながらも、ビアンカの顔に浮かんでいるのは深い憐れみだった。
アリシアがビアンカに冷たく当たっていた理由が分かっているからだろう。辛い仕打ちをした相手を哀れに思えるほど、アリシアの抱える事情は過酷なのだろうか。
「そんな日が約四年ほど続き、丁度私が十一歳になったころです。私はある部屋に、王妃殿下の物置部屋に繋がる通路を見つけたのです」
「王妃の物置部屋って、寝室の奥にある部屋のことか?」
「はい。その通りです」
「でもそんな情報、一体どこで知ったんだ? 俺ですら初耳だが……」
「差出人のない手紙が私の元に届いたのです。そこから王妃殿下を見張っていれば、悪事の証拠を見つけることができ、城から追い出せるのではないかと」
……いや、怪しすぎん?
差出人が書いてないっていうだけで充分怪しいし、ましてや当時十歳のビアンカに、アリシアの悪事を探れとか、怪しさMAXすぎん?
「まさかお前、その手紙の言う通りにしたんじゃないだろうな」
「うっ……あ、あのときの私は、お、幼かったので……王妃殿下を城から追い出せるならと思って、手紙の指示通りにしてしまったのです……」
俺の指摘に、ビアンカは悪さが見つかってビクビクする子どものように、言葉を震わせた。
でもまあ、別にビアンカを責めるつもりはない。
そこまで追い詰められていたのだろうと思うと、自身の不甲斐なさに腹が立った。
「大丈夫だ。お前を怒るつもりはない。それで……何か見つかったのか?」
「私はそこで、王妃殿下が鏡と話しているところを目撃したのです」
おいおいおいおい、ポチ。お前見られてるじゃん。
いや、ビアンカの勘違いってことも……
「一方的に王妃が鏡に話しかけていたとかではなく?」
「ええ。ちゃんと会話していました。鏡の方はなんだか、甲高い声をしていましたね」
いや、間違いなくポチだわ。
完璧に見られてるわ。
ビアンカの顔が俺の方に寄ると、内緒話をするように声のトーンを落とした。
「つまり王妃殿下が持参した鏡は、邪纏いの品だったのです」
一度目の人生でこのことを知ってるということはつまりビアンカは……今アリシアの物置部屋にある鏡が、邪纏いの品であることを知ってるってことか?
訊ねようとしたが、ビアンカが話を続けようとしたので、一先ずその疑問は両手に抱えておくことにした。
「やっと王妃殿下を追い出す証拠が見つかったと喜んだ幼い私は、愚かにも誰にも相談せず、王妃殿下に直接言ってしまったのです。邪纏いである鏡と会話をしているところを見たと。城から出て行かなければお父様に報告すると。それを聞いた王妃殿下は強硬手段に出たのです」
「強硬手段?」
「私を連れだし、深い森に置き去りにしたのです」
白雪姫展開、来た‼
でもさ、
「お前、よく王妃と一緒に出かけられたな……」
「いくら幼い私でも、怖くて一緒に出かけられませんよ。薬を盛られ、眠っているうちに連れてこられたのです」
「そ、そうだったのか……」
良かった!
「それで……森に置き去りにされたお前は、どうなったんだ?」
「周囲には獣がいて、危うく食い殺されるところでしたが、森に住む七人の妖精族が助けてくれました。事情を聞いた妖精族たちは、直ぐに戻るのは危険だと言って、そこで約一年ほどお世話になりました」
同棲という単語が見えない鈍器となって、俺の後頭部をぶったたいた。
あまりの衝撃に、一瞬目の前が真っ白になった。
こ、こびとに……お世話になった……?
それって一緒に住んだってことだよな?
う、嘘だ……俺が恐れていたことが、すでに起こっていたというのか?
ループしているからといっても、ビアンカが同棲を経験したことは消えないわけで……
嫌だぁ……認めたくない……
目の前がぐにゃあってする……
考えがまとまらない俺の耳に、ビアンカの慌て声が聞こえた。
「お、お父様? どうかなされましたか⁉ か、顔色が非常に悪いのです!」
「い、いや……まだ幼いお前が、命の恩人とはいえ見知らぬ男たちと共に、一年間も一つ屋根の下で暮らしたと思うと、め、眩暈が……」
「え? 私を助けてくださった妖精族は皆、女性でしたけど?」
「よし、話の続きを聞こうか」
女性だったかーーーーーーーーーーーー‼
良かったああああああああああああああああああああ‼
絶望で溶けそうになっていた身体が、シャキッと伸びた。ぐにゃあってなっていた視界も、輪郭を取り戻している。
そんな俺を、ビアンカは少し呆れた表情で見ながら、相変わらずですね、と呟いて笑っていた。
ビアンカが繰り返したどこかの人生の中で、今と同じ俺の反応を見たことがあるのかもしれない。
「その後、私は妖精族である彼女たちの力を借り、エクペリオン城へと戻りました。そして、王妃殿下が私に行ったことを暴露し、弾糾したのです。始めは否定していた王妃殿下でしたが、逃げられないと悟ったのか、突然私に刃物を向けて襲い掛かってきました」
「だ、大丈夫だったのか⁉」
「はい。王妃殿下に襲われたとき、恐怖以上の怒りと憎しみを感じ――気が付けば、王妃殿下が気を失って倒れていたのです。周囲は、突然私から光が放たれ、光に当たった王妃殿下が倒れたのだと言っていました」
「そうだったのか。とりあえず、お前が無事で良かった」
俺はホッと息を吐き出した。
まるで目の前でそれを目撃したかのように、心臓が激しく脈打っているし、額には変な冷や汗が滲んでいた。
一度目の人生の話だと分かっていても、最愛の娘が斬りかかられた話なんて、心臓に悪すぎる。
その後、アリシアはビアンカを誘拐、殺害しようとした罪で投獄された。
本人は、山の中に置き去りにしただけで殺そうとはしていないと屁理屈を言ったらしいが、危険な獣がいる環境に置き去りにしただけでも、充分殺意はあったとして、アリシアの主張は認められなかった。
まあ、当たり前なんだが……
流石の俺も、娘を殺されようとされてまで、アリシアを庇いきれなくなったようだ。
以前のアリシアの言葉を借りるなら……ビアンカを選んだのだろう。
アリシアが、自身の犯した罪を反省することもなかったので、そのまま投獄。三年後、処刑が決定。
その一年後――十六歳になったビアンカが隣国の王子と結婚した際、余興と、前世の世界で言う厄払いをかねて、アリシアは民衆の目の前で処刑された。
余興ということもあって残酷な方法――白雪姫の物語通り焼けた靴を履き、燃えながら死んでいったらしい。
最期の最後まで、ビアンカへの呪詛を吐きながら――
「これが、一度目の人生で私が見た、王妃殿下の一生です」
壮絶過ぎて、何も言えなかった。
照明のランタンが燃える音だけが、部屋に響く。
俺から反応がすぐに得られないと思ったのか、ビアンカは話を再開した。
「王妃殿下が処刑され、平和になりました。ですが……私はずっとずっと心に引っかかっていたことがあったのです」
アリシアの凄惨な人生を聞いて呆然としていた俺の心が、現実に引き戻された。喉の奥から、何とか言葉を絞り出す。
「……引っかかること? 何かあったのか?」
「はい。王妃殿下が処刑されるさい、私を見て……」
彼女の黒い瞳が伏せられ、瞼の裏に映る光景をなぞるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「笑ったんです。とても優しく、満足そうに――」
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