第20話 娘の秘密

 次の日の夜、俺の寝室にはビアンカの姿があった。


「王妃殿下や皆には内緒で、お父様にお話ししたいことがあるのです。ですので、まとまったお時間を頂けませんか?」


 そう言われたので、邪魔が入らなくて比較的自由である寝る前の時間に話を聞くことにしたのだ。

 周囲も、親子水入らずの時間を過ごしていると思ってくれるだろう。


「それで、一体何だ? 皆には秘密の話とは……」


 大神殿で聖女修行した中で、何か他人には言えないことがあったのだろうか? もしビアンカが悲しむようなことを大神殿がしていたのなら、ただじゃ置かないけどな。


 勝手な妄想で湧き立った怒りを隠しながら、ベッドの上に腰をかけ、両足をブラブラしているビアンカの前に立って笑いかけた。しかし俺から話しかけられた瞬間、ビアンカは両足の動きをピタッと止め、俺と同じ黒い瞳をこちらに向けた。


 その表情に、いつも俺を骨抜きにしてしまう笑顔はない。それに幼い顔が、今は何だか妙に大人びて見えるのは気のせいだろうか?


 ビアンカは姿勢を正すと、真っ直ぐ俺を見据えながら口を開いた。


「お時間を作っていただきありがとうございます、お父様。話とは……王妃殿下に関することです」

「王妃のことか? もしかして、また何か嫌な態度をとられたのか?」

「いいえ、違います。先日も申し上げましたが、王妃殿下は私に悪意を持っていらっしゃいません。だから心配は無用です、お父様」


 ビアンカに対するアリシアの態度の話ではない。

 むしろ心配するなとまで言われ、俺は戸惑った。


 それに、発言内容や話し方が、十歳とは思えないほど大人びている。俺の知らない娘の姿に、ゾワリと背中に寒気が走った。


 こちらの緊張を感じ取ったのか、ビアンカはにこりと笑った。俺の知っている娘の表情に、今までの不穏な印象は勘違いだったとホッと胸を撫で下ろしたのだが、


「これから話すことは、お父様にとって信じられないことだと思います。ですが……どうか信じていただきたいのです」


 と言って、再び俺の知らないビアンカの表情に戻ったため、鳩尾辺りがヒヤッとした。


 得体の知れない恐怖を感じながらも、頭はビアンカの発言の真意を見つけようと動き出す。


 これから話すことは、俺にとって信じられないことであり、アリシアに関わることだとビアンカは言った。


 そしてビアンカは、アリシアが自分に敵意を持っていないと言い切っていた。


 もしかして――


「お前、知っているのか? 王妃の裏の顔を……」

「裏の……顔、という意味が分かりかねますが、そのご様子……お父様もお気づきになっていらっしゃるのですね。王妃殿下が、私たちを大切に思っているが故に……」


 黒い瞳がスッと細くなった。


「自らの命を捨てようとなされていることを――」


 ああ、やはりそうか……


 真っ先に思ったのは、この言葉だった。


 思い返せば、アリシアに冷たい態度をとられても、ビアンカは決して怯えたり恐れたりしなかった。俺がアリシアに注意しようとすると、ビアンカは必要ないと断っていた。


 アリシアに気を遣い、これ以上お互いの関係が悪くならないようにしていたのだと、そしてただただビアンカ良い子過ぎるからと思っていたが、違っていた。


 全部、知ってたのだ。

 自分に向けられるアリシアからの悪意や言葉が全て、演技であることを――


 足下がグラグラする。

 ちゃんと真っ直ぐ立てている気がしない。


 俺はふらつきながらビアンカの隣に座ると、頭を抱えた。そんな俺の背中を、ビアンカの小さな手が優しく撫でてくれた。


 情けなかった。

 守るべき娘に慰められている自分が、情けなくて堪らなかった。


 ビアンカは、俺が前世の記憶を思い出す前からアリシアのことを庇っていたから、恐らく、俺よりも前からアリシアの演技に気付いていたはずだ。


 そして……俺よりも長く悩んだはずだ。


「……すまない、ビアンカ。お前が悩んでいることに、気付いてやれなくて……」


 顔を両手で覆った俺の唇から、懺悔の言葉が洩れた。俺の背中を撫でる手が一瞬止まり、また動き出す。


「お父様は何も悪くありません。だから謝らないでください」

「……いつからだ? いつから、王妃のことに気付いていたんだ?」

「私が七歳の時――丁度、王妃殿下がこの国に嫁いで来られた日からです」


 言葉を失った。

 七歳という年齢にも驚いたが、アリシアがエクペリオン王国に嫁いできた日からとは、どういうことなんだ?


 思わず顔をあげ、穴があきそうなくらい見つめる俺に、ビアンカは少しだけ瞳を伏せると、大きく呼吸を何度か繰り返し、ゆっくりと瞳を開いた。


 幼さが残る丸く大きな瞳には、大人が見せる強い覚悟が滲み出ていた。


「お父様。私は、一度十九歳まで生き、気付けば七歳の自分――つまり王妃殿下が嫁いできた日に戻るという現象を三回繰り返し、今は四回目の人生を生きているのです」

「過去の自分に戻る……?」


 まさか……まさか、これって……前世の世界にあったラノベでよくあった、死に戻りってやつでは⁉


 色んな事情で死んだ主人公だったが、気付けば過去の自分に戻っていて、人生をやり直すというものだ。

 未来を知っている形になるので、その知識を使って破滅を回避したり、自分を陥れたりした者たちにざまあする話が主流だったが……それはいい。


 まさか、俺の娘が人生をループしているなんて……

 それも四回も繰り返しているって……そして、一度十九歳まで生きたって、言ってたよな?


 ってことは、未来のビアンカは十九歳までしか生きられなかったということなのか?


 何故……? 

 俺がいながら、ビアンカは何故十九年しか生きられなかった?


 何故だ?


 何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ⁉


「……お父様、大丈夫ですか? 信じては頂けませんか?」


 ビアンカの心配そうな声が聞こえた。どうやら俺の動揺が、違うように受け取られたみたいだ。

 だから首を横にふり、心配ないと伝える。


「大丈夫だ。お前がこんなことを冗談で言うわけがない」

「よかっ……たです。お父様ならきっと信じてくださると思っていました。本当に、ありがとうございます……」


 そう言いつつも、ビアンカは心の底から安堵した表情を見せていた。

 自身が死に戻りしているなどという突拍子のないことを信じて貰えるか、不安だったのだろう。


 前世の知識がなければ正直、受け入れるのに時間は掛かっていたはず。そう思うと、頭を打ったあのときの自分にグッジョブを送りたい。


 俺は、深い呼吸を何度か繰り返して気持ちを落ち着けると、改めてビアンカに向き直った。お互いの黒い瞳がぶつかり合う。


「ビアンカ、お父さんはもう大丈夫だ。お前が人生をやり直しているという話も、理解できている。だから、信じて貰えるかどうか不安には思わず、全てを話して欲しい。お前の身に起こったこと、そして、王妃の件についても……」

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