DAY24-2 ファイレンとレオノーラ

 中央島から南西に若干外れた位置にある群島に向かって、虎人族の英傑、ファイレンが海面をひた走っていた。

 片足が沈む前にもう片足をという単純な力技ではなく、足裏に薄い気の膜を海面との間に張って、一時的な足場を踏みしめながら、見えない飛び石を作っては渡り続け、やがて目指していた小島にたどりついた。


 その小島に名は無かった。

 水場も森もあり、そこそこの数の鳥や小動物が生息し、一人二人が隠れ住めるくらいの条件は揃っていたが、ここに住んでいるのはファイレンが会いに来た人物だけで、彼女は、島の上空を時折飛び交う竜族や、中央島へと渡る船には見つからない位置に小さな小屋を建てて暮らしていた。


 ファイレンは、扉の前で身だしなみを整えてから呼びかけた。


「レオノーラ、私だ」

「ファイレン?!どうしたの?」


 扉を開けてファイレンに抱きついてきたのは、獣人族前王リオーズの娘、レオノーラだった。

 ファイレンは、レオノーラを抱き留め、互いの頬をすり合わせてから告げた。


「事態が急激に動いた。君にも知らせておくべきだと思って、当番を代わってもらったんだ」

「来てくれたのは嬉しいけど、あまり頻繁だと疑われない?」

「かもな。ただし、これからも頻繁になるとは思えないから、来たんだ」


 レオノーラは、いつも冷静沈着なファイレンの体が、時折震えているのに気付いた。


「わかったわ。話を聞かせて」


 小屋の中に通されたファイレンは、背負い袋をレオノーラに渡した。この島でも最低限の食べ物と飲み物は自給自足は出来るものの、生活していくにはいろいろな物が足りず、ファイレンが人目を忍んで運び込んでいた。

 レオノーラは受け取った荷物の中から、ファイレンも好きな緑茶の葉の入った袋を選び出し、煙を出さずに加熱できる魔道具でお湯を沸かした。


 それぞれの湯飲みに緑茶を注いでから、二人がいつもくつろいでいる長椅子に並んで座り、レオノーラはうながした。


「この前来た時には、巫女からのお告げがあったと教えてくれたわよね。さらにお告げでもあったの?」

「いや、違う。落ち着いて、聞いてくれ」


 ファイレンがお茶を何度か啜る間に、レオノーラもお茶に口をつけて、自分を落ち着けようと努めた。

 ファイレンは、そんなレオノーラが湯飲みをテーブルに置いて手を放すのを待ってから話し始めた。


「昨日の事だが、一人の人間のぷれいやあなる者が、中央島へやってきたんだ」

「ぷれいやあって、一ヶ月近く前くらいから、世界のあちこちに現れるようになった、死んでも蘇ってくる連中よね?」

「そうだ。そのぷれいやあの名前はユートといい、なかなか有用そうなユニークスキルも持っているのだが、今重要なのはそこじゃない」

「何があったの? お告げだと、異界からの侵攻が始まるまでには、短くても一週間くらいはあった筈」

「映さずの鏡に、亀裂が入った」


 レオノーラがひゅっと息を呑んだ。

 悲鳴を上げるのをこらえる様に両手で口を覆ったレオノーラを安心させるように、ファイレンは彼女の手を握りながら言った。


「亀裂は、だんだんとその筋を増やし伸ばしつつある。今すぐに表面全体に致命的なヒビが入って、割れそうだという訳じゃない。

 でも、早ければ三日から五日、遅くとも七日以内には、映さずの鏡は割られ、異界への門は開くと見られている。


 その前に、レオノーラ。君にはここから逃げて欲しいんだ」

「な、何を言ってるの、ファイレン!?あなたが戦うというのなら、私だって共に戦うわ!」

「私は英傑として、ここ中央島に赴任してきている。だが、君は違う」

「だとしても、非常時なら、例外措置は認められる筈だし、私が戦えない存在じゃない事を、あなたも、そして周囲も知っているわ」

「どうしても?」

「どうしてもよ!あなただって、もし逆の立場なら、私を置いて故郷に戻ったりしないでしょう?!」


 ファイレンは、しばし押し黙って悩みつつ、その懐から二通の書状を取り出してテーブルの上に置いた。


「それは?」

「君の双子の兄のリオルクと、叔父のダイオーズ殿からの手紙だ。先ほど話したぷれいやあのユート殿が、君を探していると、南の詰め所にいた私を訪れてきたので、手紙を預かってきた」

「なんで、人間族のぷれいやあが?」

「空竜の長アングロス殿も確認されているが、彼は獣人族の九氏族と巨人の一氏族の支持を受けて、中央島を訪れている。その中には、獅子人族や、狐人族も含まれていて、実際、彼の従者として同行しているのは、狐人族の長のお孫さんだ。見かけからすると、人間族との間に出来た子に見えたが。

 それはともかく、ユート殿は、イグルン殿やリオルクやダイオーズ殿達から、リオーズ殿を救って欲しいと頼まれているらしい」

「あんなクズ、どうなったって知らないわ!」


 顔を背けてしまったレオノーラの肩に優しく手は乗せたが、振り向かせようとはせずにファイレンは声をかけた。


「何があったのか、何をされたのかは、何度も君から聞いた。私だって同じ事を親からされれば見放して縁を切っていたかも知れない」

「そうだよね!だったら」


 振り向いたレオノーラのもう片方の肩にも手を乗せて、ファイレンは言った。


「レオノーラの母はすでに亡くなられてしまった。そこに父であるリオーズ殿の落ち度は無かったと聞いている」

「うん、それはそうだけど」

「長男であり、いずれは次の獅子人族の族長にも、獣人族の王か英傑どちらにもなれると嘱望されていたリオルクにリオーズ殿が期待をかけすぎて、悲劇を起こしてしまったのは確かだが、あれもリオーズ殿が狙って引き起こしてしまった訳ではなく、リオルクも承知した上で臨んだ闘いで起きた不幸な出来事だった。リオーズ殿だけに咎があると責めるのは、少し酷だと思う」

「でも、その後に起きたことは、全部、王だったあいつが」

「そうだな。そこは私も否定しない。だからこそ、リオーズ殿は王位から退けられ、以後は牢獄で過ごしている。刑期も定まらぬまま」

「それも、あいつの自業自得じゃないの!」

「そうかもね。ただ、あと数日で、異界への門が開く。激しい戦いが始まるだろうし、私はその最前線で戦うのが勤めだ。だが、君は違う」

「私は、あなたの恋人で、妻じゃなかったの?」

「恋人だが、まだ公式には妻ではない。

 それに、世界の状況が混沌とすれば、リオルクの様な立場の弱い者は苦境に立たされるだろう。獅子人族の里に戦禍が及べば、足手まといとなる彼は、自らを見捨てるよう周囲に訴えないだろうか?」

「・・・その可能性が無いとは言わないけど」

「だろう?それに、優れた戦士でもあるリオーズ殿は仮釈放され、激戦地に送られる可能性もある」

「それこそ、罪を償うことになるんじゃないの?」

「だとしても、短期間に、君は残されたたった二人の家族を喪うかも知れない。こんな喧嘩別れのままで、二人と別れを告げることになれば、きっと後悔することになると思う」


 レオノーラは、悩んだ。

 リオーズという屑な父親はともかく、双子の片割れで将来を渇望されながら断たれて、再起不能になってしまったリオルクのことはずっと気にかかってはいた。

 でも、リオルクはあの決断をした時に既に成人はしていたのだ。


 レオノーラは、自分の手をファイレンの手に重ねながら言った。


「父はともかくとして、兄にはちゃんとお別れをしておいた方が良いかなと思う。

 けど、今みたいな状況で会いに行ったら、あなたがさっき言ったみたく、ずっと付き添ってなくちゃいけなくなる。

 私にとって、リオルクとあなたのどちらが大事かと問われたら、あなたなの」

「レオノーラ・・・」

「リオルクを守れたとして、あなたを喪ってしまったら、私は心のどこかで、リオルクを責めてしまうかも知れない。理不尽なのに。兄は何も悪くないのに。表には出さないようにしても、きっと伝わってしまうわ。

 だから、どちらかしか選べないとしたら、私はあなたを選ぶわ、ファイレン」

「分かった。君の気持ちは嬉しいし、尊重しようと思う。獣人族の従者達に、国元へ許可をもらえるよう手紙も書こう。

 ただし、その前に、ユート殿とその従者にも会ってもらえるかな?」

「仕方ないわね。そもそも、無関係だった人間族のぷれいやあに、自分達がどうにも出来なかった難題を押しつける方がどうかしてるのよ!」

「それは一理あるけどね。溺れる象人は、浮かんでる鼠人の尻尾をも掴むとか言うだろう?」

「感情的にはわからないでもないけど、それで巻き込まれた方がたまったものじゃないでしょ」

「はは。そしたら、私は一度中央島に戻って、ユート殿達に伝え、都合が良い時に彼らを連れて来る。

 彼らは空を飛ぶ移動手段を持っているので、もしかすると私抜きで彼らだけで訪れるかも知れないが、その時は、彼らに会って、話を聞いてあげてほしい」

「あなたのお願いだし、私からすれば父親の尻拭いに巻き込んでしまった負い目しか無いから、大丈夫よ。心配しないでも」


 そうして用事を済ませたファイレンは、レオノーラと抱擁と接吻を交わすと、来た時と同様に海面を走り抜けて中央島へと戻っていったのだった。

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