第31話 崩れ去った偶像

親子再会




 特殊車両の車内で、昇はずっとそわそわしていた。

 運転席の月岡が、呆れた口調で窘める。


「日向昇、少し落ち着け」


「ごめんなさい。でも、ようやくお母さんに会えると思うと嬉しくて」


「昨日も全然寝れてなかったもんね」


 木原はニヤリと笑って昇の顔を覗き込んだ。

 期待とほんの少しの不安を滲ませながら、昇が呟く。


「どんな人なんだろう。おれのお母さん……」


「とっても優しい人さ」


 昇の肩に手を置き、ナオノリは優しく微笑みかけた。

 昇は大きく頷き、窓の外を流れる町並みに目を向ける。

 火崎と金城が乗る二台目の特殊車両から、月岡の無線機に通信が入った。


「火崎だ。周囲を一通り偵察したが、敵らしき姿はなかった。俺たちは先に雑木林に向かってるから、そこで合流するぞ」


「了解」


 月岡は近くの路肩に車を停め、四人で雑木林に足を踏み入れる。

 合流を果たした火崎たちに、昇が目を輝かせて尋ねた。


「お母さん見つかりましたか?」


「すまん、まだだ」


「電話で場所を聞いてみよう」


 ナオノリがスマートフォンを操作して、ユキミに電話をかける。

 ユキミから待機場所を聞き出すと、彼は昇たちを先導した。


「……来たのね」


 木々に囲まれて佇む白衣の女性が、昇たちの気配を感じて振り向く。

 どこか日向昇を思わせる微笑を浮かべる彼女に、ナオノリは勢いよく駆け寄った。


「ユキミ!」


「あなた……!」


 ユキミは両手を広げて彼を受け止め、二人は熱い抱擁で夫婦の愛情を確かめ合う。

 名残惜しそうに体を離すと、ユキミは礼儀正しく挨拶をした。


「日向ユキミです。息子の昇が、いつもお世話になっています」


 理知的な淑女そのものの立ち振る舞いに、月岡たちは思わず居住まいを正す。

 ユキミは昇の目を見つめると、自然体の微笑を浮かべて言った。


「大きくなったわね、昇」


「お母さん……!」


 感極まる昇に、ユキミはゆっくりと歩み寄る。

 そして少し皺のついた腕を伸ばし––




 ––昇の首を締め上げた。


「……えっ?」


 そのまま昇を投げ飛ばし、彼は無抵抗のまま地面を転がる。

 思考回路の麻痺した昇を、今度はナオノリが蹴りつけた。


「オラァ!!」


 蹴られた腹部から酸素が漏れ、昇は蹲りながら咳き込む。

 止めに入った火崎を片腕一本で圧倒しながら、ユキミが悪魔のように笑った。


「こいつら、人間じゃねえ……!」


「そうよ。だって人間じゃないもの」


 彼女はあっさりと頷き、火崎をボロ雑巾を扱うが如く吹き飛ばす。

 目の前が白くなる感覚に襲われながら、昇がやっとの思いで口を開いた。


「……なんで、こんなことするの? おれ、もう迷惑かけないよ?」


「決まってんだろ。俺たちはお前の家族でも何でもないからだよ!!」


 ナオノリはそう吐き捨てて、ユキミと共に自らの正体を明かす。

 現れた山羊男と蛇女の姿に、金城が眼鏡の奥の目を見開いた。


「あの蛇の特危獣は、昨日ナオノリさんを襲った……!」


「最初から仕組まれていたのか!」


「その通り。こいつの両親に擬態したのは、お前らを油断させるための芝居だ」


 月岡の言葉に頷いて、山羊男は後方の昇に目をやる。

 昇は譫言のように嘘だと呟きながら、覚束ない足取りで立ち上がった。


「ち、違う……。嘘だ、嘘だそんなこと!!」


 山羊男の脚に縋りついて泣き喚く昇を、彼は乱暴に引き剥がす。

 尚も向かってくる昇に、山羊男が苛立ちを露わにして言った。


「いい加減うぜえんだよ、クソガキ!」


 山羊男は足払いで昇を転ばせ、剣で串刺しにしようとする。

 彼の剣が心臓を貫く刹那、威厳ある声が聞こえてきた。


「そのくらいにしておけ」


 その場にいた全員が硬直し、声のした方に体を向ける。

 木々の中から現れたのは、獅子の特徴を持つ特危獣––獅子男だった。


「お前がソウギの言ってたアライブだな。早速だが、おれと戦って貰おうか」


 獅子男に話しかけられても、昇は何の反応も示さない。

 目の前で繰り広げられている状況に理解が追いつかず、混乱しているのだ。

 獅子男は首の骨を鳴らして身を屈め、昇に目線を合わせて言った。


「やる気がないなら、無理やりその気にさせてやる」


「……え?」


「お前の両親についていい話がある。聞かせてやるよ」


 両親という単語を聞いて、昇の意識は急激に覚醒する。

 昇は取り戻した意識を懸命に保ちながら、彼の言葉に耳を澄ませた。


「10年前、お前の両親は入院費の工面に困っていた。そこにソウギが目をつけて、助手として働くよう提案したんだ。息子を実験台にする代わりに、入院費を全額負担するという条件でな」


 両親はソウギの提案を受け入れ、進化の種の研究に携わることとなった。

 そして研究の中で生まれた獅子男たちは自我に目覚めて、研究施設を破壊して脱走した。


「その時に山羊と蛇が殺したのが、お前の両親だ。分かるか? つまりお前が親だと思い込んでいたのは、本当は親の仇だったんだよ」


 耳元に流し込まれた真実が、昇の心の中にあった家族の偶像を完膚なきまでに押し流す。

 感情の濁流に呑み込まれ、昇は天に向かって慟哭した。


「どうだアライブ、おれたちが憎いか? だったら叩きのめしてみろ」


 獅子男たちは軽薄な笑い声を上げ、昇を挑発する。

 怒りと憎悪によって呼び起こされた獣の本能が、昇の体を立ち上がらせた。


「やめろ日向昇! 憎しみに心を奪われるな!」


「こいつらだけは許さない……絶対に許さない!! 超動!!」


 月岡の制止すら振り切り、昇は咆哮と共にアライブへと変身する。

 強風が吹き始めた雑木林で、アライブと獅子男の一撃が激突した。

——————

英雄アライブ



 怒りと憎しみに飲み込まれた昇はアライブへと変身し、獅子男に殴りかかる。

 獅子男は隙のない構えでそれを迎え撃ち、両者の激突が雑木林を揺るがした。


「……ぐはっ!」


 獅子男の拳圧に圧倒され、アライブの体が宙を舞う。

 怒りに燃えるアライブはスネークフェーズに形態変化し、スネークヌンチャクで獅子男を滅多打ちにした。


「親の仇の凝りほぐしか。ご苦労なことだな」


 獅子男は軽口を叩きながら、横に控える蛇女に目配せする。

 蛇女は愉しげに唇の端を舐めると、荒れ狂うスネークヌンチャクを掴みアライブを引っ張り上げた。

 踵落としで彼を地面に押さえつけ、剥き出しの腹部を踏み躙る。

 自らのヌンチャクでアライブの顔面を打ち据えながら、蛇女が嘲り笑って言った。


「不思議ねえ。同じ蛇の力を使っているのに、こうも実力に差があるなんて」


「やめろ!!」


 月岡、火崎、木原、金城が銃を構え、蛇女目掛けて一斉射撃を繰り出す。

 蛇女はヌンチャクを振るって弾丸を弾き返すと、そのまま月岡たちを吹き飛ばした。


「さあ、そろそろ終わりに……」


「まだ俺が遊んでねえだろうがっ!」


 トドメを刺そうとする蛇女を押し除け、山羊男がアライブを無理やり立ち上がらせる。

 彼が二刀流で剣を振るう度に、アライブの肉体から鮮血が飛び散った。


「ぅぐるるる……!」


 アライブは獣のような唸り声を上げ、ゴートフェーズへと次なる形態変化を遂げる。

 そしてゴートブレードの二刀流で山羊男に斬りかかるも、その攻撃はいとも容易く受け止められてしまった。


「その程度か? もっと本気で来いよ!」


 山羊男はアライブの剣を掴み、自分の腹部に深々と突き立てさせる。

 痛みと悦楽が込み上げるのを感じながら、彼は狂気の滲んだ声で言った。


「ほら、ここを狙えば倒せるぞ?」


 常軌を逸した行動に、月岡たちは思わず息を呑む。

 獅子男が呆れながら言った。


「お前、少し遊びすぎだぞ」


「久しぶりの大暴れなんだ。これくらいいいだろ」


「……仕方のない奴だ」


 獅子男はやれやれと肩を竦め、満身創痍のアライブに目線を向ける。

 眼光に秘められた殺意を鋭敏に感じ取り、彼の呼吸が早まった。

 憎しみと恐怖に掻き乱されながら、アライブはライオンフェーズへと形態変化する。

 僅かでも消耗を抑えるべく、月岡は自らのライフルを投げ渡した。


「……」


 しかし、アライブがライフルを受け取ることはなかった。

 ライフルはそのまま地面に落下し、からんという音が虚しく鳴る。

 アライブは右手に全ての力を込め、怒号を上げながら走り出した。


「ぬぅうううおおおおぁ!!」


「面白いじゃないか」


 獅子男もアライブと同じ構えを取り、右手に紫の炎を宿して大地を蹴る。

 そしてアライブよりも一瞬早く、彼の心臓に紫炎の拳を打ち込んだ。


「う、ぐ、ぅあああ……!」


 全身に火花を迸らせ、アライブの体が吹き飛ぶ。

 倒れたアライブに背を見せて、獅子男は親指を下に向けた。


「ジ・エンド」


 凄まじい爆発が巻き起こり、炎がアライブを包み込む。

 その熱と衝撃の中で、アライブ––昇は両親の幻影を見た。


「お父さん、お母さん……」


 遮二無二手を伸ばす彼の眼前で、両親は炭となって崩れ去る。

 入れ替わるように現れた月岡たちの幻影も、同じように消滅していった。

 自分を構成する全てが現れては消え、その度に昇の心はひび割れていく。

 そして最後に現れたのは、傷だらけの自分自身だった。


「あ、ああ、あ……」


 かき抱かんとした昇の腕を擦り抜けて、幻影は風に溶けていく。

 そして幻影が消滅した時、日向昇の心は完全に破壊された。


「話にならん。帰るぞ」


「アライブの奴はどうすんだ? ソウギんとこに連れてくって話だったろ」


 崩れ落ちた昇には目もくれず、獅子男はその場を去ろうとする。

 声をかけてくる山羊男に、彼は冷静な態度で言った。


「こいつの始末はいつでもつけられる。今はそれより、つまらん仕事を押しつけたソウギを殴るのが先だ」


「そうね」


 蛇女も同調し、3人は雑木林を後にする。

 そして屋敷に帰り着くなり、獅子男は玄関扉を蹴り壊した。

 扉だったものを撫でながら、ソウギが残念そうに呟く。


「あーあ、直すの結構手間なのに……」


「そんなことよりアライブだ。お前、今まであんな奴に手こずってたのか?」


「お恥ずかしながらね。で、獣の本能は引き出せたのかい?」


「あいつの中の獣はミジンコ以下だった。あんな奴の遺伝子はいらないし、あんな奴のためにおれたちを下働きさせたお前も許せない。よって今からお前を殴る」


 獅子男は極めて論理的に理由を述べると、ソウギの顔面目掛けて握りしめた拳を振るう。

 音もなく現れたGODが、彼のパンチを受け止めた。


「ソウギ様に危害を加えることは許さん!」


「……誰かと思えばこの間の犬ッコロか。お前が遊び相手になってくれるのか?」


 GODと獅子男たちは睨み合い、緊迫した空気が洋館に満ちる。

 割って入ったソウギが、穏やかな口調で言った。


「いい遊び相手がいるんだ。呼んでくるよ」


 ソウギは地下にいたモグヒコを呼び、獅子男たちの前に立たせる。

 未だに事態を理解していないモグヒコに、彼はにっこりと笑って囁いた。


「モグヒコくん、君は生贄だ」


「……え?」


 獅子男は逃げようとするモグヒコを拘束し、洋館の外へと投げ飛ばす。

 森の奥で始まった凄惨な蹂躙劇を眺めながら、ソウギが小さく呟いた。


「扉、直さないとね」


「すぐに取り掛かります」


 GODは扉の残骸をかき集め、地下に持って行こうとする。

 手伝おうと着いてきたソウギが、不意に激しく咳き込んだ。


「ソウギ様!?」


 GODは動揺のあまり、持っていた扉の残骸を取り落とす。

 ソウギが口元に添えた掌には、べっとりと血がついていた。


「GOD、早く僕をあの部屋に……あの部屋に!」


「はっ」


 GODはソウギの肩を抱き、彼を『あの部屋』へと運ぶ。

 やがて獅子男たちは蹂躙にも飽きると、虫の息のモグヒコを放置して森を後にした。


「ごめんね大熊さん、みんな。オイラも今、そっちに……」


 もはや届かない手を伸ばし、モグヒコはその生涯を終える。

 裏切りに生き裏切りに死んだ男を照らしていたのは、丸く輝く月だった。

 月の光は万物に等しく降り注ぎ、安らかな眠りを与える。

 月岡たち特撃班もまた、深い眠りの中で傷ついた体を休めていた。

 ただ一人、日向昇を除いては。


「ごめんなさい、皆さん」


 研究室のベッドから起き上がり、昇は小さく呟いた。

 彼はメモ帳に何かを書き残すと、音を立てないよう慎重に階段を上がる。

 麻婆堂の扉を開けようとした昇の脳裏に、カウンター席で賑やかに食事をする自分たちの姿が蘇った。


「おれはもう、ここにはいられない……」


 数少ない楽しい思い出を振り切り、昇は麻婆堂を去っていく。

 そして彼は、自分を取り巻く全てから逃げ出した。

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