第26話 揺らぐ正義

炎に隠れた真実




 空の月すら寝静まった夜更けに、一台の夜行バスが高速道路を走っていた。

 最後部座席の右隅に月岡が座り、その隣に昇、金城と続く。

 寝息を立てて寄りかかる昇の体温を感じながら、月岡は窓の外に流れる夜景を眺めた。


「日向さん、よく眠っていますね」


 金城が小声で話しかけてくる。

 月岡は夜景から目を離すと、同じく小さな声で言った。


「慣れない環境で、疲れが溜まったんだろう」


「それは我々も同じですよね。月岡さんは寝ないんですか?」


「俺は移動中に眠れないタイプだ」


「奇遇ですね。私もです」


 暫くして、3人を乗せたバスは最後のサービスエリアに停車する。

 月岡は昇を起こさないよう慎重に席を立つと、金城と共に車外に出た。

 座りっぱなしの筋肉を解し、自動販売機の前に立つ。

 そして小銭を入れてボタンを押すと、装置の中で紙コップにコーヒーが注がれた。


「夜行バスの移動中に飲むホットコーヒーは美味いんだ。カップ式だと尚更な」


 出来上がったコーヒーを取り出しながら、月岡は表情を綻ばせる。

 金城は微妙な相槌を返しながら、隣の自動販売機で缶コーヒーを買った。


「日向昇にも持ってってやるか」


 月岡は追加でホットココアを購入し、二つ分の紙コップを持ってバスに戻ろうとする。

 既に夜は終わりを告げ、白み出した空には朝靄がかかっていた。


「何だか、胸騒ぎがしますね」


「ああ。何事もなければいいが……」


 月岡と金城が席に着いたのを確認し、バスは再び発進する。

 二人がコーヒーを飲み干した頃、バスは昇たちの街に到着した。


「日向昇、着いたぞ」


「ふぁ〜い……」


 月岡に起こされ、昇は欠伸をしながらバスを降りる。

 およそ一週間の視察を終えた昇たちを、木原と火崎、そして馬渕が出迎えた。


「おかえりー!」


 木原が大きく手を振り、火崎も笑顔で昇たちとの再会を喜ぶ。

 しかし馬渕だけは険しい表情で、昇に詰め寄った。


「話があるんだ」


「えっ?」


 昇は馬渕に手を引かれ、街外れの廃工場へと連れられる。

 ぬるくなったココアを持ったまま、昇が馬渕に尋ねた。


「何ですか、話って」


「君が興梠さんを殺したのか」


 その言葉で、昇の脳は一気に覚醒する。

 疑問や困惑が駆け巡る中、彼は自分が見たままの事実を告げた。


「違います。興梠さんは……自殺したんです」


「そんなの嘘だ!」


 昇の主張を真っ向から否定し、馬渕は彼に詰め寄る。

 昇の目を睨みつけながら、彼は怨嗟を込めて続けた。


「ソウギさんが言ってたよ。お前はアライブの力を楽しみ、僕のように共存を望む特危獣を虐殺してきた最低の奴だって」


「ソウギ!? ソウギに会ったんですか!? 一体いつ」


「質問してるのはこっちだ!!」


 馬渕の怒声に、昇は思わず萎縮する。

 昇の襟首を掴んで、馬渕はもはや恫喝に等しい勢いで言った。


「答えろ! 興梠さんを殺したのは君か!」


「……だから言ってるじゃないですか。興梠さんは自殺したって」


「嘘を吐くなぁあああ!!」


 激情に駆られた馬渕の拳が、昇の右頬を強かに打ち据える。

 特危獣の膂力で放たれたパンチは昇の体を容易く吹き飛ばし、彼は廃工場の汚れた床に叩きつけられた。

 その弾みで紙コップが横倒しになり、ココアが床に溢れる。

 足元の紙コップを踏み潰して、馬渕が心の奥底に秘めた憎悪を爆発させた。


「やっぱり……やっぱり君はそういう奴だったのか!」


 彼は特危獣ホースへと変貌し、大槍を振るって昇に襲いかかる。

 ホースの猛攻を掻い潜りながら、昇もアライブに変身した。


「超動!!」


 ゴートブレードと大槍がぶつかり合い、両者の眼前で火花を散らす。

 二人は数回切り結ぶと、間合いを取って同時に走り出した。


「落ち着いて下さい馬渕さん! あなたとは戦いたくない!」


「うるさい! 僕の仲間をよくも……よくもぉおおおッ!!」


 殺意と共に放たれたホースの一撃を、アライブがゴートブレードで受け止める。

 腕が痺れるほどの衝撃を感じながらも、彼は渾身の力で大槍の威力に抗った。


「うぁあああァ……ッ!!」


 両者の力は拮抗し、行き場を失くした破壊力が周囲に拡散する。

 爆発と共に燃え盛る炎が、アライブとホースを取り囲んだ。


「どうした!」


 戦闘の音を聞きつけた月岡たちが廃工場に駆けつけるが、炎は彼らの侵入を阻むように勢いを増す。

 しかし月岡は強引に炎の壁を突破してホースの前に立ちはだかり、彼に拳銃を突きつけた。

 思わぬ乱入者の出現に、ホースは大槍を下ろす。

 拳銃を構えたまま、月岡はホースに質問した。


「どうして、お前たちが戦っている」


「そいつが興梠さんを殺したからだ」


 ホースは一切の迷いなく答える。

 しかし真実を知る月岡にとって、彼の言い分は完全なる出鱈目だった。


「誰から聞いた?」


「ソウギさんだ」


「ソウギに会ったのか? 一体いつ」


「その質問はさっきもされた!!」


 昇に続いて月岡にも同じことを訊かれ、ホースが大槍を床に投げ捨てる。

 苛立つ彼に、月岡は諭すように言った。


「ソウギの言葉を信じるな。奴はお前を利用したいだけだ」


「嘘を言うな! 大熊さんの恩人が、僕を騙すわけないだろ!」


 月岡の説得を跳ね除け、ホースが叫ぶ。

 今の彼は昇たちのあらゆる発言を嘘と見做し、自分に都合のいいものだけを信じる危険な精神状態にあるのだ。

 そんな彼に更なる追い討ちをかけんと、ソウギが姿を現した。


「その調子だ」


 GODに守られながら、彼は炎の中のホースに呼びかける。

 ホースは迷いを振り払うかのように吼えると、月岡を突き飛ばして突進した。


「ぐッ!」


 ホースの暴走を止めんと、アライブは死力を尽くして応戦する。

 ソウギの冷笑にも気づかぬまま、二人は炎の中で戦い続けるのだった。

——————

決意のバトル




 炎に包まれた廃工場での戦いは、未だ激しさを増していた。

 特危獣ホースの猛攻を前にアライブは体力を削られ、とうとう強烈な一撃を喰らって膝を突く。

 アライブの首筋に大槍を突きつけて、ホースが死刑宣告を下した。


「これで終わりだ……」


「やめろ!」


「邪魔だァ!」


 月岡はホースの攻撃を止めようとするが、彼の裏拳を受けて戦いの場から吹き飛ばされる。

 月岡の体を受け止めた火崎が、槍を振り上げるホースに訴えかけた。


「俺たち仲間だろ!? 何で信じてくれねえんだよ!!」


「無駄だよ。馬渕くんにはもう、君たちの声は届かない」


 炎の中の死闘を観戦しながら、ソウギは火崎の叫びを嘲笑う。

 しかし彼の余裕は、遠くから響いた木原の声によって掻き消された。


「それはどうかな!?」


 プロジェクターと延長コードを担いだ木原と金城が駆けつけ、迅速な手捌きで接続する。

 そして電源を着けると、ある映像が廃工場の壁に投影された。


「本部から持ってきた特別映像だよ! これを見て、マブちゃん!」


「これは……」


 特別映像を目にして、ホースは思わず絶句する。

 それはソウギがこれまで犯してきた犯罪の記録だった。

 人間を特危獣に変え、悪意ある計画のために多くの人生を狂わせる。

 ホースの思い描いていたソウギ像とは真逆の本性を見せつけられ、彼は攻撃を躊躇った。


「そんな、嘘だ……」


 ホースは馬渕の姿に戻り、焦点の合わない瞳で特別映像を見つめる。

 GODがプロジェクターを破壊し、淡々とソウギの意思を代弁した。


「何を迷っている? ソウギ様の命令は絶対だ。早くアライブを殺せ」


 だが、馬渕は動かない。

 炎に包まれているというのに、思考の奔流に呑み込まれた彼は寒気に震えて立ち尽くす。

 やがて馬渕は蹲り、頭を抱えて絶叫した。


「僕はもう、何を信じればいいのか分からない!!」


 その言葉を聞いて、ソウギの目から感情が消える。

 彼は大きな溜め息を吐くと、氷のような声で告げた。


「……だったらもう、君に用はない」


 ソウギは馬渕を完全に見限り、右手をゆっくりと掲げて指を鳴らす。

 現れた二体の特危獣に、彼は馬渕とアライブの抹殺を命じた。


「やれ。ウルフ、ピラニア」


 ウルフとピラニアは唸り声を上げ、炎の中に飛び込む。

 かつて倒した特危獣の再出現に、火崎が驚いて言った。


「どうなってんだ!? こいつらは前に倒した筈だ!」


「特危獣はね、進化の種と遺伝子サンプルさえあれば幾らでも生み出せるんだよ」


 謂わば替えの利く部品だ、とソウギは嘯き、戦場に背を向ける。

 そしてGODの放った銃撃の煙に紛れて、二人はその場から姿を消した。


「し……消火器持ってこい! 日向を援護するんだ!」


「了解!!」


 火崎の号令で月岡たちは近くの施設から消火器を取り、廃工場を包む炎目掛けて一斉に噴射する。

 黒い煙の隙間から、馬渕は二体の特危獣に戦いを挑むアライブ––昇の背中を見た。

 変身解除に追い込まれて尚喰らいつき、馬渕を傷つけるまいと懸命に抗っている。

 そんな彼の姿に、馬渕はつい先程までソウギに求めていた理想を重ね合わせた。


「確かにソウギさん……ソウギは大熊さんを助けた。でも今僕を助けようとしているのは昇くんだ! 特撃班のみんなだ! だったら僕は、僕は……!」


 震える膝に力を込めて、馬渕はゆっくりと立ち上がる。

 そして弾かれたように走り出し、視界を遮る煙を払うように拳を振り抜いた。


「ッ!?」


 想定外の一撃を受けたウルフが吹き飛び、煤けた床を転がる。

 倒れた昇を助け起こして、馬渕は自らの答えを告げた。


「僕は戦う。君たちの、人間の味方として!」


「……はい!」


 昇は大きく頷き、馬渕の決断を受け止める。

 そして二人は肩を並べ、それぞれの戦う姿へと再び変身した。

 殺し合うためでなく、助け合うために。


「超動!!」


「はぁあああ……!!」


 昇––アライブと馬渕––ホースは同時に駆け出し、ウルフとピラニアに大反撃を開始する。

 月岡たちの援護射撃で怯んだ隙を突いて猛ラッシュを繰り出し、戦況を一気に逆転させた。


「はあッ!!」


 二人はそれぞれの武器で敵の胴体を貫き、勢いのままに突進してウルフとピラニアを壁に固定させる。

 死闘に終止符を打つべく、アライブたちは大技の構えを取った。


「決めましょう、馬渕さん!」


「ああ!」


 アライブとホースは助走をつけて跳躍し、天井ギリギリの高度で鋭く右脚を突き出す。

 そして咆哮を轟かせ、落下の勢いを乗せた渾身の飛び蹴りを繰り出した。


「ぅおりゃあああッ!!」


「でぃいいやああッ!!」


 飛び蹴りの圧力で武器を深々と突き刺し、ウルフとピラニアの肉体を爆発四散させる。

 アライブとホースは爆炎に背を向けて構えを取り、その勇姿を以って勝利を宣言するのだった––。


「色々あったけど、丸く収まってよかったよ」


 麻婆堂のカウンターに突っ伏しながら、木原がしみじみと呟く。

 バスで集落に帰っていった馬渕を見送った後、昇たちは束の間の休息を過ごしていた。


「プロジェクターは壊れてしまいましたがね。ああ、また予算が圧迫される……」


「まあまあ。マブちゃんを仲間にできたんだし、必要経費だと思えばいいよ。てか経費で落ちるよ!」


「そういう話ではない気が……」


 ズレた励ましをする木原へのツッコミを諦めつつ、金城はメモ帳に出費額を書き入れる。

 隣で大盛りの麻婆豆腐を平らげまくる昇に、木原が不意に話しかけた。


「そういえば今ヒューちゃんの両親探してるんだけどさ、何か知ってることない?」


「両親ですか? えーっと……っておれの両親探してるんですか!?」


「そうだよ? 喜ぶかと思って」


「まあ会えたら嬉しいしありがとうなんですけど、突然の報告すぎていまいち反応に困るっていうか……」


 昇は麻婆豆腐をオブラート代わりに衝撃の事実を呑み込むと、両親について考えを巡らせる。

 しかし10年もの間音信不通だった両親について、彼は殆ど何も覚えていなかった。

 分かっているのは、入院生活の費用を支払い続けてくれたことだけだ。

 昇のスプーンが動きを止める。


「……ごめんなさい。おれ、両親のこと何も知らないんです。顔も声も、生きてるのかさえも」


「謝らないでよ。これから知っていけばいいんだからさ」


「そ、そうですよね! ありがとうございます!」


 昇は明るい笑顔を見せて、再び麻婆豆腐をかき込む。

 いつもと変わらぬ彼の姿に安堵しつつ、木原は地下の研究室へと引き上げた。

 コンピュータを起動し、東都総合病院のデータにアクセスする。

 膨大なる電子の海を泳いだ末、彼女は目当てのデータを探り当てることに成功した。


「見つけた。これがヒューちゃんの……日向昇のカルテ」


 入院当時の身長や体重、投薬歴や症状などの情報の中に、木原は両親の名を見つける。

 父『日向ナオノリ』と、母『日向ユキミ』。

 それが、日向昇の両親の名前だった。

 ナオノリとユキミという二つの単語を手掛かりに、木原は更に調査を進める。

 やがて彼女は、ダークウェブの最深部に佇むとあるサイトを発見した。


「エボリューション・シード?」


 直訳すれば進化の種。

 因縁深い名前を持つこのサイトには、やや砕けた文体の研究日誌が記録されていた。

 研究の題材は、特危獣。


「これはまさか、ソウギの……」


 ページをスクロールする暇もなく、木原はサイトから締め出される。

 どうして昇の両親からソウギの裏サイトに繋がったのか。

 特危獣と昇の両親には、どんな関係があるのか。

 新たな謎に直面しながら、木原はブラックアウトしたコンピュータの画面を見つめ続けるのだった。

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