第24話 詩人の罪と学徒の罰

残された3日間




 地下空洞の大部屋は、張り詰めた空気で満ちていた。

 金城は昇たちの視線を一身に浴びながら、深呼吸して心を落ち着かせる。

 そして眼鏡の奥で大きく目を見開き、天井を指差して言った。


「分かりました。この事件の全てが」


 金城の言葉で、その場の全員に衝撃が走る。

 彼は天に伸ばした指を真正面に突き出し、『事件』の真相を告げた。


「犯人は、この中にいる!!」


 何故、平和な筈の集落で事件が起きているのか。

 金城が暴き出した真相はいかなるものなのか。

 全ては3日前に遡る––。


「お二人さん、初めてなのに上手だねえ」


 無心でろくろを回す昇と月岡に、和装の老婆が声をかけてくる。

 今、二人は彼女の元で陶芸作りを体験していた。


「やった、できた!」


 昇が壺の形を整え、喜びの声を上げる。

 そんな彼の隣で、月岡は陶土と大苦戦を繰り広げていた。


「何て奥深いんだ、陶芸……っ!」


「慣れれば簡単ですよ月岡さん。サッ、パッ、クルクルーです」


「ますます分からん!」


 昇の抽象的すぎるアドバイスを受け、月岡の作品が完成する。

 皿というよりフリスビーに近い謎の円盤を、月岡は放心状態で見つめた。


「これが、陶芸の深淵……」


「せいぜい波打ち際レベルだと思います」


「グハッ!」


 昇の毒舌が突き刺さり、月岡が膝を抱えて痙攣する。

 二人の作品を窯に入れて、老婆が優しく言った。


「お疲れ様でした。焼き上がるまで数時間かかりますから、その間はどうぞ自由にして下さい」


「分かりましたっ」


 昇と月岡は陶芸教室を後にして、二人並んで畦道を歩く。

 来訪から一夜経って、集落の景色はより目に馴染んで見えた。


「みんないい人たちですよね。空気も綺麗で食べ物も美味しくて、最高です」


「たまの休暇で訪れる分には、悪くない所だな」


「またまたぁ、そこはもっと素直にわーい楽しい! でいきましょうよ! ほらバンザイして! わーいって!」


「やめろ、俺はそこまでガキじゃない!」


 畦道の真ん中で戯れる二人の頭上を、蜻蛉が静かに飛んでいく。

 しかし田舎での穏やかな時間は、あまりにも唐突に終わりを告げた。


「きゃああああっ!!」


 昇と月岡は顔を見合わせ、叫び声の方に走り出す。

 そこでは木こりの青年が、首なし死体となって地面に転がっていた。


「金城! これは一体どういうことだ」


 血のついた鎌を手に立ち尽くす金城の肩を掴み、月岡が言う。

 金城は動揺を隠せぬまま、ただ目の前で起こったことを伝えた。


「わ、分かりません。彼の仕事を手伝っていたら、急に首が吹き飛んで」


「苦しい言い訳ですね」


 金城の弁解を遮って、興梠が姿を現す。

 戸惑う金城にバイオリンの弓を突きつけ、彼女は低い声で言った。


「金城さん。あなたが殺したんでしょう」


「あり得ません! 金城さんに限ってそんなこと」


「では、あの鎌にはどう説明をつけるつもりですか?」


 咄嗟に金城を弁護しようとした昇を封殺し、彼らに背を向ける。

 何も言えない昇たちに、興梠は冷たく吐き捨てた。


「互いに手を取り合い、人と特危獣の融和を目指そうとした矢先にこのような事件を起こすとは……失望です」


 簡潔に突きつけられた失望という言葉が、昇たちの胸に重くのしかかる。

 彼らは沈んだ空気のまま地下空洞に戻り、大熊に殺人事件のことを報告した。


「つまり、金城が集落の人を殺したというのか」


「彼は血のついた鎌を持っていました。金城さんが殺人を犯したのは明らかです」


「金城さんはそんなことしません! 信じて下さい!」


 興梠の話を聞く大熊に、昇は強く訴えかける。

 肩を掴む彼の手を払い、大熊は冷静に言った。


「……坊主。人に何かを信じて欲しければ、信じるに足る証拠を持ってくることだ」


 血のついた鎌を上回る証拠を提示しなければ、大熊の信頼を勝ち取れない。

 拳を握りしめる昇たちの前に、大熊が指を3本立てた。


「3日だ。3日以内に金城の無実を証明しろ。できなければ協力関係はご破産だ」


「……分かりました」


 遂に覚悟を決め、金城が一歩前に出る。

 彼は眼鏡を閃かせ、大熊と興梠に宣言した。


「私は無実です。必ずや身の潔白を証明してみせましょう」


「その言葉、信じるぞ」


 大熊は深く頷き、自分の部屋へと戻っていく。

 そして昇と月岡、金城は事件の真相を暴くため、早速捜査を開始した。


「捜査の基本は聞き込みだ。集落を回って、一つでも多くの手掛かりを見つけ出すぞ」


「了解!」


 3人は地上に上がり、迅速に聞き込みを開始する。

 動き出した彼らを見送って、興梠はモグヒコの個室に向かった。

 仕事を終えて眠るモグヒコを起こし、昇たちの動向を告げる。


「彼らが動き始めました」


「ええっ!?」


「ですが心配はありません。私の言う通りにさえしていれば……」


「ねえ」


 興梠の言葉を遮り、モグヒコが彼女の手を握る。

 モグヒコは不安げな声で、興梠に言った。


「オイラ、みんなが大好き。みんなとずっと、トモダチでいられる?」


「……ええ、いられますよ」


 興梠は震える声で答え、モグヒコの頭をそっと撫でる。

 そしてモグヒコを寝かしつけると、彼の部屋の砂時計をひっくり返した。

 砂の落ちきる時間など気にも留めず、彼女は自室のベッドに腰掛ける。

 それから興梠は日が暮れるまで、お気に入りの戯曲を読み耽っていた。

——————

終演のない音楽会




 金城にかけられた殺人容疑を晴らすため、昇たちは入念な調査をした。

 しかし有力な手掛かりは一つも得られず、時間ばかりが過ぎていく。

 そして無罪の証拠を見つけられぬまま、彼らはとうとう約束の3日目を迎えた。


「……いよいよですね」


 読んでいた本を閉じて、興梠が呟く。

 もうすぐ金城は殺人者となり、特撃班と共存の会の友好関係は破綻する。

 その瞬間を見に行かんと、彼女は自室を出て大部屋へと向かった。

 大熊たちと共に切り株の円卓を囲んで、最終弁論の開始を待つ。

 しかしいつまで経っても、金城が姿を現すことはなかった。


「来ませんね。闇夜にその身を眩まし……逃げたのでしょうか」


「そんなことはない。金城は必ず来る」


「大した自信ですね。しかし気をつけた方がいいですよ。戯曲において、自信家の男は碌な結末を辿りませんから」


 金城に揺るがぬ信頼を向ける月岡を、興梠が意地悪く挑発する。

 二人の間に張り詰めた険悪な空気が部屋全体に伝播し、モグヒコの不安は更に強まった。

 大熊は黙り込んだまま、事態の趨勢を慎重に見守る。

 沈黙に満ちた空洞内に、革靴の音が響いた。


「金城さん!」


 昇の声と共に、全員の視線が金城に注がれる。

 金城は眼鏡の奥の瞼を開いて、円卓を囲む観衆たちに呼びかけた。


「皆さん」


 心を急き立てる冷たい炎を押し殺しながら、大熊たちを見回す。

 彼は脳内で何度もシュミレートした筋書きを、躊躇いなく実行した。


「分かりました。この事件の全てが」


 事件の暗雲を晴らすと宣言するかのように、金城が天井を指差す。

 そしてその指を真正面に突き出して、彼は勢いよく告げた。


「犯人は、この中にいる!!」


 金城の言葉に、大部屋にいる全員が凍りつく。

 彼の真っ直ぐに伸ばされた指が、興梠に向けられた。


「それはあなただ。興梠さん」


「……ふっ、あはははは!」


 興梠は激昂するでも困惑するでもなく、腹を押さえて笑い出す。

 一頻り笑うと、彼女は呼吸を整えながら言った。


「失礼。確たる証拠を見つけられなかった挙句、こんな妄言で議論を引っ掻き回すことしかできないあなたがあまりに滑稽で」


「滑稽? 私は至って真面目ですよ」


「はぁ……まあいいでしょう。あなたへの憐れみとして、この下らない探偵ごっこに付き合ってあげますよ」


「感謝します。では、ついてきて下さい」


 金城に案内され、興梠たちは鬱蒼とした林へと向かう。

 一本の太い木を指差して、彼は興梠に言った。


「では興梠さん、この木を切って下さい。……但し、木には直接触れずに」


「意味が分かりません。そんなことをして何になるのか」


「いいから、やってみて下さい」


「……分かりました」


 興梠は大きな溜め息を吐いて頷き、昇たちを木の周囲から遠ざける。

 そして意識を集中し、バイオリンの弓を横薙ぎに振り払った。


「はっ!」


 放たれた真空の刃が空を切り、目標の木を貫く。

 木は真っ二つに切断され、唸りを上げて地面に倒れ込んだ。

 モグヒコが咄嗟に倒木を受け止め、重量挙げの要領で持ち上げる。

 金城が両手を広げ、わざと大仰な仕草をして言った。


「これこそ、興梠さんの犯行の証拠です。切り口を見て下さい」


 金城に促され、昇たちは先ほど切られた木の切断面を凝視する。

 その特徴は、死体の切断面と不気味なまでに一致していた。


「これが動かぬ証拠です。彼女は見えない所からこの衝撃波を放ち、被害者の首を切断したんです!」


「では、血のついた鎌はどう説明する」


「首を切られた時に飛び散った血液が付着したんです。あの鎌に肉片は付着していなかったし、第一あれは木を切るのにすら難儀するナマクラでした。人体を澱みなく切断できる切れ味はありません」


 金城は大熊の質問にもハッキリと答え、興梠を追い詰める。

 もはや大熊たちの信頼は、完全に金城へと向けられていた。


「……素晴らしい。素晴らしい推理ですよ探偵さん。確かに、あの男を殺したのは私です」


 空々しい拍手と共に、興梠はあっさりと容疑を認める。

 しかし彼女はその目に邪悪な輝きを宿すと、口元を邪悪に歪めて言った。


「そこまで明晰な頭脳を持っているなら、私の次の手も読めますよね?」


 特撃班全員を殺し、口封じをする。

 彼女は特危獣クリケットに変貌すると、バイオリン型の鈍器を振り上げて金城に襲いかかった。


「やめろッ!」


 咄嗟に大熊が駆け出し、仁王立ちで金城を庇う。

 煙を上げるバイオリンを肩に担いで、クリケットが彼に脅しをかけた。


「大熊さん。邪魔をすれば集落に降りて、我々の正体を明かしますよ」


 特危獣であることが露見すれば、もはや集落にはいられなくなる。

 動けなくなった大熊に代わり、特撃班の日向昇が前に出た。


「次はあなたですか。せいぜい楽しませて下さいね」


 クリケットは表情一つ変えず、バイオリンを構えて昇に迫る。

 昇は横薙ぎに迫るバイオリンを足場にして跳躍し、空中でショックブレスを起動した。


「超動!!」


 昇はアライブに変身し、落下の勢いを乗せてゴートブレードを振り下ろす。

 激しい鍔迫り合いの中、アライブは剣を捨ててクリケットに肉薄した。

 敵の懐に潜り込み、怒涛のパンチを繰り出す。

 反撃しようとしたクリケットの手からバイオリンを奪い取り、膝で粉々に破壊した。


「おのれ……うぐっ!」


 激昂するクリケットの隙を突き、アライブは鳩尾を幾度も殴りつける。

 彼がトドメを刺そうとした瞬間、クリケットがアライブの首を掴んだ。

 強烈な頭突きでアライブを怯ませ、再び生成したバイオリンで殴打する。

 脳震盪を起こしたアライブに、クリケットは容赦なく追撃を繰り出した。

 ずしん、という鈍い音が響き、大熊たちは思わず息を呑む。

 しかしそれは、アライブの頭蓋骨が砕かれる音ではなかった。


「モグヒコ……」


 両手を広げたモグヒコが、これまでになく勇ましい目でアライブを庇う。

 鈍い音の正体は、彼の支えていた倒木が地面にぶつかる音だった。


「どきなさい。……どいて」


 クリケットに離れるよう促されても、モグヒコは動かない。

 クリケットは大きく息を吐くと、ゆっくり血のついたバイオリンを振り上げた。

 モグヒコは微動だにせず、彼女の目を見据え続ける。

 そして彼の肉体は、苦楽を共にした同士の手によって粉砕––




 ––されなかった。


「民間人は殺せても、友は殺せないか」


 ある意味でとても人間らしい情の発露に、月岡が呟く。

 クリケットはバイオリンを下ろして、月岡の言葉を肯定した。


「当然でしょう。彼とモグヒコとでは、命の価値が違います」


 彼女は興梠の姿に戻り、アライブとモグヒコに背を向ける。

 そして大熊に詰め寄り、秘めた激情を剥き出しにして叫んだ。


「大熊さん。私が本当に共存したかったのはね、共存の会のメンバーだけだったんですよ。この四人だけで、ささやかな幸せを享受していたかったんですよ!」


 特撃班の存在は、興梠にとって排除すべき異物だった。

 だからこそ罪を被せて追放しようとしたのだと、興梠は饒舌に語る。

 心の暗黒面を惜しげもなく曝け出す彼女を、大熊が遮った。


「それは違うぞ興梠! 閉じた世界に意味はない。俺は、本気で人間と」


「そう思っているのはあなただけですよ。……その愚直さが、羨ましくもあったのですがね」


 興梠は大熊に背を向け、自らが切断した切り株に腰掛ける。

 そして蒼く澄んだ空を見上げて、懺悔のように言った。


「無垢なる夢、届かない理想への憧れ。私が詩に惹かれた理由も、今更気づけばそこにあったのかもしれません。でも、もう手遅れです」


 全てを諦めた興梠は、最期のバイオリンを弾き始める。

 その音色はアライブたちに戦いを忘れさせ、林の生き物すらも虜にした。

 美しき奏者の下に集う鳥や小動物、そして人。

 それはまるで、彼女が愛した戯曲の一幕のようであった。


「断言しましょう! 大熊総一、あなたの理想は破綻する!」


 最期の演奏を終え、興梠は慟哭に似た預言を遺す。

 そして彼女はバイオリンの弓で、自らの首を掻き切った。

 賑やかだった林に、物言わぬ死体が転がる。

 モグヒコは興梠だった肉塊に縋りつき、声を枯らして泣き喚いた。

 握り拳を震わせながら、大熊が言う。


「この事実を、馬渕には決して教えるな」


「……約束する」


 大熊の肩に手を置き、月岡は頷いた。

 悪魔と成り果てた友を看取る辛さを、彼は痛いほど知っている。

 それから数時間後、興梠の死体は森の奥に埋葬された。


「……初めて興梠と出会った場所だ。こんな形では、来たくなかった」


 木で作った墓標に目を落として、大熊が独り言を呟く。

 興梠の死を悼む昇たちの胸に、バイオリンの音色はいつまでも響き続けていた。

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