第7話 無茶をしてでも

予想外の再会




 人で賑わう昼下がりの商店街を、昇はトートバッグを片手に歩いていた。

 ポケットのメモ用紙を広げて、買うべき品物を確認する。


「えーと、後は挽き肉と唐辛子と……」


 メモの確認を終えた昇は、足取り軽く肉屋に向かった。

 何故、昇が買い物に出かけているのか。

 事の発端は30分前に遡る。


「ねえ、ヒューちゃんに外出許可出さない?」


 木原の言葉をきっかけに、特撃班のメンバーは侃侃諤諤の議論を開始した。

 そして長い話し合いの末、木原が今夜の夕食に使う食材を無事に買って来られれば許可を出すということになったのである。

 かくして、昇は初めてのおつかいに挑戦していた。

 慣れない町を懸命に歩きながら、少しずつ買い物を進めていく。

 いよいよ後一つとなったその時、商店街に激しい木枯らしが吹き抜けた。

 茶色のベレー帽が女性の頭を離れ、煉瓦の敷き詰められた道を転がる。

 昇はすかさず帽子を拾い、駆け寄ってきた女性にそれを手渡した。


「ありがとうございます。よかった……」


 女性は昇に礼を言い、戻ってきたベレー帽を大事そうに被り直す。

 素朴な雰囲気の彼女を見送りながら、昇はその姿にどこか既視感を覚えていた。


「あの人、どっかで見たような……じゃなくて! 早くおつかい終わらせないと!」


 最後の品物を買い終えて、昇は麻婆堂に戻る。

 そこで彼は、先ほどの女性とあまりにも早い再会を果たした。


「ただ今帰りました……って、あなたは!」


「さっきの人!」


 2人は顔を見合わせて、同時に叫ぶ。

 常連客なのか、店長が気安い口調で女性に言った。


水野みずのちゃん、この人のこと知ってるの?」


「道で親切にしてくれたんです。こんな偶然、あるものなんですね」


 水野と呼ばれた女性は嬉しそうに答えると、微笑みながら昇の方を向く。

 緊張する昇に、水野は自己紹介をした。


「あ、私は水野小町みずのこまちっていいます。将来の夢は画家になることで、趣味は外の風景をスケッチすることです」


「素敵な趣味ですね。よければ絵を見せて貰えませんか?」


「それは、ちょっと恥ずかしいです」


「そうですか……。このお店には、よく来るんですか?」


「はい。ボリュームも味も抜群で」


「分かりますそれ! こないだのイカスミ麻婆豆腐とか最高でした!」


 二人はすっかり打ち解け合い、麻婆堂談義に花を咲かせる。

 昇がおつかいのことを半ば忘れかけたその時、彼の背後から声が聞こえてきた。


「あたしのお夕飯はどうなったんだ〜い」


「木原さんっ!?」


「おっ、ちゃんと揃ってんじゃん。感心感心」


 木原は中身の詰まった買い物袋を手に取ると、水野には目もくれず階下に引っ込む。

 一転して微妙になってしまった空気から逃げるように、昇も特撃班本部に戻った。


「じゃあ、おれもこの辺で」


「はい。また会いましょうね」


 去りゆく背中に手を振って、水野はメニュー表を眺める。

 食事を選んでいるとは思えない物憂げな表情を見て、店長が心配そうに声をかけた。


「どうしたの、何か悩み事?」


「いえ。ただ、あの人とは前に何処かで会ったような気がして」


「そいつはデジャヴだね。ま、腹ごしらえしたら思い出すんじゃない?」


「そうですね。店長、カレーラーメンと餃子、大盛りで」


「あいよ!」


 暫くしてテーブルに躍り出た二皿を、水野は己の華奢な体内に収めていく。

 同じ頃、研究室に戻った昇は火崎に揶揄われていた。


「話は木原から聞いたぞ。お前も隅に置けねえな、このこの」


「島先輩、それくらいにしておいた方が」


 月岡に窘められ、火崎は一旦引き下がる。

 続いて金城が口を開いた。


「しかし不味いことになりましたね。アライブの正体が日向さんであることは極秘事項です。やはり外出許可は出さない方がよろしいのでは」


「ええっ、折角おつかい頑張ったのに!」


 外出許可の是非を巡り、五人はやいのやいのと騒ぎ出す。

 しかし特危獣出現を知らせる警報が、彼らの喧騒を強引に打ち切った。


「東都A地区の河川敷! マンティス!」


「よし、特撃班出動だ!!」


 火崎の号令で、昇たちは東都A地区に向かう。

 鎌を振り回すマンティスに、昇はアライブとなって戦いを挑んだ。


「はっ!」


 ゴートブレードと鎌がぶつかり、鈍い振動が体に伝わる。

 鍔迫り合いの中、強化体に変貌したマンティスがアライブを蹴り飛ばした。


「さあ、新しい力を見せてみろ」


「言われなくても見せてやる!」


 アライブはスネークフェーズに変身し、ゴートブレードをスネークヌンチャクに持ち変える。

 そして鎌の届かない間合いからヌンチャクを伸ばし、マンティスの体を打ち据えた。


「小癪なァ!」


 マンティスは鎌でヌンチャクを切り裂き、風の速さで突進する。

 伸びてくる腕や脚を潜り抜けてアライブに肉薄し、二本の鎌を振り下ろした。

 防御力の低いスネークフェーズの肉体はいとも簡単に傷つき、赤い血で河川敷の芝を染める。

 マンティスがトドメを刺さんとした時、彼女の目が画材道具を手にした水野の姿を捉えた。


「美味そうな匂いのする奴だ……」


 マンティスは標的を水野に切り替え、鎌から鋭い衝撃波を飛ばす。

 怯んで動けない彼女を守るべく、アライブは水野の前に立ちはだかった。


「ぐっ!」


 咄嗟に基本形態となって衝撃波を受け止めたアライブが、大きなダメージを受けてその場に崩れ落ちる。

 二人纏めて始末せんとするマンティスの背後に、月岡たちが特殊弾を打ち込んだ。


「雑魚どもめ……」


 マンティスが振り向いた隙を突き、月岡が鎌目掛けてライフルを撃つ。

 僅かに反応が遅れたマンティスの眼前で、鎌は粉々に砕け散った。


「その鎌は切れ味抜群のようだが、耐久性には難があるようだな」


「ちッ……!!」


 愛用の鎌を破壊され、マンティスはやむなく撤退する。

 全身から力が抜けていくのを感じながら、アライブは水野に逃げるよう促した。


「でも」


「いいから早く!」


 自分の正体を晒すまいと、アライブは懸命に訴えかける。

 しかしとうとう力尽き、彼はとうとう日向昇の姿を晒してしまった。


「あなたは……!」


 重傷を負った昇に、水野は堪らず駆け寄る。

 アライブの正体が、一般市民に露見した。

——————

双剣の守護騎士



 戦いに敗れた昇は、研究室のベッドで目を覚ました。

 ゆっくり身を起こした昇に、月岡が声をかける。


「気がついたか」


「……水野さんは?」


「個室で待機させている。お前の秘密を知られた以上、タダでは帰せないからな」


 昇はベッドから起き上がり、痛みを堪えながら歩き出す。

 覚束ない足取りの彼に、木原が言った。


「どこ行くの?」


「水野さんの所です。話をしないと」


「分かった、俺も行こう」


 昇と月岡は廊下を歩き、水野のいる個室を訪れる。

 扉を開けて二人を出迎えた水野が、彼らの目を見て深々と頭を下げた。


「助けて頂いて、ありがとうございます」


 その瞳に恐怖の色はなく、ただ純粋な感謝のみを湛えている。

 気品さえ感じさせる彼女の態度に、昇が意外そうに言った。


「……怖がらないんですね」


「びっくりはしましたけど、もう落ち着きました。それに、あなたは『ノボルくん』に似てるから」


 透き通る声で答えながら、水野は鞄からスケッチブックを取り出す。

 戸惑う昇に代わり、今度は月岡が口を開いた。


「河川敷にいたのは何故です? 特危獣が出現した時点で、避難勧告が出されていた筈ですが」


「ごめんなさい、スケッチに夢中で」


 月岡に指摘され、水野は申し訳なさそうに縮こまる。

 冷えた空気を暖めんと、昇が明るい口調で言った。


「本当に大好きなんですね。絵を描くの」


「はい。ノボルくんとの思い出なんです」


「……ノボルくんって?」


 昇は身を乗り出して、自分と同じ名を持つ人物について質問する。

 水野はスケッチブックのページを開き、どこか遠い眼差しで語り始めた。


「子供の頃、私は病気で入院してたんです。その時は毎日不安でいっぱいで、絵だけが心の支えでした」


 入院という共通項に、昇の関心が強まる。

 水野は更に続けた。


「そんな時、隣の病室にいた男の子が私の絵を褒めてくれたんです。短い間でしたけど、彼と過ごした時間は宝物です」


「それが、ノボルくん」


「はい。ノボルくんは私よりずっと重い病気なのに、いつも笑顔で私を励まして、勇気をくれて。彼と話している時だけは、不安を忘れられました」


 そして退院の日、水野はノボルと約束を交わした。

 病院の廊下でノボルと指切りをしたことを、彼女は今でも覚えている。


『わたし、大きくなったら絵描きさんになる! それで、今度はわたしがノボルくんを励ましてあげる!』


『ありがとう! おれも絶対元気になるよ!』


『じゃあ、約束!』


 しかしそれ以降、水野がノボルに会うことはなかった。

 遠くの街に引っ越したことで、見舞いに行けなくなってしまったのだ。

 それでも水野はノボルとの約束を忘れず、ひたすらに絵を描き続けた。

 そして数ヶ月ほど前、彼女はこの街の美術大学に合格を果たしたのだった。


「……水野さん」


 水野の話を聞いて、昇は過去の記憶を思い出す。

 一ヶ月だけ隣の病室にいた、素敵な絵を描く少女の記憶を。

 その少女が退院する日、指切りを交わした記憶を。


「……水野さん」


「は、はい」


「おれ、実はノボルさんの友達なんです。今は事情で遠くに行ってて会えないけど、でも必ず伝えます。水野さんは、約束を守ってくれたって!」


 昇は早口で言い切り、個室から走り去る。

 月岡も水野に一礼して、昇の後を追いかけた。

 長く無機質な廊下を、昇は何も言わずに歩いていく。

 どこか寂しげなその背中に、月岡が言った。


「……辛い思いをさせたな」


 思い出の少女と再会を果たしたというのに、戦士であるばかりに正体を明かせない。

 その心情を慮る月岡に、昇が笑顔を見せる。


「いいんです、水野さんを巻き込むわけにはいきませんから」


「……ああ、そうだな」


 月岡は頷き、水野の待つ個室に戻る。

 そして特撃班に関する一切を口外しない旨の誓約書を書かせた後、明日の朝には自宅まで護送することを伝えたのだった。


「よろしくお願いします」


「ええ。責任を持ってお送り致します」


 翌朝、月岡は昇と水野を乗せて車を走らせた。

 レーダーで特危獣の出現を警戒しながら、徐々にスピードを上げていく。

 自宅までの中間点を越えた時、レーダーに赤いマーカーが表示された。


「……来たか!」


 緑の疾風が吹き抜け、マンティスの残像が車を追い越していく。

 車道の中心に立ちはだかったマンティスは鎌を振るい、車目掛けて衝撃波を連射した。


「しっかり捕まっていろ!」


 連続急カーブで攻撃を躱す月岡だが、最後の一撃がタイヤを掠めたことで車の制御を失ってしまう。

 車の天地が逆転する間際、昇が扉を破壊して水野を脱出させた。


「ああっ!!」


 コンクリートの地面を転がる水野の眼前で、車が大爆発を起こす。

 絶望する水野ににじり寄るマンティスが、彼女の鞄を拾い上げて言った。


「なんだ、これは?」


「返して! それは大事なものなの! お願い返して!」


「つまり美味いものか。食ってやる」


 マンティスは鞄を開け、大顎を開いてスケッチブックに齧りつく。

 しかし一口で顔を顰めると、彼女はスケッチブックを地面に叩きつけた。

 足元に転がるそれを踏み躙り、マンティスが鎌を振り上げる。


「口直しだ」


「嫌、助けて! 嫌ぁ!!」


 研ぎ澄まされた鎌の閃きに、水野は死を覚悟する。

 マンティスが鎌を振り下ろそうとしたその時、燃え上がる車の中から声が響いた。


「水野さんに……」


 激情を宿した昇が、赤い炎を背に車体を持ち上げる。

 全身の筋肉を総動員し、彼はマンティス目掛けて車を投げつけた。


「指一本触れるな!!」


 迫る車体を鎌で両断したマンティスの視界を、爆炎が埋め尽くす。

 炎と煙の壁を突っ切って、昇が叫んだ。


「超動!!」


 昇はアライブに変身し、ゴートブレードでマンティスに斬りかかる。

 怒りに燃えるアライブの猛攻に、マンティスは瞬く間に押し込まれていった。


「水野さん、ごめん。でもこれが今のおれなんだ。生きるために……戦わなくちゃいけないんだっ!!」


 渾身のひと突きを喰らい、マンティスの体が吹き飛ばされる。

 尚も立ち上がり両手の鎌を構えたマンティスに着想を得て、アライブは再びショックブレスに手をかけた。


「はぁぁ……!」


 彼は心臓を殴りつけ、新たな形態変化を果たす。

 全身に山羊の遺伝子を発現させてゴートフェーズとなったアライブが、蹄を鳴らして疾走した。


「はあッ!!」


 二本目のゴートブレードを生成し、アライブは二刀を角のようにして猛進する。

 苦し紛れに振るわれた鎌を弾き、彼は両手の剣を交差させた。


「ぁ……」


 マンティスの首が宙を舞い、青い鮮血が飛散する。

 傷と返り血に塗れたアライブが、残された胴体に剣を突き立てた。


「バカな……」


 復活の可能性を完全に絶たれ、マンティスは絶望しながら生体活動を停止する。

 傷と返り血に塗れたアライブが、ゆっくりと振り向いた。

 日向昇の姿に戻り、力強く親指を立てる。

 月岡は大きく頷くと、同じくサムズアップで返した。


「やったー! マンティス倒したー!」


「日向ならやると思ってたぜ!」


「お見事です」


 強敵の撃破に、研究室の木原、火崎、金城も喜びの声を上げる。

 そして数十分後、昇たちは無事に水野を送り届けたのだった。


「本当に、色々ありがとうございました」


「いえいえ。では、どうかお気をつけて」


 月岡と共に礼をし、昇は水野に別れを告げる。

 本部に帰ろうとする昇の背中に、水野が叫んだ。


「絶対、また会いましょうね!」


「……はい!」


 思いがけない言葉を聞いて、昇の中に喜びが込み上げる。

 飛び跳ねる昇と呆れる月岡を、昼下がりの太陽が照らしていた。

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