第6話 進化の始まり

蛇が目覚める




「木原って変な奴だな! 無視しようぜ!」


「教室の隅で本ばっか読んで、お化けみたいだよね。木原さんって」


「林香なんて産まなきゃよかった!」


「お前の論文は非倫理的すぎるんだよ、木原!」


「聞いているのか木原!」


「木原!!」


「ひっ……!」


 罵倒の嵐に打たれ、木原は慌てて飛び起きた。

 恐る恐る周囲を見渡すが、そこに罵詈雑言を吐く他者はいない。

 真っ暗な部屋の中に、たった一人。

 その事実を再確認して、木原は小さく呟いた。


「なんだ、ただの夢か」


 過去の人生で浴びてきた悪口や否定の言葉を夢に見ることが、木原にはよくある。

 その度に彼女は脂汗をかき、パジャマをぐっしょりと濡らしていた。


「気持ち悪……」


 木原はパジャマの袖で額の汗を拭い、枕元のスマートフォンで時間を確認する。

 午前3時。

 まだ活動を始めるには早いが、再び眠るには些か遅い。

 木原はテレビの電源をつけると、録画メニューから一本の映画を再生した。

 画面の中で繰り広げられる物語を、木原は表情一つ変えずに淡々と見続ける。

 ついに物語が終わり、画面は元の録画メニューに戻った。

 木原はリモコンを操作し、先ほどの映画を再び選択する。

 そうして太陽が昇るまで、彼女は同じ映画を観続けた––。


 特危獣023・スクイッドを倒した2日後、昇は研究室で木原の身体検査を受けていた。

 全身にコードを貼られてベッドに横たわる昇に、木原が質問する。


「シズちゃんから聞いたよ。あなた感情でパワーアップしたんだって?」


「はい。上手くは言えないんですけど、何かこうグワーって感じがしました」


「なーるほどねぇ」


 木原はコンピュータを操作して、スクイッド戦の記録映像と日向昇の心電図を画面に表示する。

 映像の中のアライブが発火墨を浴びながら突撃すると同時に、心電図が激しく波打った。


「確かにこの時、超動した状態から更に鼓動が速くなってる。それだけじゃなく、細胞組織もより硬いものに変化してた」


「……つまり?」


「アライブは、状況に応じて形態を切り替えられるかもしれない」


 それが可能ならば、戦いの幅は一気に広がる。

 しかし、そんなことが本当にできるのだろうか。

 疑問をぶつける昇に、木原が自信を持って答えた。


「可能性は大いにあるよ。実際マンティスは姿を変えたし、何よりあなたはイレギュラー中のイレギュラー。どんなことが起こっても不思議じゃない」


 人間を素体として生まれ、3種の動物の特徴を持ち、人間の味方をする。

 特危獣として見た場合、アライブはそれまでの常識を根底から覆すほどの特異性を有していた。

 変化、強化、進化。

 更なる異形と化していく自分の姿を想像し、昇の動悸が早くなる。

 そこでちょうど検査が終わり、全身のコードが自動的に外れた。

 意識を現実に引き戻された昇が、確かめるように言う。


「……どんなことが起こっても不思議じゃないなら、人間に戻れる可能性だってありますよね」


「え? あるにはあるんじゃない?」


「いきなり適当すぎませんか!?」


「だって興味ないんだもん……」


「興味ないってそんな!」


 昇が詰め寄ろうとした瞬間、甲高い警報が研究室に響いた。

 特危獣が現れたのだ。

 駆けつけた月岡たちに、木原が出現地点を教える。


「場所は東都K地区の市民公園。急いで、みんな!」


 月岡、火崎、金城は頷き、奥の扉を通って特殊車両に乗り込む。

 木原の白々しい激励を浴びながら、昇も3人に続いた。


「……今は戦いに集中しないと」


 木原との会話を一旦忘れ、昇は戦闘に意識を向ける。

 車の速度を上げながら、月岡が言った。


「避難誘導は既に完了している。お前は現場につき次第変身しろ」


「分かりました」


「俺たちもついてる。心配すんな!」


「一刻も早く脅威を退け、平和を守りましょう」


 火崎と金城に背中を押され、昇は大きく頷く。

 そして市民公園に到着すると、四人は一斉に飛び出した。

 彼らの殺気を感じた特危獣がゆっくりと振り向き、頬を膨らませて威嚇する。

 滑り気のある皮膚を持つ緑色の特危獣は脚の関節を曲げ、勢いよく昇たちに跳びかかった。


「くっ!」


 彼らは四方に散開し、火崎と金城が左右から特殊弾を撃つ。

 怯んだ隙に昇がショックブレスを起動し、心臓を殴りつけて叫んだ。


「超動!!」


 5万ボルトの電流と衝撃が昇の細胞を活性化させ、彼はアライブへと姿を変える。

 特危獣はアライブの姿を見ると、挑発するような仕草で近くの池に飛び込んだ。


「特撃班より関係各所に通達。東都K地区に出現した特危獣024を、以後フロッグと呼称します」


 金城は特危獣をフロッグと命名し、その特徴を報告する。

 フロッグの潜む池にライフルを向けながら、月岡が言った。


「水中戦は危険だ。地上に出た時を狙え」


「分かりました!」


 アライブは警戒を強め、確実にフロッグを仕留めんと池に目を光らせる。

 大きな飛沫が上がった瞬間、フロッグはもう頭上にいた。


「えっ!?」


 強烈な蹴りを喰らい、アライブの体が地面を転がる。

 立ち上がるアライブを尻目に、フロッグは再び池に潜った。

 攻撃と潜水の繰り返しに翻弄され、アライブは徐々に追い詰められていく。

 消耗と焦燥の中で、彼は強く念じた。


「あいつの動きを、封じなきゃ……!」


 その意思が限界を超えた瞬間、アライブの肉体が激しく痙攣する。

 戸惑うアライブの脳裏に、木原の言葉が蘇った。


「アライブの形態変化……!」


 アライブは覚悟を決め、新たな形態へと姿を変える。

 獅子と山羊の要素を代償に頭部と胴体にも蛇の性質を宿したスネークフェーズが、今ここに誕生した。


「はあ……!」


 アライブは頭部と両腕で三つ首の大蛇を象り、フロッグを萎縮させる。

 そして伸ばした両腕をしならせ、フロッグを何度も打ち据えた。

 しかし怒涛の猛攻にも関わらず、彼は悲鳴の一つも出さない。

 不審に思ったアライブが攻撃の手を止めると、彼は全くの無傷だった。


「効いてない!?」


「ゲーコ!」


 フロッグはドロップキックでアライブを吹き飛ばし、そのまま池の中に逃走する。

 変身解除されたアライブ––昇に、月岡たちが駆け寄った。


「大丈夫か!?」


「はい。でも、さっきのは一体……」


「木原さんに聞くしかありませんね。一旦戻って、体勢を立て直しましょう」


 金城の言葉に頷いて、昇たちは特撃班本部に撤退する。

 帰ってきた彼らを見るなり、木原が嬉しそうに駆け寄った。


「みんなおかえりー!」


「……おれたち負けたんですよ。そんなテンションでいられる状況じゃないでしょ」


「でも新形態出たじゃん! 蛇のやつ! ああ早く研究したいっ! キメラちゃんちょっと服脱いで」


「いい加減にして下さい!!」


 遂に堪忍袋の緒が切れ、昇が怒鳴り声を上げる。

 目を丸くする木原に、彼は凄まじい剣幕で詰め寄った。


「さっきから勝手なことばかり言って……無神経が過ぎますよ! もう少し相手のことを考えて下さい!」


「はいはい分かった、分かりましたよ」


「いいや分かってない! あなたには、人の心が分からないんだ……!」


 昇の言葉が昨夜の夢と重なり、木原は瞳を閉じる。

 暫く考えた末、彼女は昇の言葉を要約した。


「つまりキメラちゃんは、自分のことをあたしに分かってほしいんだ?」


「……はい」


「オッケー。じゃあ着いてきて」


 木原に促され、昇は基地の廊下を歩く。

 大会議室に辿り着くと、木原がプロジェクターとパソコンの用意をした。

 ホワイトボードを覆うスクリーンにパソコンの画面が映し出され、薄暗い部屋が淡い青に照らされる。

 全ての準備を終えると、木原は昇の隣に座って言った。


「これから映画を見るよ。相互理解のためには、共通の話題が必要でしょ?」


「映画って、今そんなことしてる場合じゃ」


「まあまあいいじゃない。ね?」


 笑いかける木原の顔に不覚にもときめいてしまい、昇は反論する言葉を失う。

 スクリーンに映るカウントダウンの数字が0を告げ、遂に映画が始まった。

——————

相互理解の仮説




 雪の降り頻るスラム街を、ひと組の姉弟が走っていた。

 冷たい空気に肺が乾き、足を動かす度に脇腹が痛む。

 弟の手を引いていた三角帽子の少女が、ついに力尽きて倒れた。


「……姉さん!」


 青い髪の少年が少女の肩を揺すり、死なせるまいと懸命に呼びかける。

 少女の頬に大粒の涙を落として、少年は己の罪を懺悔した。


「姉さんごめん、俺が盗みなんてしたから」


「いいのよ。もういいの」


 泣きじゃくる弟を抱きしめて、少女はポケットから最後のパンを取り出す。

 震える手で差し出されたパンを、飢えた少年は必死に拒んだ。


「姉さんが食べてよ。でなきゃ死んじゃうよ!」


「それでもあなたに生きてほしい。この世でたった二人の、家族だから……」


 その言葉を最後に、少女は二度と目覚めない眠りにつく。

 子守唄のような雪に包まれながら、姉弟はいつまでも寄り添っていた––。


「はい映画終わり。どうだった?」


 エンドロールを待たずに画面を消し、木原が隣の昇を見る。

 昇は映画の中の少年もかくやというほどの涙を流しながら、ハンカチで顔を拭いていた。


「え……何それどういうリアクション?」


「感動したんですよ! この映画に!」


「ふーん。あたしは別に感動しなかったなぁ。もう何回も観てるし」


「でも、何か思う所くらいは……」


「それならあるよ。ほら、ラストシーンでお姉ちゃんが弟くんにパンあげるとこ」


 ようやく語り合えそうなシーンを挙げた木原に、昇は大きく頷く。

 しかし木原の感想は、昇のそれとは大いに違っていた。


「何度考えても意味が分かんないんだよねぇ。どうせ死ぬのにわざわざパンあげる必要ある? 自分で食べちゃえばよくない?」


「……木原さん、本当に映画観ましたか?」


「見たよ。40分32秒の爆破シーンが凄かった


「えっ、と」


「ほら語ってよ。相互理解するんでしょ?」


 木原のあまりにかけ離れた価値観に、昇は思わず絶句する。

 彼の様子を見た木原の脳裏に、過去の記憶が蘇った。


「……思い出した。あたし、これで友達失くしたんだった」


 そして木原は、自らの過去を語り始める。


「あたしは子供の頃から勉強が好きでさ、難しい本を毎日読み漁ってたんだよね。小学生の時なんか、相対性理論の論文で読書感想文書いちゃったこともあるくらい」


 そんな木原にとって、学校の授業は退屈なものでしかなかった。

 だから木原は他人の言うことを無視して、自分の好きな勉強や研究にばかり没頭するようになった。

 子供時代の木原にとって、それは普通のことだった。


「でも、周りの人たちはそんなあたしを受け入れなかった。大人はあたしの価値観を矯正しようとしたし、子供はあたしをバイ菌扱いしていじめてきた」


 当たり前か、と木原は自嘲する。

 それから木原は逃げるように我が道を突き進み、共感性と引き換えに孤独を天才的な学力を手に入れた。

 そしていつしか、彼女は国内屈指の大学にトップ合格を果たしていた。


「んで、ゼミの人たちに映画に誘われたのよ。本当はもっと勉強してたかったけど、誘いがあまりにしつこかったから行った」


 その時に観たのが、先ほどの映画『魔法使いと盗賊』だった。

 貧困に耐えながら生きる姉弟の悲劇に、ゼミ生たちはもれなく涙した。

 木原は、泣けなかった。


「それからだったかなぁ、夢でみんなに責められるようになったのは」


「木原さん……」


「悪い夢を見る度に、あたしはさっきの映画を観るんだ。あの映画で泣けるようになったら、周りが受け入れてくれるような気がしてね」


 昇の目に映る木原は、疲れた子供のような表情をしていた。

 彼女は全てを放棄して、投げやりな結論を出す。


「でもダメ。何度やっても泣けないし、悪い夢は消えない。誰かと分かり合うなんて、どだい無理な話だったんだよ」


「木原さん」


「やっぱり君も愛想尽かしたよね。じゃあこれからは他人同士ってことで……」


「ごめんなさい」


 昇は立ち上がり、深々と頭を下げた。

 戸惑う木原の目を見て、はっきりと言う。


「おれ、あなたのことを何も知りませんでした。それなのに酷いことを言って、ごめんなさい」


「え、別に気にしてないけど……」


「それと、ありがとうございます。こうやって話をして、あなたのことを少しだけ理解できました」


「そりゃ、どうも……」


「木原さんは、おれのこと理解できましたか?」


 昇に質問され、木原は日向昇という人間について考える。

 暫く悩んだ末、彼女は気まずそうに言った。


「うーん……全然分かんないや」


 一切の澱みなく、昇は頷く。

 目線の高さを木原に合わせ、素直な言葉を語った。


「それでいいと思います。分からないものを分からないものとして受け入れて、後からゆっくり知っていく。相互理解って、そういうものなんじゃないですか?」


「キメラちゃん、若いのに言うねえ」


「先生の受け売りですよ」


 昇と木原は顔を見合わせ、穏やかに笑い合う。

 大会議室を出た時、二人の間にあった刺々しい空気はすっかり消えていた。


「どうやら解決したみたいだな」


 火崎の言葉に頷いて、昇と木原は研究室に戻る。

 五人揃った研究室に、特危獣024・フロッグの出現を知らせる警報が鳴り響いた。


「……気をつけてね」


「はい、木原さん!」


 木原の応援をしっかりと受け止め、昇たちは再び市民公園に向かう。

 彼らの到着に気付いたフロッグが、今度は先手を取って飛びかかった。


「甘い!」


 月岡が車を急発進させ、フロッグを逆に撥ね飛ばす。

 そして昇たちは車の外に出て、戦闘態勢に入った。


「超動!!」


 銃を構える月岡たちを背に、昇はアライブへと変身する。

 黒光りする鱗に包まれた腕を見て、アライブが動揺の声を上げた。


「いきなり蛇か!」


「ゲ、ゲコー……」


 天敵の出現に、フロッグは怯んで後退る。

 そして池に飛び込むと、池の水が急激に減り始めた。

 反比例してフロッグの体が膨張し、全長数十メートルはあろうかというほどの巨大な姿になる。

 圧倒されるアライブたちに、巨大フロッグが襲いかかった。

 機敏な動きが特徴的だった通常形態とは打って変わってのパワーファイトに、アライブたちは追い込まれていく。

 フロッグの猛攻を掻い潜りながら、アライブは必死に突破口を探した。


「あんなデカいの、どうやって倒すんだ!? おれはまだ蛇の力を何も分かってないのに……」


 何も分かっていない。

 その言葉をきっかけに、彼は木原と交わした会話を思い出した。

 分からないものは無理に分かろうとせず、ゆっくりと飲み込んでいけばいい。

 アライブは大きく深呼吸をして、スネークフェーズの全てに身を委ねた。


「はあ……!」


 そして新武器・スネークヌンチャクを誕生させ、腰を低く落として構える。

 突き出されたフロッグの長い舌目掛けて、アライブがヌンチャクを振るった。


「うりゃあッ!」


 伸縮自在のスネークヌンチャクでフロッグの舌を絡め取り、根本から一気に引き抜く。

 痛みに狂乱するフロッグの巨躯を潜り抜けながら、アライブは脚を伸ばしてフロッグの四肢を薙ぎ払った。

 フロッグの天地が逆転し、柔らかい腹部が太陽の下に晒される。

 戦いに決着をつけるべく、アライブは助走をつけて跳び上がった。

 100メートルの高さまで到達し、スネークヌンチャクを振り回しながら落下する。

 遠心力と重力を乗せた渾身の一撃が、フロッグの腹を貫いた。


「うおりゃあああーッ!!」


 フロッグの肉体が水風船のように破裂し、血と脳漿と池の水が入り混じった液体が飛散する。

 汚水を頭から被ってしまったアライブ––昇たちは急いで本部に帰還すると、普段より念入りにシャワーを浴びたのだった。


「何だか、どっと疲れたなぁ……」


 その夜、家に帰った木原はベッドに寝転がりながら、今日の出来事を思い返していた。

 特撃班に入ってからは毎日が刺激的だったが、その中でも特に退屈しなかった一日だったと思う。

 そうさせてくれた青年のことを考えながら、木原は笑って呟いた。


「もう、キメラちゃんとは呼べないなぁ」


 次のあだ名は何にしよう。

 ぼんやり考えているうちに、木原の瞼が重くなる。

 眠ったら、また悪夢を見てしまうのだろうか。


「……それでもいいや」


 悪夢を見たら、また映画を観ればいい。

 誰かと感想を語り合えたら、尚いい。


「へへ……おやすみ……」


 浮ついた気分のまま、木原は深い眠りに落ちる。

 その夜、彼女は悪夢を見なかった。

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