第5話 一度きりのチャンス

朝顔と支柱




 昇たちが本部に帰還した頃、マンティスは街から遠く離れた森に身を潜めていた。

 異形の姿を維持できなくなり、人間体に戻って地面に倒れ込む。

 暫く草と土の匂いに包まれていると、例の葬儀屋が拍手と共に姿を現した。


「素晴らしいよマンティス。言語の習得に強化体の獲得……君の進化には驚かされるばかりだ」


 顔を上げるマンティスに、葬儀屋が『だが』と続ける。


「君はまだ自分の力を制御しきれていない。力が体に馴染むまで、暴れるのはお預けだ」


「……ふん」


 不服そうに立ち上がったマンティスを連れて、葬儀屋はかつて洋館だった廃墟へと足を踏み入れる。

 扉を開けると、外観とは正反対の美しい内装が二人の視界に飛び込んだ。


「ここが僕の家だ。綺麗だろう?」


 葬儀屋は指を鳴らし、一体の特危獣を呼び出す。

 やって来た犬の特危獣が、葬儀屋の3歩後ろで跪いた。


「彼はGODジーオーディー。僕の付き人みたいなものかな」


 黒く精悍な肉体の所々を機械部品で繋ぎ止めたGODに、葬儀屋が立ち上がるよう促す。

 彼は駆動音を立てながら立ち上がり、葬儀屋に鍵束を差し出した。


「面白いものを見せてあげるよ」


 GODから鍵束を受け取り、葬儀屋は二人を連れて奥の部屋に向かう。

 幾重にも施錠された扉を開けると、そこは広大な隠し部屋だった。

 色とりどりに輝く遺伝子サンプルが規則的に並べられている様はプラネタリウムのようですらあり、マンティスは呆然と立ち尽くす。

 青い試験管を手に取って、葬儀屋が言った。


「『命の揺り籠』。特危獣誕生の地だ」


 彼は試験管の中身を透明なトレイに垂らし、遺伝子サンプルを全体に広げる。

 そしてトレイの中心に赤黒い肉の塊を置くと、恍惚の表情を浮かべて告げた。


「生まれるぞ、新しい命が……!」


 肉塊が根のような触手を伸ばし、青い液体を飲み干す。

 遺伝子サンプルを取り込んだ肉塊は急速に成長し、一体の特危獣となった。

 10本の足と頭巾のような頭部を備えた特危獣・スクイッドが、天に向かって雄叫びを上げる。

 スクイッドは筒のような口を大きく震わせ、真っ黒な墨を吐き出した––。


「お待たせしました、イカスミ麻婆豆腐です」


 麻婆堂のカウンター席に座る昇の前に、店長が料理の入った器を置く。

 昇は両手を合わせると、漆黒の麻婆豆腐を白米と一緒にかき込んだ。

 イカスミのまろやかさが麻婆豆腐の刺激と調和して、何とも言えない絶妙な風味を醸し出している。

 あっという間にイカスミ麻婆豆腐を完食すると、怪我の応急処置を終えた月岡が上がってきた。


「月岡さんも晩ご飯ですか?」


「ああ。店長、塩ラーメンネギ抜き一つ」


「おれもイカスミおかわりで!」


「あいよ!」


 厨房の奥から店長の声が響き、コンロの炎が燃え盛る。

 既に幾つも積み上がった空の皿を目撃して、月岡が質問した。


「お前……それ何杯目だ」


「16杯目です!」


「流石に食い過ぎじゃないか?」


「いやぁ、戦うとどうしてもお腹が空いちゃって」


 特危獣の肉体は強靭な分、維持するために大量のタンパク質を消費する。

 故に特危獣は最も栄養価の高い獲物である人間を襲うのだと、月岡は以前木原が言っていたのを思い出した。

 ぼんやりしていると、16杯目のイカスミ麻婆豆腐が運ばれてくる。

 昇の幸福そうな横顔を眺めながら、月岡はぽつりと呟いた。


「……あいつに似て、よく食べる奴だ」


「え?」


「何でもない」


 月岡がはぐらかすと、昇はそれ以上の追及をすることなく麻婆豆腐を食べ始める。

 脳裏に巣食う幻影を振り払うと、月岡はネギのない塩ラーメンを一杯だけ食べた。

 最後に持ち帰りの炒飯を注文して、未だ研究室に籠っている木原の元に足を運ぶ。

 デスクの上に炒飯の入った容器を置くと、作業に熱中していた木原がのそりと顔を上げた。


「ん……それ差し入れ? ありがと。シズちゃん気が利くねえ」


「いえ。金城は?」


「資料室に行かせたよ。調べてほしいことがあってね」


「調べてほしいこと?」


 木原の言葉に、月岡は疑念を深める。

 木原はコンピュータを操作し、監視カメラが捉えていた記録映像を見せた。

 人間がマンティスに変身し、殺戮を行う様を。


「これは、アライブと同じ……」


「かどうかは分からないけどね。ただ一つ言えるのは、人間体を有する特危獣が現れたってことだけ」


 容姿の差異は、人間と特危獣を隔てる重要な要素の一つだった。

 それが根底から崩れ去り、月岡は震えた声で呟く。


「こんなものを公表したら、とんでもないことになるぞ……」


「そう。だからこれはあたしとシズちゃん、金ちゃんだけの秘密にする。キメラちゃんだって、怪物の姿の方が本性かも」


 そこまで言いかけて、木原は自分の言葉を取り消した。

 流石に揶揄いすぎたと反省し、発言を訂正する。


「じょ、冗談だって。ちゃんと身元も判明してるし、あの子は白だよ」


 月岡が安堵したのも束の間、木原が今度は真面目な口調で続けた。


「でも、黒になる可能性はある」


「……黒に」


「これから特危獣との戦いはますます激化する。そうなればアライブの体にも確実に変化が起こる。そして肉体の変化は、精神にも作用する……」


 戦うためだけの生物兵器に成り果てたアライブの姿が脳裏に浮かび、月岡の体が強張る。

 月岡の肩に手を置いて、木原が単刀直入に言った。


「そうならないために、あなたには彼のバディになってほしいんだよね」


「……っ!」


 バディという言葉に、月岡は激しい拒否反応を示す。

 木原は気まずそうに後頭部を掻きながら、わざと明るい調子で言った。


「あちゃー、言葉選びを間違えちゃったな。正しくは監視役。キメラちゃんが怪物にならないように見張るの」


「……大した皮肉だ」


 二人の間に、暫し静寂が流れる。

 重い沈黙の水底から浮き上がり、木原が話を打ち切った。


「まあ、すぐには決めなくていいや」


「木原さん」


「でも覚えておいて。朝顔が真っ直ぐ伸びるには、支柱が必要だってことを」


 そして木原は手を振り、小走りでシャワー室へと向かう。

 彼女の言葉を反芻しながら、月岡はただ昇の心が人間であり続けるようにと願うのだった。

——————

ライフルVSイカスミ




「おい、釣れそうか?」


 青い海に釣り糸を垂らしながら、ふくよかな男が痩せた男に声をかけた。

 釣り竿を振り上げて糸を手元に戻し、痩せた男が言う。


「ダメだ。やっぱり今日はやめとこうぜ」


「おいおい、折角船まで借りたんだ。もうちょっと粘ろうぜ」


「へいへい分かったよ」


 気持ちの噛み合わない二人を乗せたまま、ボートはゆっくりと海面を漂う。

 痩せた男が再び釣り糸を落とした瞬間、彼の竿が音を立てて軋んだ。


「こりゃ大物だ! 手伝ってくれ!」


「任せろ!」


 ふくよかな男が痩せた男にしがみつき、二人は海中に潜む獲物と戦い始める。

 飛沫を上げて船上に現れたのは、頭巾状の頭部を持つ白い体の怪物だった。

 怪物は触手を伸ばして二人を捕縛し、筒状の口から黒い墨を吐く。

 空気中で発火した墨が火球となって痩せた男に命中し、彼を一瞬で焼死体に変えた。

 甲高い悲鳴を上げるふくよかな男に、怪物は二発目の墨を発射する。

 やはり焼け死んだ男を胃酸で溶かして啜ると、怪物は更なる獲物を求めて港へと上陸した。


「ば、化け物だぁ!!」


 慌てて逃げ出した魚屋の通報が特撃班本部に届き、昇たちは迅速に出動準備を整える。

 現場に向かおうとする月岡を呼び止めて、木原が一丁のライフルを手渡した。


「今朝完成したばかりの試作品、使ってみて」


「分かった!」


 木原からライフルを受け取って、昇と月岡、火崎は戦いの場所に赴く。

 車に備え付けられた通信機から、金城の声が響いた。


「対象の形質と能力から、特危獣024を今後スクイッドと呼称します」


「了解。これより特危獣024・スクイッド撃滅作戦を開始する」


 月岡が応答すると同時に、車はスクイッドのいる港に辿り着く。

 車内で立てた作戦通り、3人はそれぞれの配置についた。


「特撃班だ! 早く逃げろ!」


 市民の避難を促しつつ、火崎が特殊弾でスクイッドを牽制する。

 月岡は市場の非常階段を登り、高所からライフルを構えた。

 昇がコンテナの陰に身を隠す中、スクイッドは火崎を調理するべく墨の弾丸を発射する。

 新幹線もかくやという程の速度で放たれた墨に、昇が勢いよく飛び込んだ。

 

「うわあッ!」


 火崎の代わりに墨を受け、吹き飛ばされた昇の体が海中に投げ出される。

 次の瞬間、海面に爆発的な電流が迸った。


「超動!!」


 昇は海中でアライブに変身し、飛沫を上げて陸上に舞い戻る。

 そして拳を握り締め、アライブはスクイッドに殴りかかった。


「ヌッ!」


 しかしスクイッドの表皮は衝撃を吸収し、アライブの打撃を全く受け付けない。

 零距離の発火墨で吹き飛ばしたアライブに、今度は粘性の高い墨を吐きつける。


「が……ぅあ……!」


 墨に含まれている強酸がアライブの体を溶かし、身を灼くような激痛が迸った。

 彼は溶解墨に侵食された部分を引き剥がし、今度はゴートブレードで剣戟を挑む。

 受け止めんと絡みついてきたスクイッドの触手を斬り裂き、胴体に数度斬撃を見舞った。

 しかし大技を放とうとした隙に溶解墨を喰らい、ゴートブレードはどろどろに溶けてしまう。

 スクイッドはダメ押しとばかりに発火墨でアライブを吹き飛ばし、再び自分に有利な間合いを構築した。


「この野郎ッ!」


 アライブを傷つけさせまいとした火崎の特殊弾が、スクイッドの発火墨とぶつかり合う。

 墨は弾丸を包んだかと思うと、ダイナマイトにも匹敵する爆発を引き起こした。

 爆発の煽りを受け、スクイッドが大きく怯む。

 一部始終を見たアライブと月岡が、同時に同じ結論を導き出した。


「あの爆発を、奴の体内で起こせば!」


 港ごとアライブたちを焼き尽くすべく、スクイッドが発火墨を乱射する。

 爆炎をその身に受けながら疾走するアライブが、スクイッドの眼前で大きく跳躍した。

 派手な動きに誘導され、標的の首が上を向く。

 その瞬間を逃すことなく、月岡はライフルの引き鉄を引いた。


「ヌル!」


 しかしそれよりも一瞬早く、スクイッドが月岡目掛けて発火墨を放つ。

 非常階段から投げ出された月岡に、アライブと火崎が叫んだ。


「月岡さん!」


「月岡!」


 無防備な月岡を焼き殺さんと、スクイッドは口内に発火墨を装填する。

 筒状の口が脈打つ刹那、月岡は空中で体を翻した。


「……っ!!」


 スクイッドの動揺や落下のタイミングすらも計算に入れ、月岡は再び特殊弾を放つ。

 そして特殊弾は口腔内に突入し、発火墨と反応して大爆発を引き起こした。


「ヌ……!」


 武器であり捕食器官でもある口を破壊されたスクイッドが、苦しみのたうち回る。

 そこにアライブがゴートブレードを突き刺し、スクイッドは完全に生体活動を停止した。

 スクイッドの死亡を確認すると、アライブは変身を解いて月岡の側に駆け寄る。

 月岡が倒れているコンテナの上によじ登り、彼の肩を激しく揺さぶった。


「……落ち着け。俺なら平気だ」


「ならいいんですけど、おれ心配で」


「そうだぜ。あんまり無茶ばっかしてると、いつかダメになるぞ」


「それで市民を守れるなら、安い代償です」


 火崎の言葉にも揺らがず、月岡は立ち上がって車に戻ろうとする。

 そんな彼の手を取り、昇が言った。


「火崎さん、ちょっとだけお時間いいですか?」


「構わんが、あまり遠くへ行くなよ」


「了解です!」


 火崎の許可を取り、昇は月岡を連れて港を駆けていく。

 10分ほど走った所で立ち止まり、昇が口を開いた。


「すいません。海なんてそうそう見られるものじゃないから、帰る前にしっかり焼き付けておこうと思って」


 二人の前には、蒼く澄んだ海が果てしなく広がっている。

 目に焼き付けるにはちょうどいい景色だとぼんやり思っていると、月岡は不意に背中が痛むのを感じた。


「やっぱり我慢してたんじゃないですか」


「お前がいきなり引っ張るからだ……」


 毒吐く月岡の掌に、昇の体温が蘇る。

 先ほど彼を引っ張った時、昇は極めて優しい力で手を握っていた。

 月岡が本気で拒めば振り解けるように。


「なあ。我慢してたのは、お互い様なんじゃないのか?」


「えっ、何のことですか?」


「お前がスクイッドに突撃した時、奴の墨攻撃を喰らっていながら微塵も怯まなかっただろう」


「あれですか。何か物凄いやる気を出したら力がグワーってなって、それで不思議と痛くありませんでした!」


「……やる気でグワーか。分かった、後で木原さんに報告しよう」


 それから二人は、何も言わず海を眺める。

 空に二羽のカモメが見えた時、昇が徐ろに口を開いた。


「月岡さん」


「なんだ」


「今日のおれたち、バディって感じしませんでした?」


 またバディか。

 木原に言われたことを思い出し、月岡はそっと俯く。

 『しましたよね』と距離を詰めてくる昇に、月岡がむくれて答えた。


「……バディじゃない。監視役で満足しろ」


「じゃあ、監視役ついでに1つ」


 人差し指を1本立てて、昇が屈託のない笑顔を見せる。

 身構える月岡に、彼は子供のような声色で言った。


「いつか自由に外出できるようになったら、今度は海水浴場に行きましょう。それで泳いだりスイカ割りしたり砂のお城を作ったり……日が暮れるまで遊ぶんです!」


「……くだらん」


「でも、監視役なんでしょ?」


 逃げ道を封じられ、月岡は大きなため息を吐く。

 噛み合わない二人の時間が、大海原の蒼に溶けていった。

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