第4話 活人剣の極意

鍛錬と肉




 特撃班本部のジムで、ジャージに身を包んだ昇と月岡はベンチプレスに勤しんでいた。

 黙々とバーベルを上げ下げする昇に、月岡が額の汗を拭って言う。


「重くないのか」


「いえ、むしろ軽いくらいです」


 昇は涼しい顔で答えるが、彼が持ち上げているのは最大重量のバーベルだ。

 度々上腕二頭筋を自慢してくる火崎でさえ到達したことのない領域を軽々制覇する昇の姿に、月岡は改めて彼の持つ超人的な力を痛感する。

 そして、そんな昇でさえ命懸けの戦いを強いられる特危獣の脅威も。

 考え込む月岡に、昇がわざとらしいほど明るく声をかけた。


「どうしたんですか? 月岡さんもやりましょうよ、筋トレ! 楽しいですよ!」


「あ、ああ。そうだな」


 二人はベンチプレスを再開し、金属部品の軋む音だけがジムに響く。

 黙々と体を鍛える月岡の耳に、昇の小さな独り言が入ってきた。


「強く、ならなくちゃ……」


 数日が経った今も、昇はマンティス戦での敗北を気に病んでいる。

 火崎たちに受け入れられた喜びを差し引いても、脅威を街に残してしまったことは彼にとって大きな悩みの種となっていた。

 故にこうして鍛錬に打ち込んでいるのだが、人間用の器具では大した効果は見込めない。

 不安の雲が心に立ち込めたその時、火崎が姿を現した。


「お前ら、頑張ってるな!」


「島先輩。今日は非番だったんじゃ」


「そうなんだが、一汗流したくてな」


 火崎は元気よく準備運動をして、体を入念に解きほぐす。

 バーベルを元の場所に戻して、昇が質問した。


「……あの、あれからマンティスは?」


「まだ目撃情報は出てないな。それどころか、特危獣の一体も出やしない」


 特撃班は都内全域の監視を強化し、飲食店などの営業を制限するといった対策を行っていた。

 結果として夜間の人通りは大きく減少し、マンティスに襲われる危険性は大きく減少している。

 しかし監視カメラにすら映っていないのは異常だと、月岡が難しい顔で口を開いた。


「対策が功を奏したんでしょうか。俺たちの仕事がないのはいいことだと思いますが……ここ最近の忙しさを考えると、少し気味が悪いですね」


「そうだな。気を緩めず警戒を続けよう」


 火崎は準備運動を終え、手頃な器具の方に歩いていく。

 錘に手をかけた彼の背中に、昇が立ち上がって言った。


「お願いします、おれに稽古をつけて下さい!」


 突然の申し出に、火崎は困惑した様子で昇を見つめる。

 火崎のごつごつした手を取って、昇は切実な態度で訴えた。


「今のままじゃダメなんです。もっと強くならなくちゃ……!」


「お前……」


 二人の視線が交錯し、時が止まったような緊張感がジムに漂う。

 その沈黙を破って、火崎が叫んだ。


「よく言った! それでこそ俺の弟子だぁ!」


「師匠!」


「弟子!」


「師匠!!」


「弟子!!」


「師匠ーっ!!」


「弟子ーっ!!」


 昇と火崎は熱い抱擁を交わし、ジム内のむさ苦しさがいよいよ深刻になる。

 そのまま夕陽に向かって走り出した二人を見送ると、月岡は全員分の器具を片付けてジムを出た。

 タオルで汗を拭いながら研究室に戻ってきた月岡を、木原と金城が迎える。


「シズちゃんおかえりー」


「いい所に来ましたね。少しお時間よろしいでしょうか?」


「どうした」


 金城に促され、月岡は二人が操作しているコンピュータの画面を覗き込んだ。

 そこに表示されている画像を目にして、彼は感嘆の声を上げる。


「これは……!」


 月岡が見たものは、新型ライフルの設計図だった。

 現代科学の粋を結集したといっても過言ではない性能に、彼は率直な感想をぶつけた。


「凄い武器だ。これがあれば特危獣とも渡り合える」


「これで以前開発した特殊弾を撃てば、外皮の薄い特危獣なら致命傷を与えられる。最初の頃に比べたら、大きな進歩だと思わない?」


「ですね。日向昇が来るまで、俺たちが倒せた特危獣は僅かに3体。それも全て手負いでしたから」


「あの子が来てから、何か風向きが変わってる気がする。良くも悪くもね」


 感慨に耽る間もなく、木原は頬を叩いて作業を再開する。


「さ、開発を急がなきゃ!」


「私も手伝いますよ」


「俺は街の見回りをしてくる。クールダウンにもちょうどいいしな」


 特危獣の脅威を1日でも早く取り除くため、5人はそれぞれの仕事に取り掛かる。

 数時間後、少し離れたカレー屋の門前に一人の客が訪れた。

 濃緑色のパーカーと黒いミニスカートに身を包んだ三白眼の美女––マンティスの人間体である。

 見当違いの景色を前に、マンティスは超音波で呟く。


『奴の血の匂いを辿っていた筈だったのだが……ここが奴の巣なのか?』


 漂うルーの香りに引き寄せられ、マンティスは店内に足を踏み入れる。

 アルバイトの若者が放つ不明瞭な発音の挨拶を聞き流して、彼女は横の客が食べていたものを指差した。

 この数日で、僅かではあるが人間の言葉を習得していたのである。


「えっと……カレーライスでよろしいでしょうか?」


「かれえ、らいす」


 その名前を呟いて、彼女は以前葬儀屋の男が食べていたものを思い出す。

 本当は人肉が食べたいが、獲物の減った今はそうもいかない。

 暫く待っていると、粘り気のある茶色い液体に黄色や橙色の塊を幾つか浮かべたものが運ばれてきた。


「お待たせしました、カレーライスです」


 本能に訴えかけるようなスパイスの香りが、食欲を擽る。

 マンティスは皿の中に顔を突っ込み、溺れるように中身を貪った。


『なるほど、これは美味い』


 瞬く間に完食し、マンティスは店を去ろうとする。

 しかし無銭飲食が許される筈もなく、彼女は店員に呼び止められた。


「お客様、代金のお支払いをお願いします。警察を呼びますよ!」


『……私に触れるな!!』


 肩を掴んだ店員の手を振り払い、マンティスは特危獣としての姿を現す。

 それはアライブと戦った時より更に獰猛で禍々しい『強化体』へと変貌を遂げていた。


『食事の時間だ』


 マンティス強化体は店にいた人間を一人残らず斬り殺し、数日ぶりの屍肉を味わう。

 血の味に舌鼓を打ちつつも、彼女の中にはまだスパイスの香りが残っていた。

——————

刃舞う再戦




  黄色いテープに遮られた事件現場の様子は、凄惨なものだった。

 無造作に食い散らかされた首のない死体が店内のあちこちに転がり、咽せ返りそうな血の匂いを撒き散らしている。

 あまりの異臭に顔を顰めながら、金城が犯人を特定する。


「これは……マンティスの仕業とみて間違いありませんね」


「だが、奴は今まで夜道で人を襲ってたんだぞ。こんなに白昼堂々と暴れるってのは考え辛いだろ」


 数日前も昼間に出現したが、その時はアライブに対する挑戦状としての意味合いが強かった。

 しかし今回は全く無軌道に殺戮が行われている。

 考え込む昇たちに、通信機を通して木原が言った。


「考え辛い……そこに落とし穴があったのかもね」


「どういうことだ?」


 火崎が尋ねる。


「あたしたちは夜間の警備を徹底すれば、それでマンティスが引き下がると思っていた。だけど腹を空かせたマンティスは、本来の餌場を捨ててまで人を襲い始めた」


「私たちは無意識のうちに、特危獣を人間の尺度に当て嵌めていたということですか」


 野生動物の本能に、人間の理屈は通用しない。

 その事実を改めて思い知らされ、昇たちの表情が暗くなる。

 しかしいつまでも悔やんでいる暇はないと、月岡が真っ先に奮い立った。


「とにかく、今は一刻も早くマンティスを撃滅することだ」


「月岡さんの言う通りです。今度こそ、おれたちで奴を倒しましょう!」


 昇の言葉に頷き、月岡たちはそれぞれの仕事に取り掛かる。

 昇、月岡、火崎がマンティスを追う中、金城は監視カメラのデータをUSBメモリに収めて特撃班本部に戻った。

 コンピュータにUSBを挿入し、木原と共に分析を開始する。

 そこに記録されていた事件直前の映像は、二人の想像を絶するものだった––。


「あそこだ!」


 同じ頃、昇たちは地域住人の通報を受けて東都J地区の市街地へと急行していた。

 警官隊を蹂躙するマンティスに、月岡と火崎が特殊弾を発砲する。

 飛んできた弾丸を鎌で切り裂き、マンティスが明瞭な発音で言った。


「やっと来たか」


「人間の言葉を喋った……!?」


 マンティスの言葉で、月岡たちに衝撃が走る。

 彼女は頷き、勝ち誇るように言った。


「我々は進化する。そして地上の覇者となる!」


 そしてマンティスは強化体へと変貌し、二振りの鎌を擦り合わせて月岡たちに迫る。

 建物の影に身を隠した昇が、ショックブレスを起動して叫んだ。


「超動!!」


 5万ボルトを宿した拳で心臓を殴りつけ、アライブとなってマンティスの前に立ちはだかる。

 彼に銃口を向けた警官隊の一人を、月岡が制した。


「撃つな! あれは味方だ」


 戸惑う警官隊の目の前で、アライブはマンティスに戦いを挑む。

 彼女が鎌を振るよりも早く懐に潜り込み、蹄を纏った拳を打ち込んだ。


「……痛っ!?」


 しかし強化されたマンティスの外皮はアライブの攻撃を容易く受け止め、逆に殴った蹄に罅を入れてしまう。

 驚くアライブを投げ飛ばし、マンティスは更に威力を増した衝撃波を繰り出した。

 相手の得意な間合いに持ち込まれ、アライブはやむなくゴートブレードを持ち出す。

 絶え間なく続くマンティスの攻撃を躱しながら、彼は数時間前の特訓を思い出した。


「これからお前に、活人剣の極意を叩き込む」


「カツジンケン?」


「人を生かすための剣だ」


 トレーニングジムを出た昇と火崎は、その足で武道場に足を運んでいた。

 剣道の防具を身につけた火崎が、竹刀を真正面に構える。

 つい先程竹刀の構え方を習ったばかりの昇に、彼は向かってくるよう促した。


「さあ、俺から一本取ってみろ!」


「……はい!」


 昇は足音を立てて火崎に迫り、思い切り竹刀を振り下ろす。

 しかし火崎はいとも簡単に昇の太刀を捌くと、強かな一撃を胴に打ち込んだ。


「剣は闇雲に振り回すものじゃない。タイミングを見極めろ」


「タイミング……」


「ここぞという一瞬に全てを懸ける。それが活人剣の極意だ」


「分かりました。おれ、やります。極めてみせます!」


 しかしそれから何度挑んでも一本を取ることは叶わず、昇はとうとう武道場の床に倒れ込んだ。

 蒸れた面を外して見上げる天井が、いやに眩しい。

 浅い呼吸を繰り返しながら、昇が呟いた。


「強い……」


「そりゃそうだ。何せ俺は小学生の時から剣道やってるからな」


「しょ、小学生の時から」


「おうよ。高校の時は全国にも行ったりして……」


 火崎の自慢話を遮って、特危獣出現を知らせる警報が鳴り響く。

 そして今、昇はアライブとなってマンティス強化体との戦いを繰り広げていた。


「甘いッ!」


 マンティスがアライブの斬撃を鎌で受け止め、苛烈な反撃を叩き込む。

 ズタズタに切り裂かれた全身が動く度に鋭く痛むのを感じながら、アライブはそれでも立ち上がった。

 深く息をして神経を研ぎ澄まし、特訓で火崎が見せたのと同じ構えを取る。

 それを見た火崎が、心の中で叫んだ。


「あいつ、この土壇場でやるつもりなのか!? 活人剣を!」


 活人剣は、一朝一夕で修得できる技ではない。

 幾らアライブが超人と言えど、付け焼き刃での実践は殆ど無謀に近かった。


「無茶なのは分かってる。だけど、勝つにはこれしかない!」


 アライブは五感の全てを使い、マンティスの動きを観察する。

 そしてマンティスの鎌より一瞬早く、アライブの剣が彼女の首を捉えた。


「……今だ!」


 無我の境地に身を任せ、アライブは剣を振り抜く。

 彼が剣を収めた瞬間、マンティスの首から緑色の地が噴き出した。

 これなら流石に生きてはいまいと、アライブは横目でマンティスを見る。

 しかしマンティスの首が胴体を離れかけたその時、彼女は信じられない行動に出た。


「死ぬ、ものか……!」


 離れつつある首を胴体に押し留め、再生能力を最大限に引き出して傷を塞ぐ。

 月岡たちの銃弾を浴びながら、マンティスは反則まがいの復活を果たした。


「次はこうはいかない」


 戦慄するアライブたちに捨て台詞を残し、マンティスはビルの向こう側に姿を消す。

 戦いを終えて特撃班本部に戻る車の中で、助手席の昇が俯きがちに呟いた。


「……ごめんなさい。また倒せませんでした」


「気に病むな。お前が戦わなければ、もっと多くの犠牲者が出ていた」


「そうだぜ。それにお前、活人剣の極意も身につけたじゃねえか」


 月岡と火崎に励まされても、昇の表情は晴れない。

 見かねた月岡が、少しスピードを上げながら口を開いた。


「日向昇。自分に無力感を覚えるのはいいが、決してそれに飲み込まれないようにしろ」


「……え?」


「俺たち特撃班にとって、特危獣はあまりに強大な相手だ。救えなかった命や殉職したメンバーは、これまでに何人もいる」


 犠牲者が出る度、月岡たちは怒りと哀しみ、不甲斐なさに打ちのめされた。

 しかし決して諦めることなく、今日まで戦い続けてきた。

 その記憶を思い返して、月岡が言う。


「諦めるな。救えなかった命、救える筈だった命のためにも。俺たちにできることは、それしかない」


「……はい!」


 月岡の言葉を心に刻み、昇は再び前を向く。

 3人を乗せた車が、長いトンネルに入っていった。

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