穴埋め部、推理する

 カラスが目の前を横切った。まだそれなりの膨らみの、歯磨き粉チューブをくわえていた。

「あのカラス、俺らやな」

「はい?」

「歯磨き粉の持ち主が本部の連中や。まだ中身のある事件を横取りされてる。まあ、あいつらはもうすっからかんやと思ってるけどな」

 察しの良いことだ。

「爆破予告の件でなんか分かったんやろ」

 大菱さんがベンチに座った。〇.五人分空けて、隣に失礼する。

「どこから始めましょうか」

「そんな下手な入りで推理する探偵おらんで。事件は、五月十九日やったな」

「はい。中間の当日ですね。実際に爆弾が置かれたのは、前日でしょうけど」

「ほう。その日の朝と違うんか」

「現場は密室です。開錠は警備員さんが行いました。それに、七階ともなれば窓からも出入りできません」

「後ろの扉はどうや? 前の扉を開けて爆弾もどきを発見。通報のため離れる。この流れなら後ろ扉に鍵がかかってたかは分からん」

 反論が丁寧なのは、大菱さんの長所だ。私の穴を指摘してくれるし、そうでなくても、せっかく細かに巡らした推理を、開陳する機会をくれる。

「これは計画犯です。きちんと箱を用意してるし、わざわざ八〇号館の、七階まで来ている。それなのに鍵がかかってたから入れませんじゃ、お話にならない」

「廊下かどっかに放置するつもりだったけど、たまたま教室が開いてたっていうのは?」

「それもありません。何故なら予告文とマグネットまで用意していたからです」

 先輩が唸る。「なるほどな」

「マグネットがつくような場所は黒板だけ。犯人は最初から教室に爆弾と予告文を置くつもりだった。ここまで、大丈夫でしょうか」

「うん、問題ないと思う」

 ワトソンの承認を得て、私の推理は先に進む。

「では、犯人はいかにして侵入したか。前日の夜十時頃、巡回が入っています。爆弾があればそのときに発見されるから、置かれたのはそれ以降。十時以降に犯人は侵入したということになる」

「それかあらかじめ潜んでいたかやな。確か、でかいロッカーがあったやろ」

「……推理を先取りしないでもらえます?」

 せっかく綺麗に消去法で進めようとしたのに。しかも、分かっててやっているからたちが悪い。この意地の悪さは、大菱さんの短所だ。

「すまん」

「先輩って授業聞かずに勝手に教科書進めるタイプですよね」

「いや、授業聞かずに教科書に落書きするタイプやったかな」

「ノートじゃないんだ。教科書って地味に描きにくくないですか」

「ノートは提出があるからな」

 そこまでして落書きしたいか?

「話戻そか。どうして、夜間に鍵を開けて侵入できないんや。それに、当日の早朝が否定される理屈も説明してもらおうか」

「鍵の保管場所は警備室です。日中ならともかく、授業が終われば鍵は返却。深夜なり早朝なりに鍵を持ち出せるのは、警備員さんだけなんです。じゃあ警備員さんが爆弾もどきをしかけることは可能か。あれは、それなりの大きさがあります。カメラに映った警備員さんは不審なものを持っていなかったし、時間通りに巡回をしているから、非常口を回って爆弾を仕掛けておいた、というのも考えにくい。早朝も同じです。

 これで、犯人の経路がだいぶ絞れます」

 構内図を頭に浮かべる。

「犯人はロッカーに隠れ、警備員さんの巡回が終わってから爆弾を置いた。多分、そのまま朝まで七四教室に残っていたと思います。深夜の構内を歩いてセキュリティにでも引っかかれば、アウトですから。それに、傍証もあります。犯人が予告だけじゃなく、箱まで置いたのは、警備員さんをそこから引き離すためでしょう。その隙に非常口から逃げるために。

 ここでネックになるのが、学生証です」

「学生証?」

「感染対策のために入館は記録されてます。教職員も学生も。となると、一晩構内に潜めば、一発でそれがバレてしまう。警察が捜査すればなおさらです。犯人がこのリスクを避けられる手段は例えば、別のルートを使うこと」

「……テニスコートか!」

「はい。裏から回れば、テニスコートの出入り口を使えます。とはいえフェンスが高くてよじ登って侵入するのは難しいし、活動時間が終われば施錠されます。だから、犯人はテニスコートの出入り口を違和感なく使える人間」

「まず、テニサーの誰かやな」

 大菱さんが人差し指を立て、私がそこに可能性を付け加える。

「それから部員と仲の良い人間」

「そこまで含めたら容疑者がえらい多くなるな」

「元々の数に比べれば十分少ないでしょう」

 大菱さんはたしかにな、と頷いた。

「犯人は硬式庭球会かその関係者。そして極めつけは、ロッカーに落ちていたトコちゃんです。あれは昨年の入学者――つまり、二年生しか持ってないものです。先輩、硬式庭球会に二年生はいますか?」

 徐々に論理を詰めていく。大菱さんの目は心なしか、笑っていなかった。

「いや、去年は問題を起こして活動停止。今年は感染症で勧誘活動できず。二年や一年が入ることは、ないな」

「はい。なので、サークル内に犯人はいない。と言っても三四年だけのサークルと下級生って、中々接点はできませんよね。――それこそ、あなたくらいです。大菱さん」

 さっきまでワトソンとして相対していた人を、私は告発した。


「まったく大したもんや。容疑者一千人から、辿り着くなんてな」

「動機はやっぱり、試験ですか。別に留年するわけじゃあるまいし、大人しく再履すれば良いのに」

「その利口さがあれば問題なく単位取ってるわ」

 大菱さんは犯人になっても大菱さんだった。殺人をしたわけではないけれど、爆破予告は立派な犯罪。確かに矜持のない人だけれど、爪の先程度の尊厳くらいは、持っているだろう。それなのに、この振る舞い。

「さ、編集長になんて言いましょうかね」

「犯人が分かりましたって言ったら、目を丸くするやろな」

「しかもそれが大菱さんですからね。倒れちゃいますよ」

「案外、握り潰したりしてな」

 編集長のことだからあり得る。というより、そうしない理由がない。編集長はあくまで弱小コラムの責任者だ。犯人発覚の記事は巻頭を飾る。編集長の手柄にはならないし、大菱さんもろとも除名になるかもしれない。

「……きっとそうしますね。大菱さんの狙いは、それだったんですね」

「ん?」

 先輩の潔さが、凍る。

「大菱さん、犯人じゃないんでしょ?」

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