穴埋め部、捜査する
無計画に繰り出した現場は、幸いにも使われていなかった。これで授業中ともなればとんだ無駄足だ。前扉から中に入り、ざっと教室を見回す。
八〇年館はかつて、滑床大学の付属高校の校舎だった。その名残で、各教室の内観は高校のそれである。前方には黒板、教壇に教卓。机だけは一新され、横長のものが四列並んでいる。後ろには、縦長のロッカーがすみに鎮座していた。多分、掃除用具を入れていたものだ。
「マグネットはもう回収されちゃってますか」
「ああ、元々この教室のもんじゃなかったらしい」
「それにしても古典的ですね。紙の予告なんて」
「電話やネットだと、簡単に足がつくからな。ある意味今回のやり方は一番安全かもしれんぞ」
存外、鋭い指摘だった。ネットは言わずもがな、公衆電話だってこの辺りにはひとつふたつしかないだろうから、足取りはすぐに辿られそうだ。一方ここなら、非常階段を使えばカメラにも映らない。
「前日の夜の時点で箱は置いてあったんでしょうか」
「いや、警備員の話じゃ二十二時の巡回のときにはなかったらしい」
「へえ」
それを聞くと、話が変わってくる。前後の扉を確かめた。どちらも中から鍵をかけられるものだ。それに、外にも鍵穴がある。
「こういう教室の鍵って、どこにあるんでしょう」
「鍵は基本、事務で保管してるな。大体朝一で使う教授が開けて、施錠は警備員がやるはずや」
「詳しいですね」
「ポンコツ教授が一回鍵なくして、探すの手伝ったからな」
「菊川先生ですか?」
「なんでポンコツだけで伝わるねん」
社会学部では有名な話だ。授業で使う資料が毎回足りず、「お菊のレジュメ」と呼ばれているとかいないとか。
「……なんか分かったんか?」
黙って俯いていると、大菱さんはそう聞いた。分かりそう、というのが正しい。なんとなく要素が揃ったような、そんな感覚。私が答えないでいると、大菱さんは、後ろにある背高のロッカーを開けた。
「なんかあるな」
大菱さんが屈むので、そちらに思考を奪われる。彼が手にするのは、赤い、二頭身の人形だった。見覚えがある。「トコちゃん?」
シルエットは滑子のようだが、ネコ科を思わせる耳のおかげで、辛うじて動物を模しているのが分かる。手足は短く、弊学のセンスを示すには申し分ないマスコット。それがトコちゃんだ。
「人形まで作るほど推してるんですか」
「俺の代の入学式から配られ始めたんやけど、まあ愛着は湧くな」
私は入学式がオンラインだった。同級生が持っているのも見たことがないから、それきり生産していないのだろう。一年ものだ。
「プレミアがつくかもですね」
私は、自分の視界がずいぶん開けているのを感じた。収まるべきところに収まった。
取材を切り上げ、編集室へ戻ることとなる。
締切り前、編集室は師走も逃げ出すような慌ただしさを見せる。でも、穴埋め部の狭いスペースは、誰かが走ることも、原稿がぶちまけられることもない。時間の流れがここだけ違う。それに、熱量も。
「大菱さん、少し出ませんか?」
「ん」
画面とにらめっこの先輩は、声だけ返してきた。
私達は中庭に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます