穴埋め部、遭遇する
現場は七階にあり、七四教室と呼ばれている。八〇号館に入ると、大菱さんが上を見た。
「こいつが役に立ってたらな」
唯一の監視カメラ。あれに犯人が映っていれば、事件はとうに解決しているはずだ。だが、生憎八〇号館には非常口があり、施錠もされていない。七階まで上がるのは大変だが、できないことでもないだろう。
現場に向かう最中、すれ違った男性が、「おう」と声をかけてきた。
「おい、何女子連れてんだ大菱。らしくねえな」
「勘弁してくださいよお」
無遠慮な物言いにも、大菱さんは冗談めかして答える。それから私を横目に、
「後輩です。取材中なんですよ。……コウテイの宮織さんや」
コウテイ。硬式庭球会の略だ。そう言われて覚えがあった。確か、『不滑』の四月号で、会長として紹介されていた人だ。社会学部三年、宮織……下の名前は忘れてしまった。
パーマのかかった髪は長く、左右に分けられている。色黒で目の主張の激しい、湘南にでもいそうな男性。
「なんだ、何の取材だ」
「ほらあの、爆破予告……」
宮織さんは、ああ、と呟いた。「まだ擦るのか」
「そういう仕事なんですよ」
穴埋め部の微妙な立場をあまり晒したくないのか、大菱さんの歯切れは悪い。だが、これはチャンスではないか? というのも、現場となった教室では当日、経済学部の試験が行われる予定だった。関係者でもないから本部から取材は受けていないだろう。ひょっとしたら、何か掘り出せるかも。
「あの、七四教室ってよく使ってましたか?」
「ああ、マクロ経済の特講が、あそこだったからな」
「マクロ経済特講……」
聞き覚えがある。確か裏シラバス――授業にまつわる忌憚のない意見を寄せ集めた、四月の風物詩だ――に、たいそう酷い文句が寄せられていた。曰く、教授が授業中に質問をしてくる、答えられなかったら評価は下がる、しかし後から調べてみると、その質問は扱ってもいない論文を読んでいないと答えられない……。
「試験も難しそうですね」
正直な感想を漏らすと宮織さんは、
「まあな。爆破予告がなけりゃカンニングでもしてやろうかと思ったよ」
とこれまた正直な返事。滑床大学は、三年生まではどれだけ単位が足りなくても進級できる仕組みになっている。審判が下されるのは四年に上がるときか、卒業するときか。宮織さんは結構危うい立場なのかも。
「こ……こんなとこで喋っててもしゃあないやろ。行くで、正木」
大菱さんは歩き出す。私は宮織さんに目礼して、後に続いた。
「なんの知り合いなんです?」
エレベータに入るなりそう聞いた。大菱さんとは縁のなさそうな人間だし、大菱さんは私と同じ社会学部。経済学部の彼と、どこで接点が生まれたのだろう。
「コウテイに取材に行ったときに、ちょっとな」
「コウテイってなんかやらかしたんですか」
悪いことをした前提なのは、宮織さんがいかにも女子を無理矢理酔わせていそうな見てくれだったからだ。ただ、それは偏見でもなかったようで、
「去年の歓迎会で、新入生とちょっとな。被害者は取材とか完全にシャットアウトしとったから、コウテイに行ったんや。宮織さんはまだ二年やったけど、コウテイの言い分を載せたから味方に思われたみたいでな。それから時々、便宜図ってもらってる」
メディアと組織の黒い繋がり――咄嗟に浮かんだのは、そういう構図だった。恐る恐る、「いったい、何を?」と聞いてみる。
「テニスコートには裏口があるんや。外に出られる」
「はい」
体育の授業で一度だけ行ったことがある。フェンスの高い、広めのコートだった。
「関係者以外使えないんやけど、俺んちからだと、その入口の方が近いんや。十分は縮まる」
「はあ」
「宮織さんのおかげで、何回遅刻免れたか分からんわ。大体宮織さんが朝一で練習するから、鍵も開いてるし。あとは一緒の講義受けてるから、交互に出席したり」
しょうもな!
「まあそうかっかすんなや」
呆れが表に出ていただろうか、大菱さんに窘められる。「あれで宮織さんも苦労してるんよ。去年はやらかして活動停止、今年は感染症。新入生は未だゼロらしいで」
サークルとしては頭が重いのだろうが、一年単位で活動停止を食らうのなら、いっそ二度と活動しないでほしい。
「けどまあ、宮織さんのおかげでなんとなく動機は分かりましたね」
「爆破予告のか?」
「はい。どうせ、どっかの試験がヤバくて中止させたかったんでしょう。わざわざ箱を置いたのは、その方が本当に仕掛けられてるぞ、って感じがするからでしょうね」
「ならあれか、マクロ特講受けてるやつが犯人か」
「どうでしょう。私だったら自分の受けてる講義の教室に置く勇気ないですけど。裏をかいたり、よほど図太かったりすれば……」
これ以上は、想像で補うしかない域だ。それよりは、目に見えるものに集中しよう。
七四教室に到着した。
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