第134話 ニーザクセ州へ

あの後、流行病対策会議とやらで俺が提案した諸々の対策や、初期症状への『麻黄湯』や『葛根湯』の使用を州全域で適用する事がすぐに決まったそうだ。重症化した時の特効薬ともいえる『吸入薬』については効果の異常な高さに加え、価格が価格なので、ある程度の数をまとめて購入はするが運用については慎重に検討するらしい。


マスクの着用や、手洗いの励行、アルコール消毒については皇国執行令として実質強制とされ、守らない場合は軽い罰則まで課されるそうだ。

日本でもゲホゲホ咳をしているような人がマスクしてなかったりという事があったのを思い出して、こういう時に国の強権があると強いなと思ってしまった。



俺の対策案が導入される事が決まってからしばらく経った。予防策については町全域で行われている。『麻黄湯』や『葛根湯』については、ノルトラエ州の薬業貴族や薬師が成分を分析して量産を始めるらしい。まあこれについては多分、何とかなるだろう。


ただ、中身が『二級傷病回復薬』な上に超微細なパウダー状に加工してある吸入薬については、俺以外に作れる人間は皇国にいないだろう。さらに、ダイチが作ったスクリューキャップの容器も作れるか甚だ疑問だ。


ある程度の数は渡しておいたので、トリアージについてはノルトラエ州として考えて貰うしかないな。いずれ、重症者は減っていくはずなので。申し訳ないが、俺は聖人君子でも何でもないので無尽蔵に作り続ける気はない。


とりあえず、あとは俺がいなくてもなんとかなりそうだ。ボトロックへの恩は十分返したし、ここに居続けると面倒な事にもなりそうだし、潮時だろう。


滞在している部屋で、ジルとミズーに話しかけた。


「なあ、そろそろここを離れようと思うんだが。後は、ノルトラエ州の薬業貴族に任せておけば大丈夫だろう」


「そろそろニーザクセ州のお祭りが始まる頃だし、私は大賛成だよ」


『お主がそう判断するなら反対する理由もない。そもそもここには美味いパンも無いし、麻雀も無いし退屈で仕方がない。あと、そろそろうどんを打ちたくなってきた』


醤油を作った時にうどんを試作してみたのだが、それに興味を持ったミズーは何故かそのままうどん打ちにハマっているのだ。蕎麦でも似たような事が出来ると言ったら、そっちにも興味を示していた。


遊戯についてはここでも時々トランプはやっていたのだが、それだけではミズーはご不満だったらしい。


「ユリーに声をかけて、早々にここを発たせてもらうか」


部屋の外に出て誰かいないか見てみると、メイドと思しき女性がいたのでユリーの居場所を確認したところ、どうやらアーブラハムやアルバンと一緒にいるらしい。

聞いていた部屋に入ると三人がいた。


「すみません、こちらにおられると伺いまして」


「おお、トール君。何か私に用か?」


「そろそろ、ここを発とうと思います。州全域に私が提案した対策が実施される見込みは付きましたし」


そう言うとユリーが残念そうな顔をする。


「いや、もう少しいてもいいんじゃないか? 今回の褒賞についてもまだ何も決まっていないし」


「ああ、前にも言いましたが褒賞の類は要りません。対策案や麻黄湯、肺炎用の薬の代金として莫大なお金を州からボトロック家を通して払っていただきましたし、それ以上は要りませんよ。移住推薦の恩もこれで返せたかと思います」


正直、面倒な事になっても困るのもあって、金もそんな欲しくも無かったのだが。アーブラハムが腕を組んで唸っている。


「うーむ……、しかしここまでしてもらって褒賞無しというのはボトロックはもちろん、ノルトラエ州の沽券にも関わるのだがな。トール殿はヘルヒ・ノルトラエの救世主と言って良い。移住推薦の恩など、とうの昔に十分すぎる程返して貰っている」


「私は市井で静かに薬屋を営めればそれで良いのです。それ以上は求めません。前にも言いました通り、私は最初からいなかったものとして貰えれば」


「そうか……、これ以上無理強いしても仕方ないか。承知した。いつ頃ここを発つつもりかね?」


「ジル、どうする?」


「そうだね。二、三日後で良いんじゃない?」


「そうするか。じゃあ、三日後の朝にここを発つ事にします」


「トール君が結婚していなければ、私の夫としてボトロック家に是非入って欲しかったのだがな」


そう言って、ニヤリと笑うユリー。本気なのか冗談なのか判断に迷うな。


「すみません、私はジルヴィア一筋でして」


その一言に、ジルヴィアが顔を少し赤らめて嬉しそうな顔をしている。


「ふふふ、熱くて妬けるな」



それから、ゼッツァー老やアルマさんなどに挨拶したり、送別会をして貰ったりして三日が経った。出立の朝だ。


屋敷の入口までユリー、アーブラハム、アルバンが見送りに来てくれた。


「トール君、本当に世話になった。本当にありがとう」


「トール殿、流行病への対策のみならず、私の命を救ってくれた恩は忘れる事はないだろう。後から褒賞が欲しくなったとか、困り事があったら遠慮なくボトロック家を頼ってくれたまえ。出来得る限りの協力は惜しまぬ」


「ダメーアンの間抜け面は正直スカッとした。トール殿のおかげだ、お達者で」


「では、これで」


そう言って、俺たちはボトロックの屋敷から旅立った。目指すはニーザクセ州だ。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



エッカルトが公邸私室にて一人考え込んでいた。ボトロックが懇意にしている薬師を何とかノルトラエ州の薬業貴族として引き込めないかと。

王国出身という事らしいが、市井に置くには惜しい極めて優秀な薬師なのは間違いないからだ。下手をすれば皇国一の薬師と言っていい腕じゃないだろうか?


アーブラハムを通して何度も打診してみたが、貴族の身分や名誉はもちろん、金銭の類も必要以上に求めていないらしく、すげなく断られてしまった。


「うーむ……、皇国執行令で強制的に貴族にするというような事は出来ぬしな」


本来、貴族になるのを要請される事は非常に名誉な事だし、下世話だが金銭的なメリットも大きい。私が薬業貴族になる事をお願いしたが断られて、しまいには強制したなんて市井に広まったら末代までの恥だ。それならまだしも、中央に知られたら何らかの処分を受けるかもしれない。


直接相談したいとも思ったが、どうやら既にヘルヒ・ノルトラエを発ってしまったらしい。褒賞に興味が無いというのは真であったわけだ。このような事が何度も起こるとは思えないが、何とかノルトラエ州で抱える事は出来ないだろうか。


脇に控えている秘書の男に話しかける。まだ二十代と若いが、非常に優秀な文官である。


「例の男についてだが、どう思う?」


我ながら、簡素すぎる問いかけだな。


「件の薬師ですか? 無理やり貴族にすると言うのは難しいと思います。一度、中央に相談してみては?」


これだけで察するとはやはり大した奴だ、この男もどこかの業務貴族に婿入りさせてノルトラエ州の貴族にしたいと考えている。


「やはりそれしかないか」



その後、皇都にボトロック家と知己がある王国出身の薬師を業務貴族として召し抱えたい旨を打診した所、程なくして回答が来た。回答の内容に少し驚いてしまった。


『その薬師に手出しすることを禁ずる。ノルトラエ州の貴族にするなど論外である』


異常に優秀な薬師ゆえにおかしいと思っていたが、やはり訳アリというわけだ。

であれば、惜しいが手を引かざるを得ないな。

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