第131話 消毒用アルコール

馬車に乗って酒屋に向かう、しばらく走って酒屋に着いた。ちなみに、ミズーは馬車に乗れないので並走している。結構こじんまりとした店で、あんまり奇麗じゃないな。


「ここだ。ゼッツァー老は口が悪くてやや激しい性格だが、悪い人ではないので気にしないでくれ」


ユリーがそう言って、ドアを開けて中に入る。中には背が低く、白髪にもっさりとした髭を蓄えた、筋肉質の老人が座っていた。ドワーフ??


「ゼッツァー老、お願いしていた酒精の強い消毒薬の進捗状況はどうですか?」


そう言われた老人がギロッとユリーの方を睨む。


「あぁ、ユリーのお嬢ちゃんか。飲めねえ酒ってだけでも気に入らねえのに、酒精をもっと上げろとか無茶言いやがるぜ、ボトロックの連中は。とりあえず、あまり芳しくねえ」


「うーむ、やはりそうですか」


「そっちの小僧とお嬢ちゃんは誰だ? おいおい、しかもなんだその大川辺猫は」


「ああ、それが前に言っていた薬師のトール殿だ。そちらは妻のジルヴィア殿。大川辺猫はトール殿の飼い猫だ」


「はあ~、こんな年端もいかない小僧が流行病対策を色々と出した薬師だってのか。おめえ、若いのに大したもんだな」


「どうも、トール・ハーラーです」


ジルも軽く会釈をしている。


「おめえが言っていた酒精の強い酒だが、そこまで強いのは流石に作れねえぞ。何か良い方法を知ってたりしないか?」


うーん、やっぱりまだ蒸留が皇国では一般的な知識ではないという事か。教えたら何とかしてくれるのかね?


「ここだけの話ですが、なくもないですよ」


「なにっ! すぐに聞かせろ!」


ゼッツァー老が急に身を乗り出してきた。


「ええとですね、ゼッツァーさんは水を加熱していくとボコボコと沸騰するのは御存知ですよね?」


「そりゃ、当たり前だ」


「実はですね、酒そのものの沸騰する温度と水の沸騰する温度に差があるのです。具体的には酒の方が低い温度で沸騰します」


「ほうほう」


「ですので、普段飲まれているようなお酒をゆっくりと過熱していけば、純粋な酒の成分だけが最初に沸騰して酒の空気になって飛んでいくわけです」


「なるほど、その酒の空気だけを回収し、冷やしてもう一度酒にすれば、酒精がガッと強くなるって寸法か!! やるじゃねえか、小僧!!」


そう言って、俺の背中をバンバンと叩く。……少し痛い。


「そうです、それでそういう事が出来る装置は作れそうですか?」


「誰に言ってやがるんだ!! 理屈さえ分かれば問題ねえ!! よっしゃ早速やるぞ!!」


そう言ってゼッツァーは奥に入っていった、残された俺たち。その様子を見ていたユリーがふーっとため息をつく。


「……とりあえず、任せておいて大丈夫そうだな。我々は家に戻ろう」


そう言って、ユリーは店の外に出て行った。そう言えば苦み剤は大丈夫なんだろうか。奥に向かって声をかけてみる。


「ゼッツァーさん、苦み剤については大丈夫ですか?」


そう言うと、奥の方から大きい声が響く。


「ああ! 近くの森に生えている、樫苦木って植物の葉っぱからめちゃくちゃ苦い成分が抽出できるからそれを使えば大丈夫だ!」


「そうですか、では後はお任せします」


「おう、任せとけ!! そうだ、一つ聞きたかったんだ。これは、流行病対策用のとは別に飲む用の物を作っても良いんだろ?」


「ええ、そこはお好きにどうぞ。あと、私はお金や名誉は要りませんので、全部ゼッツァーさんの手柄にしてもらって良いですよ」


「全部俺の手柄っつーのは気に食わねえな。まあそこはおいおい考えりゃいいか。しかしへっへっへ、酒精の強い酒とか最高じゃねえか! 仲間にも声をかけりゃ人手もすぐ集まるぜ!!」


呑兵衛のオッサンどもが集まって仕事するのかな、まあ消毒用アルコールが出来ればそれで良いか。俺とジルも店から出て、馬車に乗り込んだ。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



【皇国における重篤性感冒の初出】


皇国歴×××年、王国からの悪意によってヘルヒ・ノルトラエで、重篤性感冒が大流行する事になる。

その後、この重篤性感冒は定期的に皇国で流行る事になるが、当時のヘルヒ・ノルトラエで対策方法が確立された事で、今日に至るまで大きな被害は出なくて済んでいる。


何故、当時のヘルヒ・ノルトラエで後世になって分かる事になる科学的に正しい対策案を的確に実施できたのかは今日に至るまで謎のままである。

これについては、とある貴族の発案によるとか、流れの天才薬師が提案したことによるとか、諸説ある。


対策の一つであるマスクの着用については、今も服飾の老舗として営業している『アルマ服飾社(旧:アルマ服飾店)』が始めたこととされている。

当時としては不織布が無かったので、ただの目が細かい布のマスクであったが、皇国執行令によってマスクの着用を全州民に義務付ける事でそれなりの効果が出たという。


さらに、デザイン性が高い物や良い生地を使うなど付加価値を付けたマスクを富裕層に先んじて売り出し、衛生面でも寄与したが、店としても大きく売り上げを伸ばしたという。


当時のも今日のもグレードが高いマスクには『アルマ服飾社』製である事を示す『アルマ』という刺繍が施されているが、アルマという文字と共に『ト』という文字が刺繍されている。

この『ト』がどういう意味かは現社長も知らないという。ただし、必ず『ト』は入れるようにと服飾店だった頃から申し伝えられているそうだ。


また、傷口の消毒に使っていることから思いついたのか、酒精の強い酒を消毒用アルコールとして使用され、これも非常に効果があったとされる。

同時に蒸留技術がゼッツァーという職人によって確立され、消毒用はもちろんだが、蒸留酒の技術がここから発展していったとされている。


この最初期の蒸留技術は特許登録されており、ゼッツァーともう一人が発明者として登録されている。しかし、もう一人の名は明示されていない。


その他に生薬として今でも使用されている『麻黄湯』と『葛根湯』や(これらが何故このような名前を付けられたのかは分かっていない)、『奇跡の肺炎薬』と呼ばれる今でも謎とされる重篤な気管支炎や肺炎の特効薬が使用されていたという。


何も対策しなければ、おそらくヘルヒ・ノルトラエは死の都市となっていたのは間違いなく、今でも歴史学者がこの謎に迫るべく、歴史研究を続けている。


皇国において、時々一足飛びとも言える医療・薬の技術が突如として出てくる事があり、これもその関連性が示唆される。


(皇国医療出版社刊 「皇国の流行病、その歴史」より)

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