第130話 マスク
『麻黄湯』以外にも、病人がいる部屋は空気の入れ替えは十分にしつつも、お湯を沸かすなどして湿度を保った方が良い事や、手洗いの励行、経口補水液もどきのレシピを教えたり、カワラヤナギから出来る鎮痛剤は出来る限り子供に使わない事等、インフルエンザ対策として思いつく事をボトロックに提案した。
前にジルにも説明したが、柳から出来る鎮痛剤は確かアスピリンのはずだ。だが、子供向けに使って良い解熱鎮痛剤はアセトアミノフェンだけだったはず。登録販売者の試験で必ず出る項目として参考書に紹介されていたのを覚えている、子供が使うと重篤な副作用が出る可能性があるアスピリン・イブプロフェン・ロキソニンは駄目だと。
アルバンが流行病対策会議で、俺の薬や対策を提案しようとしたがノルトラエ州の筆頭薬業貴族に反対されて、まずはボトロック家が管理する軍や懇意の州民のみで効果を見る事になったらしい。どういう提案をしたのか分からないが、得体のしれない薬師の怪しい提案など採用できるかみたいな感じだったのだろうか。
『麻黄湯』を部屋で作っている、作っていると言ってもそれっぽい器具は念のためカモフラージュ用として出してはいるが、実際には『薬師の加護』よろしくポンで作っているだけだ。ジルは楽器の調整していて、ミズーはソファに香箱座りをしてのんびりしている。
そうしていると、部屋のドアがノックされた。『麻黄湯』を作るの止めて、返事をする。
「はい、どうぞ」
ドアが開ければ、ユリーが部屋に入ってきた。
「トール君、薬を作ってもらっている最中にすまない。以前にトール君から提案してもらった、口や鼻を覆う布『ますく』というものだったか。あれと酒精が強い酒についてなのだが」
「はい、何かありましたか?」
「ますくについては試作品が出来上がったらしい、酒精が強い酒については上手く行っていないようだ。どちらもトール君に確認してもらいたいので、今から服飾店と酒屋に一緒に来てはもらえないだろうか?」
「そういう事ですか、分かりました」
「私も行くよー、ミズーも来るよね?」
ミズーが黙って頷いている。
「馬車は表に用意してある、早速行こう」
街の方にあるそこそこ大きな服飾店に馬車が着いた、ここで作っているようだな。
ユリーがドアを開けて中に入って、店員に声をかける。
「ユライシャイア・ボトロックだ、アルマはいるか?」
「ユライシャイア様、ようこそお越しになりました。少々お待ちください」
女性店員が奥に入っていって、少しすると三十代ぐらいの赤髪の女性を連れて戻ってきた。中々お洒落な服を着ているな。
顔を見ると布マスクを着けている、試作品かな?
「ユライシャイア様、例の『ますく』の件ですか?」
「うむ、こちらのトール殿が発案者でな。現物を確認してもらおうと思って来たのだ」
「あら、こちらのお若い方が提案されたのですか。アルマです、初めまして」
「トール・ハーラーです、今着けておられるのが試作品ですか?」
「ええ、そうです。目の細かい四角の布を三枚重ねて縫い合わせ、四つ角に紐を付けて耳の後ろで結べるようにいたしました。いかがですか?」
そう言って、俺の方に右耳の方を見せる。結構良く出来ているな、悪くない。
「良いと思います。助言させてもらえば、紐は柔らかい生地の物が良いです。ずっと付ける事になるので。あと、付けっぱなしは衛生的に良くないので、洗えるような生地にしてもらえると良いですね」
「なるほど、紐が粗い物だと耳の後ろが痛むわけですね。あなた、今トールさんが仰った事を職人に言ってきて」
横にいた従業員は頷くと奥に入っていった。
「ユライシャイア様、試作品をお持ちください。それで、これはいくつぐらい作りますか? ヘルヒ・ノルトラエ全域に行き渡るぐらいですか?」
ユリーはアルマから貰ったマスクを早速つけるようだ。俺とジルも貰えたので早速付けてみる。結構肌触りの良い布だな。
ふと思ったが、マスク付けると何となくイケメンや美人に見える気がするのはなんでだろう。
「これがマスクか、付け心地もそんなに悪くないな。数量についてだが、まずは第一師団と懇意の者で試す事になった。具体的な数量については後で指示するので改良と量産を続けて欲しい」
「承知しました」
「トール君、では酒屋の方へ向かおう」
そう言って、ユリーは店の外に出た。少し思いついた事があるので、俺はアルマにアドバイスする事にした。
「アルマさん」
「はい? なんでしょうか?」
「このマスクが当たり前として着用されるようになると、おそらく見た目が地味で均一なのを気になさる方が出てくると思うんですよ」
それを聞いて、目を輝かせるアルマ。
「ほほう…」
「例えばお洒落に敏感な方や、お金持ちの方、貴族の方なんかはお金を出してでも良い物を求められるのではないかと」
「確かに、その可能性は高いですね。なるほど、造詣を工夫したり、肌触りが良い素材を使ったり、奇麗な布を使ったり、模様を入れたり、刺繍を入れたり、小さな宝石をちりばめたり等した高級マスクを売り出してみてはという事ですね」
「ええ、お察しの通りです。あとは、狩人の方は戦闘中に付けていても支障が無いような物を求められるかもしれません」
「なるほど……、流行病対策のためなので利益度外視で協力するつもりでしたが、これはやもすれば美味しい話になるかもしれませんね。検討の価値がある!」
アルマは頭の中でそろばんをはじいているのか、笑みを浮かべながら顎に手を当てて考え込み始めた。すぐにハッとしてこちらを見てきた。
「トールさん有難うございます、これは良い話です。もちろん、上手く行けばトールさんの取り分もしっかり出しますので」
「ああ、別に私の分は気にしなくていいですよ。目立つのは嫌なので私の名前は出さないようにしてください」
「そうですか? でも、タダでというのは良くないです! 名前は出しませんが取り分は期待しておいてください」
その後酒屋に向かおうとする俺たちを、店の外まで来て見送ってくれた。
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