第126話 流行病対策
アーブラハムの寝室を出て、屋敷の中を無言で進む。そして、大きな扉の前に着いた。
ここは前に来た時にアーブラハムと会った場所だな。
扉を開いて中に入ると、金髪の線の細いイケメンが何人かの文官らしき人達と話をしているようだ。
こちらに気付くと声をかけてきた。
「ユリー、そちらの方たちは?」
「兄さま、こちらがトール・ハーラー殿です。それと妻のジルヴィアさん」
「ああ、父上の言っていた王国から移住した薬師殿か。トール殿、お初にお目にかかる。今はボトロック当主代行を務めているアルバン・ボトロックだ」
「トール・ハーラーです」
「状況については父に聞いていると思う、早速だが本題に入らせてもらいたい。この病について心当たりがあったりしないか?」
「そうですね……。この病について、王国にいた頃に似たような病を聞いた事があります。なので、これではないかという心当たりはあります」
ということにしておく。それを聞いたアルバンと文官は大喜びしている。
「おお、それは僥倖! して、特効薬や対処法はあるのかね?」
「仮に、今ヘルヒ・ノルトラエで流行している病が私が知っている病と同じものだとしても、特効薬については存じ上げません」
「やはり、そんな都合が良い事はないか……。待て、特効薬については知らない。つまりもう一方の対処法については……?」
「いくつか心当たりは有ります」
「おお!! してどういう方法でしょうか?」
「特効薬が無い以上は、出来る事は限られております。感染がこれ以上広がらないように適切な予防策を取る事、感染初期に効果がある薬を使う事、死に至る可能性がある肺炎を和らげる薬を使う事などです」
「なるほど。では聞かせて貰いたい、まずは感染の予防策を」
インフルエンザである保証はないが、とりあえずはインフルエンザとして対処に当たれば良いか。『薬師の加護』で病気の同定は出来ないからな。
「この病はおそらくですが、感染した人の体液によって感染すると思われます」
「しかし、直接接触してなくとも感染は広がっているようですが……?」
「いえ、今こうして話をしている我々も口から目に見えないほど微小な唾液が口の外へ出ているのです。つまり、感染者の微小な唾液が空気を介して未感染者の口や鼻に入って感染を広げているわけです」
可能なら目も何かでガードした方が良いのだろうが。
「ふーむ……、そんな話は聞いた事がないが。ただ、道理は通っているか」
「ですので、それを防ぐために鼻と口を覆う布のような物を付ければ良いのです。出来るだけ目が細かい布を重ねて作った方が効果が出るでしょう」
「それを感染してない人に付けさせて、感染させられるのを防ぐわけですね」
「いえ、それもありますが感染している人にも付けて貰います。そうすることで、話をしたり咳をしたりした際に、病気の素が含まれる唾液を飛散しないように出来ます。布の端に紐を付けて耳の後ろで結べるような物があれば都合がよろしいかと」
「なるほど、出す方も制限する事でさらに効果が出るわけか。私は悪くないと思うが、お前たちはどう思う」
アルバンが文官たちに問いかける。数人の文官が小さい声で話し合ったりしながら、少し考えた後、一人がそれに回答した。
「試す価値はあるかと」
「よし、構造についてはトール殿の話で分かるな? 馴染みの服飾店に依頼してすぐに試作品を作らせよ」
「はっ!」
一人の文官が足早に部屋から出て行った。
「トール殿、他に対処法があったりしますか?」
「この病気の素ですが、酒精が強い酒に弱い特徴があります」
「なんと! どれぐらいの強さの物ですか?」
これがインフルエンザウイルス、つまりエンベロープウイルスならアルコール消毒が効くはず。仮に違ったとしても悪い方向には行かない、と思う。
えーと、元の世界だとこの手の消毒薬には六十五度、つまり六十五%ぐらいのアルコール製剤がよく売られていたような。ただ、この六十五%というのは『容量パーセント』だったはずだ。コロナが流行っていた時に、『容量パーセント』と『重量パーセント』について、技術部門の同期に何度も説明された記憶がある。
五十ミリリットルずつのエタノールと水を混ぜる事で、五十度のアルコール水溶液百ミリリットルになるって計算で良かったかな確か。そういえば、水とエタノールを混ぜると少し容量が減るから云々と聞いたような、まあそれはこの際置いておくか。
ただ、エタノールは比重が〇.八ぐらいなはずだから『重量パーセント』だともっと小さい数字になるはず。六十五度なら五十五重量パーセントぐらいかな?
前に穀物などから『薬師の加護』でエタノールは作れるようになったから俺が用意しても良いが、『薬師の加護』がバレるのはちょっと。
「飲む事が出来ないぐらいの強さの酒です。純粋な酒の成分が五.五割、水が四.五割ぐらいの酒ですね」
「それをどう使うのでしょうか?」
飲んで体内を消毒だ! みたいな事を言ってる人は地球にもいた気がする……。
「いえ、先ほど申しました通り病気の素になる飛沫が空気を介して飛ぶのですが、それが器具類や手や指に付くことがあるのです。その器具に触れたり、飛沫がついた手指で食事すると……」
「なるほど、自ら病気の素を体に取り込むわけか。つまり、傷口を消毒するのに酒を使うのと同じ理屈と言う事だな」
「仰る通りです。ですので、食事の前などにこの酒を手指に付けて、病気の素を無効化するわけですね。家具や器具類をこれで拭くのも有効です。水での手洗いを励行しても良いかと思います」
「ふむ……。しかし、そこまで強い酒が出来るものなのか……。とりあえず、酒屋に相談するしかないか?」
そう言えば、この世界って蒸留の技術はどうなんだろう? そう思っていたら、話を聞いていた一人の文官が声を上げた。
「アルバン様。酒に関しては他の追随を許さず、ドヴェルグの子孫でないかとまで言われている、ゼッツァー老に相談してみては?」
「そうだな、あの御仁なら何とかなるかもしれぬ。すぐに手配してくれ」
「ああ、そうだ。酒には苦い草の汁などを入れた方が良いですよ。飲もうとする人が出るかもしれませんから」
確か、日本だと変性剤とか言われているものの事だ。消毒用のアルコールには、飲めないように苦み剤とか変な匂いがつくような薬品を入れているはず。
なんとかデナトニウムとかいうやつだっけか。
「酒飲みは酒と聞くと何でも飲もうとするからな。誰か任せられる者は?」
「ゼッツァー老とは面識があります。私にお任せください」
そう言うと、一人の文官が部屋を出て行った。
あとは塩化なんとかって薬剤が効くって聞いたけど、便座? ベンザ? いやベンザルコニウムだったかな? これは化学合成が必要だろうから、流石にこの世界は勿論『薬師の加護』でも作れないだろう。
「先ほど微小な飛沫が感染の原因になっていると言いましたが、それもありますので会話する時は人と人の距離を取るというのもある程度有効です」
「ふむ、どれぐらいですか?」
「そうですね、大人一人分ぐらい。これぐらいですね」
そう言って、アルバンと一.五メートルぐらいの距離を取って見せた。
「分かりました」
「薬については、私の方で色々試してみます。門外不出の調薬方法もありますので、見られたくありません。つきましては我々が使える滞在できる部屋などが欲しいのですが」
「分かった、それについてはこちらで手配しましょう」
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