第92話 ジルの旅立ち、深夜の猫たち

朝食を取り、落ち着いてから総合ギルドに向かった。結婚の申告をするためだ。

皇国では基本的に一夫一妻制を取っているが、貴族や皇帝は一夫多妻だったり一妻多夫が認められている。


俺の場合、貴族であろうがなかろうが寿命の問題があるから、見境なくとっかえひっかえでもしない限りジルヴィア以外のパートナーは実際問題厳しいだろう。


こちらの世界でも結婚指輪のような物があるのかジルヴィアに聞いたが、アクセサリを送ったりはしても、指輪を常に付けるようなシステムは無いらしい。総合ギルドに申告するだけのようだ。


特に支障なく総合ギルドで結婚の申告を行い、受付からはおめでとうございますと声をかけられた。それからミズーお気に入りの「ベッカール」でパンを買ってから家に戻った。


「それで、ジルヴィア……じゃなかったジルはこの家で一緒に住むって事で良いのか?そんな狭い家でも無いし、問題ないとは思うが」


そう声をかけると、ジルは少し悩んでから切り出した。


「うーん……。トール、君とは長い付き合いになるしずっと家にいなくても良いかと思ってて」


「どういう事だ?」


「私が吟遊詩人だというのは言ったでしょ? 皇国、たまに王国や小国群に行って色んな詩や歌を集めるのを生涯の仕事にしたくってね。

だから、決めてはいないけど不定期で旅に出たいと思ってるんだ。もちろんトールと一緒に暮らすのが嫌ってわけじゃないし、何なら一緒に旅に行っても良いんだけど」


少し思うところもあるが、長い人生俺たちの場合本当に長い人生だからライフワークにしたい事を取り上げてしまうのは躊躇する。ここは彼女の意思を汲んでやるのが良いか。


「俺としては残念な所もあるがそういう事なら分かった、大丈夫だとは思うけど気を付けてくれよ」


「ふふ、心配してくれるのは嬉しいけど私の『加護』が『加護』なだけにね。各地で武術も一通り学んで行ってるし」


「それもそうか、近々旅立つ予定はあるのか?」


「実はトールと会う前から決めてたんだけど皇都の北へ行く予定があってね、一~二週間ぐらいしたら旅立とうかな。その旅が終わって戻ってきたら、しばらくはザレのこの家に居続けようと思ってる」


「しかし、俺のいた世界では結婚はしても別の家にお互いが住む別居婚ってやつがあったが、こっちの世界で疑似的にする事になるとは思わなかった」


「へえ、元の世界にはそんな仕組みがあったんだね」


「大勢がやっているというわけではないけどな」


「私もトールが愛しいのは間違いないから、長くても二か月ぐらい経ったら帰って来るつもり。今までは宛てのない旅を続けていたけど、帰ってくる所があるってのは嬉しいもんだね」


「(面と向かって愛しいと言われると少し照れる)そういうものなのか?」


「やっぱり、終わりに誰も待ってない旅というのは侘しかったよ……。そうだ、私が旅で覚えた歌を披露しようか?」


そう言いながらジルヴィアは部屋に置いていたリュートのような弦楽器を持ってきた。

ミズーはそれを興味深そうに眺める。


『ほう、人の音楽には我も少々興味があるぞ』


「ミズー様も興味がおありですか?」


『お主はトールの連れ合いゆえ、敬称は不要だ』


「分かりました、では何曲か披露しましょう。トールも聞いてよ」


「ああ、分かった」


楽しげな歌、悲しげな歌、よく分からないが原始的っぽい歌など色々披露してくれた。弦楽器も歌も非常に上手い、おそらく金を稼ぐ事が出来る水準だ。吟遊詩人を名乗るだけの事はあると思った。


歌い終わってから感想を聞いてきた。


「トール、ミズー、私の歌はどうだった?」


「いや、どれも個性的で良かったよ。この世界の音楽を学んだわけでは無いけどかなりのもんだと思う」


『うむ、大変興味深かった。また新しい歌を学んだら聞かせよ」


「好評だったみたいだね、それなら良かった。そうだ、トールが元いた世界の歌も聞かせてよ、今も覚えているのは無いの?」


少し迷って、うっせえうっせえが何回も歌詞に出てくる歌をアカペラで歌ってみた。結果、ジルには中々斬新な曲調と言葉の歌だねと感心され、ミズーにはよく分からん曲だなとの評を受けた。



それから二週間は、同じ飯を食い、一緒に風呂に入り、また同衾したりと普通の夫婦のような生活を送った。

その間、タイキとダイチが来て事情の説明と結婚の報告をしたら、それは良かったと素直に祝福された。……こいつらが妙に素直なのがやはり少しひっかかるな。

ミズーと言い、何かジルヴィアと俺をくっつけたがってるような気がしたが気のせいだろうか?



そして、ジルが旅立つ日が来た。まずは西門から出て皇都へ向かって旅をする計画らしい。


「ジル、くれぐれも気を付けてくれよ。心配している夫がここにいるんだからね」


「大丈夫さ、トール」


「ああ、そうだ。皇都に行くなら、一応俺の家があるから使っても良いぞ。これが鍵と地図だ、もし何か聞かれたらトールの妻だと答えれば大丈夫だと思う」


そう言って、予め用意しておいた地図と鍵を渡す。世話になってる不動産屋の場所も教えておいた。


「君は皇都にも家を持ってるのかい?随分、お金を持ってたんだね」


「いや……、そういや話してなかった。ちょっとした事情があって格安で家を買えたんだ」


「ふうん、そうなのか。その話はまたいずれ聞かせて貰おうかな。皇都に寄ったらありがたく家は使わせてもらうよ、それじゃあトール行ってきます」


そう言って、ジルは俺に軽く口づけしてきた。


「行ってらっしゃい、帰りを待ってるよ」


その言葉にジルは心底嬉しそうな笑顔を浮かべて、西へ歩いて行った。その後ろ姿が見えなくなるまで、一人と一体はその場で見送ったのだった。



俺とミズーは家に戻った。


『やはり寂しいか、トール』


「まあそれなりにはな、出会って結婚するまでが異常に早かったが一応は新婚だぜ?」


『我としては、別にジルヴィアと一緒に旅をしてもかまわんのだが?』


「俺は一か所で落ち着いて生活する方が好きなんだ、ずっと旅というのもな。ジルが帰る事が出来る場所を守るというのも悪くない。でもまあ時々はジルについていくのも良いかもしれない」


『ふむ、そうか。では、また我とお主ですろーらいふとやらを送ろうではないか』


「ここの所急展開が続いてるから、本当にスローライフなのか最近やや疑問に思ってはいるけどな」


ジルと結婚しても、俺のザレでの生活は続いていく。

もちろん、後から思い返してみると順調なスローライフとは行かなかったわけだが。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



トールとジルヴィアが結婚して、タイキとダイチが訪ねてきた日の夜。

夜も更けたのでトールとジルヴィアは既に母屋の二階へ行き寝入っている。そして今日も深夜に大きな猫が密談をしている。


『しかし、流石だねえミズーは』


タイキが楽しそうにミズーへ話しかける。


『何の話か?』


『あの二人の事だよ、出会って半日で結婚させるなんてね。僕らの狙い通りで大変結構な事なんだけど、そこらの人より寿命が長いんだし時間をかけても良かったんじゃない?』


『どうせ、遅かれ早かれであろう。ならば、まどろっこしいものは不要だ』


『ははは、君らしい判断だね。しかし、水の調整者と言えども人間の感情なんて操る事が出来るのかい?』


『出来ぬ。人の感情を自在に操る事など我はもちろん、祖であろうと不可能だ』


『じゃあ、どうやってすぐにくっつけられたの?』


『操るのではなく、増幅させるのは可能という事だ。人は頭の中にある脳、さらにその脳の部分部分で情動や理性を司っておる。外部からそこに働きかけを行えば良い』


『つまり二人の感情を増幅させたって事か~』


『うむ。二人を観察した結果、短い期間ではあったがトールとジルヴィア両者ともお互いに多かれ少なかれ好意を持っていると判断できた。ゆえに、を摂取させ、理性を抑え情動を強めた。結果として、二人は性交に至ったというわけだ』


『は~なるほどねえ。僕じゃあ、流石に生物にそこまで精緻な働きかけは無理だなあ。文字通り、息の根を止めるのは簡単なんだけど』


タイキは笑いながら感心している。ダイチも黙って頷いて、ミズーのやった事に感心しているようだ。


『我は差がよく分からぬが、人からするとジルヴィアは非常に整った顔立ちらしい。なればトールも不満は無かろう、悪人でもないようだしな』


『ジルヴィアは奇麗な左右対称の顔をしてるから、多分そうなんだろうねえ』


『……』


『ジルヴィアは各地を巡る吟遊詩人らしく、不定期に旅に出るらしい。かの爺の手厚い「加護」を受けておるゆえ、まず死ぬことは無いと思うが自由に動けるお主らは多少気にかけておいてくれ』


『そこは僕が担当するよ、任せておいて』


『まあとにかく、これで数千年トールは安泰であろう。万事滞りなしだ………、ダイチ貴様何を食っておる?』


『……』


さっきから黙って話を聞いたダイチはモリモリと重ねパンを食べている。


『貴様、それは我がこの後食おうと思っていた重ねパンではないか!?』


『それ、トールが明日の朝に食べるって言ってた気がするけど……。まあ、いいか』


トールが次の日に食べようと思っていたパンは全て三体の胃袋に収まってしまった。

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