第89話 次元の翁

しばらく歩いて俺の店に付いた、鍵を開けて薬屋のスペースに入る。

長い話になりそうだから、板の間でした方が良いか。


「ここからは、靴を脱いで上がります。良かったらこちらからどうぞ」


「へえ、面白い構造だね。居住する空間に靴の汚れを持ち込まない工夫と言うわけだ。ではお言葉に甘えてお邪魔するよ」


俺に促されるままにショートブーツを脱ぎ、板の間に上がる女性。緑のコートを脱ぎ、畳んで脇に置いている。コートの中は、シンプルな白シャツに、これまたシンプルな黒いパンツだ。


板の間にある椅子を勧めると着座し、テーブルを挟んで向かい合った。ミズーは俺の後ろにお座りして鎮座している。

おたがい椅子に座って、たっぷりと間を取ってからジルヴィアが喋り始めた。


「さて……と、ごちゃごちゃと回りくどい事を言っても仕方ないから単刀直入に言おう。そこの猫はおそらく何某かの調整者だよね。そして君は契約者、つまりはその使徒だろう」


やはり気付いていたのか、しかし何者だこいつは……。うっすらと笑みを浮かべてジルヴィアは続ける。


「まあ、そう言われた所ではいそうですと答えてはくれない事は分かってるよ。しかし、は相当上位の調整者だね。まさか、ザレの街中を悠々と闊歩しているとは思わなかったよ」


『一目で我を見抜くとはなるほど流石だな、人の子よ』


ミズーがジルヴィアに話しかけた!? おいおい、良いのかよ! まさか殺すつもりって事は無いよな? 話しかけられたジルヴィアも驚いている。


「まさか直接話しかけられるとは思わなかったよ……。調整者はよっぽどの理由が無い限りは人に干渉してはいけないんじゃなかったかな?」


『そのよっぽどの理由があるからだ。つまり状況が状況ゆえ、それ来るぞ』


「来るって何がだ?」


俺がそう言った瞬間だった、店の薬を販売するスペース側に小さいながらおぞましい気配を感じた。驚いてそちらを見ると、おぞましい気配がどんどん強くなっていく。

そしておぞましい気配を感じる場所から、ボロを幾重にも纏った小さい老人が突如として出現した。


「……ふうん、そういう事か。まさか来るとはね」


ジルヴィアは怖い顔をしている、一方で現れた老人は厭らしい笑みを浮かべている。


『そんな怖い顔をしなくとも良いではないか我が花よ、加護を与えし我が来てやったのだぞ?』


「……頼んだ覚えは無いけど」


『いつまで経ってもつれないのう、ジルヴィアは。だがそういう所も嫌いではないぞ、ふぉっふぉっふぉっふぉっ』


老人は朗らかに笑っている。しかし、老人の持つ気配はミズーと同じかそれ以上に感じる、何者かは分からないが相当危険な存在に違いない。背筋に冷たい汗が流れる。


『ほお、そっちにいるのはトゥゥツォルンオミィイテテテヤインオノンスンウスヤエゥか。ああ、天主に見染められし外から来たそこなる人の子のためか。相変わらず地母は面倒見が良いのう』


『然り、そちらは何用で来たのか』


『うん?ああ、久しぶりにジルヴィアの様子を見にとそこなる人の子を見定めにな。確かにとんでもない存在じゃのう、そこなる小僧は。しかも、お主と契約したという事は?』


『そういう事だ』


老人はじっとりとした薄気味の悪い目で俺を凝視している。


『……なるほど、なるほど。ふーむ、お主らがどういうつもりか知らぬが我が花の花瓶には丁度良い存在ではあるな。やはり花は飾ってこそ輝くものよ』


『……』


『結構、そ奴の名は何だ?』


『トールだ』


『トールか、今後は我が花と共に気にかけておく。我が花を美しく輝かせる花瓶として大いに期待しておこうではないか。ではな、ジルヴィア。そして、トールよ』


その声と共に、老人は消え去った。おぞましい気配ももう感じない。俺はふーっと大きなため息をついた。

外を見ると先ほどまで昼過ぎだったはずなのに暗くなっている、まさかアイツが来ただけで夜になったのか??


「ミズー、アレは一体何なんだ?とんでもなくおぞましい気配を感じたが……。そんな時間が経ってないはずなのに、辺りが暗くなっているのももしかして関係あるのか?」


『前に少しだけ説明した事があるだろう、次元の翁と呼ばれる存在だ。奴が顕現すると周りの時の流れがおかしくなる』


大いなる天主、不動なる地母と並ぶ最上位の神性存在じゃねえか。どおりでとんでもない気配を感じたわけだ。


「気軽に現世に来るような存在では無さそうに聞こえるが何をしに来たんだ、その次元の翁とやらは」


『あ奴が目をかけている女と、お主が接触したからだ』


そういや、さっきからジルヴィアが押し黙っているなと思って見てみると、俺を驚いたような顔を見つめている。


「……まさか、君が次元の翁に認められるとは思わなかったな。ただの契約者じゃないってことだね」


「いやあ、どうなんでしょうか」


「それで誤魔化せると思ってるわけじゃないよね、トール君」


「……」


「分かった、ではまず私の正体を明らかにしようじゃないか。私は……」


ジルヴィアが話し出そうとした時だった。

チリンチリン、ドアのベルが鳴って誰かが入ってきた。

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