第80話 領主

二週間ほどして薬屋の改造が終わった。靴を脱いで上がる板の間という概念が大工には???だったらしく、念入りにどういうものなのか聞かれてしまった。

想定していた通り、薬屋の販売スペースを半分にして、残り半分を入口から向かって左側に靴を脱いで板の間に上がれるエリアにして、板の間のカウンター越しに客の相手が出来るようにした。


『トール、この板の間というところは靴を脱いで上がるのか』


「ああ、俺が元いた国では家では靴を脱いで生活する文化だったんだ」


『ほお、そうなのか』


「実際、靴を脱ぐことで外から靴裏の汚れを持ち込まないから部屋の清浄度が維持しやすかったり、靴の裏に付いた病原菌を持ち込まずに済むから衛生的にも良かったりと良い所が結構あってな」


『びょうげんきん、とはなんだ?』


「この世界も同じだと思うんだが、人間が病気になる原因の目には見えない非常に小さな生物の事だ」


『ああ、なるほどアレの事か。そちらの世界ではその辺りも解明されておったのだな』


「この皇国にも虫眼鏡はあるから、いずれその考えに誰か辿り着きそうな気がするけどな。ベルンで会ったシュナイダーなんか気づきそうだ」


今日は朝から客も来なくてのんびり出来て助かる、ちなみに雀卓などは母屋スペースの一階に置いていて、そちらのスペースで調整者との遊戯の類はやっている寸法だ。

二階にはベッドを置いて俺の私室にしているが、そこは土足厳禁スペースにした。いずれ一階スペースも板の間にする予定だ。


今日はもしかしたら、客ゼロかもなあと大あくびした所だった。


コンコンと扉をノックする音が聞こえた。薬屋なので当然扉には鍵はかかっておらず、自由に出入りできる。

普段利用してくれている客はその辺りを分かっているので、ノックなどせず普通に入ってくる。わざわざノックしたという事はそういう客じゃないという事だ。


「はい、どちら様でしょうか?」


「私は、ドミニク・アーヘンというアーヘン州を治める領主です。入ってもよろしいでしょうか?」


こんな薬屋に何故領主が改まって、入るのに許可を求めるのかが謎だ。何か、嫌な予感がする。


「どうぞ」


その声と共に、ドアがガチャリと開けられる。ベーデカ夫妻がいた頃同様に鈴が付けられたままになっているのでチリンチリンと鈴が鳴る。

外を見ると、立派な礼装をした赤髪を整髪剤のような物を使ってビッチリとオールバックにした、そこそこ男前で40代ぐらいの中年男性が立っていた。

ドミニクが薬屋の中に入ろうとすると、お付の騎士らしきフルアーマーの騎士がすかさず前に出ようとする。


「ドミニク様、我々もお供します」


「入るな!!私だけで良い」


「しかし……!?」


「不要だ、そこで待機しておるように。娘を呼んできておいてくれ」


「……承知いたしました、くれぐれもお気をつけて」


「お前が心配するようなことは起こらぬ」


やり取りの後、赤髪の男が一人薬屋に入ってくる。


「ええと……、薬を買い求めに来られたわけじゃないですよね?」


俺がとまどいながら問いかけると、ミズーの方を見て何やら感極まっているようだ。ミズーの知り合いか何かか?

赤髪の男、おそらくドミニクはミズーに恭しく礼をする。


「水の調整者様、お初にお目にかかります。私、皇国にてこの州を治めておりますドミニク・アーヘンと申します。以後、お見知りおきください」


お、こいつミズーの正体を知っているのか!?一方のミズーはドミニクを見てはいるものの、一切リアクションをしない。


「分かっております水の調整者様、使徒以外には一切干渉しない規則になっている事については。一緒にお住まいという事は、トール殿は使徒様という事ですね。ああ、お返事いただかなくともそちらも把握しております」


どうやら俺の事も把握しているようだ、ミズーの方をちらっと見ると小さく首を横に振っている。どうやら知り合いではなさそうだ。

しかし、こいつ何者だ?調整者の事を知っている奴なんていないはずだが。


「ドミニク……さんでよろしいですかね、それでどういったご用向きでお越しになったのですか?」


「トール殿、呼び捨てでも結構ですよ。実は部下より水の調整者様らしき方が、こちらの薬屋に住み着いた報告を貰いましてね。十分に調べて確証が得られたのでご挨拶に伺ったのです」


「はあ……」


「実は我が領、具体的にはヴァンド湖周辺の領全てでですが、遠い過去に水の調整者様に大変お世話になっているのです。

二百年ほど前ですが、こちらで数十日に渡って大雨が降り続く異常な気候が続きまして、ヴァンド湖が氾濫し辺り一帯が水に沈んでしまいかねない事が起こりまして」


ええ?そんな事起こったら、この辺一帯湿地帯になってそうだが。


「その際、全身が水色で目と耳が茶色の大川辺猫が不思議な力で湖の水の動きを調整し、氾濫を堰き止めたのです。それを私の先祖である、ディートフリート・アーヘンが目撃しておりまして。

調整者様に詳しい地神教に聞きまわった結果、それはおそらく水の調整者様だろう、あまりに酷い状況になりそうだったのを防いで貰えたのだと教わったのです」


地神教ってなんだ?天神教とは別の宗教組織だろうか?

しかしミズー、そんな事してたのか。ミズーは俺が見ているのに気づくと、小さく頷いている。どうやら心当たりがあるようだ。


「それから我がアーヘン家では、水の調整者様の容姿や功績を残し、以降我が領にお越しになった際は手厚くもてなすようにと申し伝えられているのです。

まさかザレにお越しになるとは、ありがとうございます!」


そう言って、ドミニクはまたミズーに向かって深く礼をする。


「使徒様たるトール殿も同様です、是非我がザレに末永くお住まい頂きたい!ああそうだ、こちらの土地建物の税金は以降、お住まい続けられる限り免除いたします」


固定資産税ゼロのお知らせ。おいおい、そんな事やっても良いのかよ。こっちとしては助かるけど。


「ええと……、こちらとしては何とも言えないのですが」


「もちろん、お答えいただかなくて結構です。こちらで勝手にやっているだけですので。ああそうだ、これから何か要望がある場合などに連絡が取れるようにしておいた方が何かと都合がよろしいでしょう?

ですので、近くにアーヘン家の者とその従者を住まわせます、お気軽にお申し付けください」


そう言うと、ドミニクはドアを開け外に問いかける。


「おい、エーファを呼べ」


その声と共に、ドアから金髪の女性が入ってきた。

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