第59話 エタノール

家を買ってから色々と懸案している事が二つある、その内の一つがエタノールの製造だ。もちろん飲むためではなく、消毒用として使用するため。

エタノールは人体の消毒をするための消毒薬にあたるから、おそらく『薬師の加護』の範囲内だろう。


『薬師の加護』は基本的に人体に作用する薬しか作れないから、火薬とかは無理だなと思っていたが、旅の途中は馬車に乗って移動している時間が山ほどあったので、色々考えを巡らせたところ、応用が利くことに今更ながら気付いた。


例えば、ダイナマイトの原料になるニトログリセリンは狭心症や血圧コントロールの薬としても使われていたはずだ。つまり、『薬師の加護』で作る事も出来るという事になる。

今すぐダイナマイトが要るのかと言われると、別に要らないがよくよく考えるとその手の薬を見つける事が出来るかもしれない。


惜しむらくは、化学や薬学に関してもっと勉強しておけばよかったという所だ。

いつ異世界に転生するか分からないから、勉強はしっかりしておかないとダメというのは義務教育で教えた方が良いかもしれない。


エタノール製造のきっかけになった屍人病は、ミズーの話から察するにどうも単純な病気では無さそうな感じではあるが、今後作れるようになっていて困る事はないだろう。売る事も出来るだろうが、そっちはトラブルの種になるのは間違いないので手を付けるつもりはない。


俺は『薬師の加護』の恩恵の一つである「過去に調合した経験のある薬は、手元に材料があれば道具など無しに一瞬で調合が出来る」能力があるため、ごく少量でも一度製造さえしてしまえば後は『加護』を使って原材料からダイレクトに製造できる。


最初は普通に売られている酒を蒸留するだけで調合判定にならないかと思ったが、それでは『薬師の加護』で抽出する事が出来なかった。既に酒という物が存在しているからだろうか?


とすると一から作る必要がある。地球においては工業用として製造されるエタノールは主に2種類ある、合成アルコールと発酵アルコールだ。ここで製造を考えているのはもちろん後者だ。

地球だと、とうもろこし、サトウキビ、キャッサバなどを発酵させて作られているものになる。


実際の工程としては糖分を発酵させてエタノールと二酸化炭素にしている形、つまり発酵させるのに必要な酵母菌があれば、それと一緒に糖分が多そうな野菜・果実を一緒に壷漬けにでもしておけばアルコールが発生するはずだ。


こちらの世界で何種類かのパンを食べたが、ふっくらしているパンがあったので酵母菌は存在しているのは間違いない。

従って、それを買って潰した野菜・果実と混ぜて置いておけばその内エタノールが発生し、『薬師の加護』でエタノールを精製出来る条件を満たすという算段だ。


皇都のマーケット探してみると、案の定パンに使用するのを目的とした液体酵母(酒精酵母か?)が売られていたのでそれを買い、芋やとうもろこしのような野菜・果実と共に大きな壷に入れて置いてある。それをじっと見ているミズー。


『前から不思議だったが、お主それは一体何をやっておるのだ?』


「酵母菌を使って、エタノールを精製して『薬師の加護』で作れるようになろうと思っててな。エタノールが出来ればジエチルエーテルも作れるかもしれないし。」


『えたのーるというのは何だ?』


「ああ、そうか。エタノールというのは酒の主成分の事だ、俺がいた世界では純度が高い酒を消毒用として使っていてな、それをエタノール、慣用名ではエチルアルコールと呼んでいた。」


『エタノールか、変わった名前だな。』


「ミズーは物質が非常に小さい粒、俺がいた世界では原子とか分子と呼ばれる物で構成されている事は知っているか?」


それを聞いてミズーは驚いた顔をしている。


『ほう!お主の世界はそこまで科学が進んでおるのか、それについては把握しておる。』


「やっぱり水の調整者ともあればその辺は分かっているんだなあ。性質によってその粒の種類が分かれていて、粒の組み合わせで物質が出来るわけだが、その組み合わせを特定の規則を元に命名していたんだ。IUPAC命名法って呼ばれる規則だ。」


『あいゆーぱっく命名法か、その命名法で酒はエタノールという物になるわけか、ふうむ。ではジエチルエーテルというのは何だ?』


「俺の世界で昔に麻酔薬として使われていたものになるな。」


『その麻酔薬というのは昏倒させて相手を倒すためのものか?』


「いや違う、治療目的だよ。外科手術、要は人体に悪い部分がある場合にこれで深く眠らせた状態にして切除や処置を行うわけだ。

じゃないと処置される人が痛みに耐えられないからな。」


『ほう、そんな事までやっておったのか。この世界は傷病回復薬があるせいでそういった技術はあまり発展しておらんぞ。』


「そう言えば、そういう話は聞いた事が無かったな。それもあってややこしい討伐依頼に薬師がよく呼ばれるのか?でも薬だけ持っていけば良いんじゃないのかといつも思うんだが。」


『その辺りの事情を我は知らぬ、何か別の事由があるのやもしれぬ。しかしお主は何故その麻酔薬を作ろうと思っているのだ?』


「ん~、ちょっと考えがあってね。悪い目的で使うわけじゃないさ。ああ、そうだ鍛冶屋に器具も発注しとかないなあ…。ミズーにも手伝ってもらおうかと少し思ってる。」


『ふむ…、まあ状況による。』


そう、これが懸案している二つ目の事に関係している、要はミズーの扱いだ。理由が理由なだけに、こいつは俺にずっとついてくるだろう、それはもう良い。

ミズーの主目的は祖とやらから命じられた事、それは俺がすぐ死ぬのを防ぐ事だ。そうなると本来は俺の身の安全以外の事は関係ないし、何かしら手を出す事がないと考えられる。


だが、こいつはそれにかこつけて人の娯楽や食事を楽しもうとしている。つまり、娯楽や食事で事が出来る可能性があるわけだ。ミズーは『水の調整者』を名乗っているが、実際は液体に関してもある程度は司る超越者という事は分かっている。俺が強力な加護を持っていたところで、ミズーには遠く及ばない。


ここしばらくは、麻雀やら食事やらでミズーの要望に答えると、どれぐらいまで手伝いや補助をしてくれるのか様子を見ていた。結果として、便利な移動手段としては前から活躍してくれていたが、よっぽどの無理を言わない限りは色々補助してくれる事が分かった。


正直、これは大きい。水や液体を自在に操れる存在なら、言い方は悪いが使い出はいくらでもある。そういう意味では、「大気の調整者」「大地の調整者」ともそれなりに仲良くしておいて損はない。どうせ付き合わなければいけないなら、便利に活用させてもらおうというハラだ。


、にもミズーの補助があれば存分に助かる。


「まあ、そうなった時はお前にも相談するよ。」


そういえば、ジエチルエーテルを作るには確か硫酸が必要だが、この国にあるだろうか?硫酸って工業的製造以外の製造法ってどうなんだろう、硫黄か硫酸系の鉱物とかを乾留して作るのか?流石にそこまでは俺も知らないな、大学で習ったのかもしれないが全く記憶にない。

その辺りは、エタノールが出来てからおいおい考えよう。


と当時は思っていた。だが、思っていたより早く出番が来る事になってしまったのだ。

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