第7話 人生を変えてもらいました

「着いたわよ」

『はい』


 颯君はやて、こんな顔するんだ……これはテンパってるんじゃなくて、エンジンがかかってるのね。

 そんなに気負わなくてもいいのに……


『ワン』


「ロト、ただいま」

『犬飼ってるんですか』

「母が拾ってきたの」


『ロト君、俺は涼原すずはら はやて慈枝よしえさんの彼氏だよ』


 ロトが、颯君の拳の匂いを嗅いで、舐めた。

 良かった、ロトは颯君を認めてくれたのね。


『ロト君、ありがとうね』



「ただいま」

『おかえり慈枝。いらっしゃい颯君。ありがとうね。慈枝のことを忘れないでいてくれて』

『おかあさん、こんにちは。ご無沙汰してしまい申し訳ありませんでした』


 !


 イヤじゃないけど……なら私も、Ignition!


『まあ、私のことを“おかあさん”って呼んでくれるの。漢字は一文字? 二文字?』

「お母さん、いきなりそんなこと言うと颯君困っちゃうでしょ! 颯君、この件は二人で話し合いましょ」


『は、はい』

『ふ~ん、じゃ二人で答えてね』



『おう、颯君』

『おとうさん、ご無沙汰してます』

『訪ねてきてくれて、慈枝のことを忘れないでいてくれてありがとう』

隼人はやとさん、颯君がね、私のことを“おかあさん”だって!』


『わかった美都莉みどり、舞い上がってないで家に入れてやれ』


『あ、ごめんなさいね。上がって』

『おじゃまします。あ、これお土産です』

『あら、ありがとう。ここのシフォンケーキ美味しいのよね』

『おう、これか。颯君、ありがとうね』



「今日は何?」

『ビーフストロガノフ、生ハムのサラダ、コンソメスープ、隼人さん謹製のザワークラウト、温麦茶よ』


『おかあさん、何か手伝うことありますか?』

『ありがとう、でももうすぐできるから待ってて』


 やるじゃない。

 ひょっとしたらお兄ちゃんがのかな?


『はい……あの、慈枝さん。さっき寝ちゃってごめん』

「別に大丈夫よ。むしろ、寝た子を起こさない運転をしようって、かえって燃えるよ」

『寝た子を起こさない運転って?』


『俺がな、慈枝が仮免取った時に停止する瞬間にカックンしないためのブレーキワークを教えたら、慈枝はそれに凝ってな』

『カックン……あー以前母が父に文句言ってました』

『そうなの? 我が家では“寝た子を起こさない運転”は慈枝が一番上手なのよ』

『父超えた、だよ』


『今度、教えてください』



『よし、できたぞ』

『おかあさん、運びます』

『あらありがとう。じゃこれお願い』


『『『「いただきます」』』』


『おかあさん、ビーフストロガノフって初めて食べましたけど、サワークリームと牛肉って合うんですね。おいしいです』

『そう、良かった。いっぱい食べて』


 先輩が、“彼氏が、自分のお母さんの作ったご飯をおいしいって食べてるのは腹が立つ”って言ってたけど……なるほど面白くない。お母さん心なしかドヤ顔だし。


『おとうさん、ザワークラウトおいしいです』

『おう、ありがとう』


 ダメ押し……って私が勝手に思ってるだけだけど……


 お兄ちゃんは、何でもおいしいって食べる人で、たぶん、おかあさんの作ったご飯も間違いなくおいしいって言ってる。琴菜ことなちゃんはどう思ってるのかしら。


 食事が終わって、颯君のお土産のシフォンケーキと紅茶のデザートタイムになった。


『ねえ、颯君は慈枝のどこが好きになってくれたのかしら?』


「ちょっとお母さん。いきなり何言ってるの!」

『大事なことよ』


 それはそうだけど……


「颯君、いやだったら答えなくていいのよ」

『そんなことないですよ』


 颯君の表情が締まっていく。うん、かっこいい。


『おとうさん、おかあさん。俺は慈枝さんに人生を変えてもらいました』

『う~ん、ちょっと意味が分かりかねるわ』

『うん、同感』


 ちょっと待って、勉強の面白さが分かったって言ってたけど、そこまですごいことなの?


『お恥ずかしい話ですが、中学生時代の俺はあまり勉強ができる方じゃなかったんです』

『特に何か夢があるわけではなく……ぬるま湯の心地良さと同時にこれでいいのかという気持ちもあって』


『……うん、わかる。多分それは多くの人が通る道だと思うぞ』


『ご理解いただけますか、ありがとうございます』

『それで、慈枝さんと知り合って、慈枝さんと同じ高校に行きたいと思いましたが、ぬるま湯の罰が当たったのか、成績が足りなくて慈枝さんに教えてもらうことにしました』


『そういえば、あの頃慈枝は勉強を教えに行ってたな』


『はい。最初は、ただ単に勉強を教えてもらってるだけと思っていたんですが、いつの間にか勉強が面白く感じるようになり、やればやるだけ喜びを感じるようになりました』


『……隼人はやとさん、これって教育が真に目指すところじゃないかしら』

『確かにそうだな。慈枝は学校の先生がなしえなかったことを成し遂げたんだ。よくやったぞ』

「わ、私なんて……颯君に能力があったからだと思う」

『その能力を引き出したのは間違いなく慈枝よ』

『そのことも合わせて慈枝が颯君を導いたんだよ。うん、確かに人生を変えた』


「……颯君、人生を変えたはともかく、応えてくれてありがとう」


『感謝するのは俺の方ですよ。今は、出版社に勤めて編集者やってます。これでも、何人かの作家さんを担当してて、割と頼られてるんですよ』


『颯君、慈枝のことよろしくな』

『はい、わかりました』


『慈枝、貴女は颯君の一生を決める影響を与えたんだから、そこをちゃんと心得て真摯にね』

「うん、わかった」



◆◆◆◆◆◆side美都莉◆◆◆◆◆◆


 常夜灯に隼人さんの顔が浮かんでる。

 やっぱり世界一よね。


『颯君は、真っ直ぐでいい青年だな』

「はい、慈枝はいい人と知り合えました」


『本当だったら12年前に実現したかもしれないんだけどな』

「ああ、あれ……あれは、誰の責任でもないわ」



芳幸よしゆきは、ほとんど情報がない中、琴菜ちゃんを探し出したんだろ」

「あら、最後を決めたのは芳幸だけど、琴菜ことなちゃんは世界中に向けて自分の存在をアピールしたし、慈枝はインハイ会場に向かってる琴菜ちゃんを目撃してその情報を芳幸達に伝達したし、颯君も慈枝を探してたそうよ」

「それぞれが自分にできることをしてを引き寄せたんじゃないかしら」

『確かにそうだな』


「隼人さん、私ね、芳幸と慈枝の親でよかった」

『うん……涼原さんたちも俺たちもいい子に恵まれた』



『……美都莉』


 隼人さんの息遣い……




「ん……」





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ご訪問ありがとうございます。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る