第3話 やっと戻ってこられた

 胃の中身、内臓がぐっと持ち上げられるような不快感。エレベーターに乗っている時に感じる感覚を、より強くした感じとでも言えば良いだろうか。

 その感覚が収まると、俺はいつの間にか閉じていた両目を開く。


 飛び込んできたのは、どこまでも続く大草原の鮮やかな緑と吸い込まれそうな空の青色。感じたのは懐かしさと感慨だった。

 そよ風が俺の長めの前髪を揺らし、柔らかな草の香りが鼻孔をくすぐった。それが異国の香りだと感じるのは、今の俺がこの世界の住人ではなく、別の世界から転移してきた存在だからだろうか。


 長かった。本当に長かった。

 俺は両腕を大きく上げて、胸いっぱいにラフェイマスの空気を吸い込んだ。


『おや、初めましてかな?』

 俺の耳に低くて甘い美声が響く。人をからかうような飄々とした響きを持った声色に、聞き覚えがありすぎて。

 心臓を鷲掴みされたような痛みが走った。


『ようこそ。ここは旅立ったばかりの冒険者たちが、富と名声を得るために訪れる、謂わば、はじまりの大草原ってところかな。でも油断は禁物。魔物は君の存在を食らおうと容赦なく襲ってくる。存在もその肉体そのものも食われないように気をつけるんだね、希望を胸に羽ばたかんとする雛鳥よ。——いや、にしてはちょっと成長しすぎてるかな』


 うるせぇよ。そう言いたいのに、言葉が出てこねぇ。

 ああ、なんだ。

 ここにいたのか。

 不覚にも目元が熱くなってしまう。情けなく声が震えないよう拳を握りしめて、俺は大きく息を吸う。


「久しぶりだな」

 ピタリと全ての音が止んだ。

 一拍置いて少し熱を孕んだ暖かな風が、草原の草をざっと撫でていく。

 そして俺の後ろに、人の気配が生まれた。ソイツが発した酷く震えた声は、迷子のガキのようにか細く頼りなかった。


「ど、どうして……? だって、僕は」

「『誰にもその存在を認識されない呪いを受けてる』だろ?」

 振り返らずに、俺は後ろにいるであろう男に向けて話しかける。

 全く、この特徴ある声と口調で、よく誰にも認識されずにいたもんだ。まぁ、コイツが受けた呪いってのは、それほど強いものだったんだろうな。

 恐る恐るといった調子で、男は再び口を開く。


「僕のことが、分かるのかい?」

「ああ、お前の名はレジェロ。今、俺の後ろにいるんだろ?」

 俺の発言に、ヤツは息を呑んで絶句した。


「僕のことを知っている。分かるって? 君は、一体……? どうして?」

「てめぇ。数百年経ったからって、俺の顔を忘れたとは言わせねぇぞ」

 振り返って顔を見せれば、酷く懐かしい顔がちゃんとそこにあった。

 レジェロのサファイアのような瞳が、こぼれそうなほど大きく見開かれる。何度転生しても変わらなかった俺のこのツラは、コイツが俺を間違えない為にあったのかもな。

 湿ったか細い声が、俺のかつての名を呼んだ。


「ジャック……?」

「ああ、そうだ。レジェロは……くそ、変わってねぇなぁ! 俺はオッサンに片足突っ込んでるって言うのによぉ」

 そう言って、俺は悔しがりながらもニヤリと笑ってやる。レジェロの艶やかな銀色の髪が、さらりと風に揺れた。


 誰からも忘れ去られた吟遊詩人、レジェロ。


 コイツはかつての俺たちと共に魔王を倒した、英雄の一人だったのだ。





 「俺」がかつて生きていた世界『ラフェイマス』は、存在感、知名度がそのまま強さに反映される世界。つまり有名になればなるほど、目立てば目立つほど筋力や魔力などのステータスにボーナスがついて強くなれる世界だった。

 だから、この世界に生きるヤツは有名になることに貪欲だった。強力な魔物を倒したり、前人未到のダンジョンを攻略したり、歌や躍りなどの芸を磨いて名を上げたヤツもいた。


 ちなみに、悪事に手を染めて有名になろうとしたヤツには、ステータスが上がるのと同時にカルマというペナルティが科されていく。それが一定の値に達してしまうと、人としての心を失い生ける屍となってしまうのだ。

 そうした制約があるからか、この世界はそれなりに平和な時を過ごしてきた。

 数多の魔物たちを率いる伝説の存在、魔王が現れるまでは。


 魔王はテンプレート通りに世界を襲い、そしてゴロツキや悪人を誑かし、わざと悪事に手を染めさせて業を背負わせた。そしてその生ける屍をも傀儡として操り、魔物と共に世界を滅ぼそうとしたのだ。


 そんな魔王に立ち向かったのが、かつて俺と俺が旅をした仲間たち。


 剣士のルカ。

 魔法使いのクォーリア。

 僧侶のアマンダ。

 そして俺、盗賊のジャック。


 俺たちは各地を巡り名声を得て強くなり、絶対無敵とされた魔王を打ち破り勝利した。

 この世界の歴史ではそう記されているはずだ。

 しかし、英雄はもう一人いた。目の前にいるコイツ、吟遊詩人のレジェロだ。


『君たちが、あの魔王に挑もうとする英雄御一行様だろう? 僕はその伝説の瞬間に立ち会い、君たちのことをうたにするよ! 君たちと君たちの成し遂げたことが、この世界で未来永劫語り継がれていくようにね』


 ある日、俺たちの目の前に現れたヤツは、そう言って勝手に旅に着いてきた。

 シルバーブロンドの腰まで伸びた長髪に、サファイアの瞳を持った光輝く美貌。そして美声。吟遊詩人という職もあってとにかくヤツは目立った。

 故に強かった。


 吟遊詩人のくせに、魔法使いや僧侶と同格かそれ以上の魔法を操り、俺たちのピンチを救ったり救わなかったりしていた。

 適当な態度に腹が立って、俺は何度もヤツにくってかかったが、もしかしたらヤツは無意識に俺たちと距離を取ろうとしていたのかもしれねぇ。


 そんな風にしながら何年も旅を続け、俺たちはついに魔王の下へたどり着いた。

 旅の終わりごろには、田舎町の小さなガキですら俺たちの活躍が知れ渡っているほどだった。

 しかし、そんな俺たちでも魔王には敵わなかった。

 何せ魔王は遥か昔から脅威として語り継がれていた存在だ。そりゃあ、知名度は桁違い。そのくせ、悪名が高くても廃人にならなずに力を蓄えて行くだけ、チートかよ。


 俺たちの攻撃は全く歯が立たず、あわや全滅と思われたその時、レジェロが禁呪を発動させた。

 それは、発動した者の「存在」全てを犠牲にし、味方に絶大な力を与える究極の補助魔法。

 これを発動した人間は誰からもその存在を忘れられ、今後誰にも認識されることなく永久にこの世をさ迷い続ける『呪い』を受ける。

 自らの過去、現在、未来の『存在』を犠牲にして発動する、正に禁呪だった。


 こうして俺たちは魔王に勝利した。

 しかし、誰かが欠けていたことに気がつく者はいなかった。

 魔王を倒した英雄は四人。誰もがその事実を疑うことなく、世界に平和が訪れたことを喜んだ。


 俺がレジェロの存在を思い出したのは、世界を救った英雄としてもてはやされながら、天寿を全うした後だったんだ。


 

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