キャンプと、ゲイと、私と

 もし、明日死んでしまったら、この部屋の片付けや身の周りの事は、一体、誰がしてくれるのだろう。

 二泊三日でのソロキャンプの準備を終えて、お風呂に浸かりながら、ふと、そんな事を思った。

 会社の健康診断では、毎回特に問題は無く、健康体だ。ただ、交通事故ならば、こちらが気をつけて居たとしても、相手が突っ込んでくるかもしれないし、趣味のバイクで出かけた際には、もしかすると、雨でスリップして、峠のガードレールにぶつかったり、崖下に落ちてしまうかもしれない。

 まあ、死んじゃったら、それはそれでしょうがない。

 でも、もしも見知らぬ人が、私のこの部屋の片付けに入ったら、生活の全部を見られてしまう。そこまで困る物も無いけれど、下着やら、手帳やら、余り見られたくない物は、正直ある。

 だって、まだかろうじて、二十代だし。

 私が大学を卒業と同時に両親は離婚し、お互いに再婚して、それぞれ海外に住んでいる為、ほとんど連絡も取っていない、自由な家族だ。いや、家族としてはとっくに崩壊しているけれど。

 やっぱりそうなると、私は見ず知らずの人達のお世話になるのだろう。

 それにしても、どうしてこんな事を考えてしまったのか、自分でも分からず、独り笑いした。

 いや、本当は、分かっている。

 先月の終わり、高校時代の友人に聞いた話の内容が、ずっと、胸に引っ掛かっているのだ。

 それは時折、私の中にある心臓という部分を、ゆっくりと何かに掻き混ぜられるように、息苦しさをも感じさせる。

 

 高校時代、同じクラスだった宮野さんが、独り暮らしのアパートで、いわば孤独死の状態で発見された。

 心筋梗塞だった。二十代で亡くなるなんて、ましてや心筋梗塞だなんて、若くてもなるものなのかと不思議に思ったと同時に、怖くなった。

 その怖さは、決して死んでしまう事に対してよりも、まだまだやりたい事が沢山あるのに、もう、何もできなくなると言う事。

 そして何よりも、独りで逝ってしまわなければいけなかったという事実が、何故かとても怖く感じた。

「宮野さんは、どんな毎日を過ごしてたのかな――」

 浴室の中での独り言は、やけに響いた。


 出発の日は、雨だった。

 天気予報は大外れだ。今週は全て晴れだったはずなのに。

 バイクでの出発は諦めて、車で行く事にした。

 少しだけ肌寒いF五湖を、バイクで周りたかったのだが、まあ、車の方が荷物は詰めるし、天気がまた変わったとしても、防犯の意味合いでも、車の方が安心か、と、自分を納得させる。


 思った程の渋滞は無く、中央自動車道から河口湖ICで降りた時には、まだ少し時間に余裕があり、久し振りにほうとうが食べたいな、と思い、行き慣れた店へ立ち寄る。

 食べ終えてから、食材やお酒などの買い出しを済ませ、キャンプ場へ向かった。

 雨はすっかりあがっており、太陽が眩しかった。

 見慣れた4WD車の横に停め、車から降りると、

「やっと来たの?あんた、いっつも遅いのよ――」

 嫌味を言われても、聞き慣れていて何とも思わない。むしろ、それが私達だ。

 相棒は既にテントを設営し終えていた。

「ごめん、ごめん。でもまだ約束の時間、ちょっと過ぎたくらいじゃん」

 と言うと、

「フン。だからあんた、モテナイのよ。ほら、早くテント出しなさいよ、手伝うから」

 決まって倍返しされる。

 日焼けした肌と、上腕二頭筋がとても素敵な『ハルちゃん』は、完全にゲイなのだ。

 

 ハルちゃんとは二年前、このキャンプ場で知り合った。

 ハルちゃんのテントの、たまたま近くに設営した私のワンポールテントは、設営途中にポールが曲がった。それでも何とか、一晩だけでも過ごせるかと祈りながら続行したのだか、益々風は強くなる一方で、ガイロープで更に補強しようと外に出た瞬間、完全にポールは逝った。

 暫く呆然としていると、視線を感じた。

 視線を感じた方向へ、ハッと振り向くと、ハルちゃんは、哀れみの目で私を見つめていた。

 とてもイケメンで背が高く、オシャレキャンパーな風貌のハルちゃんに、私は一目惚れしそうになったが、

「……一晩、私のテントで過ごしていいわよ」

 イケメンオシャレキャンパーから発せられた、予想外のオネエ言葉に、私の頭上には、沢山の『?』が浮かんでいたのだろう。そんな私に、ハルちゃんはとても早口で、

「そんな間抜けな顔で突っ立ってないで、早く来なさいよ!私はゲイよ!何か文句あるのかしら!あんたなんて一切興味ないから大丈夫よ!安心してちょうだい!」

 と、全て否定され、私の心も、逝った。

 この出来事がきっかけで、私達は連絡先を交換し、たまに現地集合で今日の様にキャンプをしたり、キャンプ以外にも、飲みに行ったりしている。

 ハルちゃんは私の六歳年上で、お姉ちゃんの様な存在だ。

 一人っ子の私に、突然できた、ゲイのお姉ちゃん。

 私は嬉しかったが、ハルちゃんは、

「あんたみたいな鈍臭い妹なんて、いらないわよ。本当、面倒臭いわよ」

 と、文句を言う。

 でも、私は知っている。たった二年と少しの付き合いでも、ハルちゃんは、誰よりも純粋で、優しい人。

 それを伝えても、きっとハルちゃんはまた馬鹿にするだろうから、言わないけれど。

 

「さあ、始めるわよ!先ずは乾杯ね!ハイ、カンパーイ!」

 ビールのプルダブを勢いよく開け、ハルちゃんと私は、缶をぶつけ合う。

 手際の良いハルちゃんは、次々に料理を作り始める。

 ハルちゃんは、所作が綺麗だ。

 ずっと見ていられる程。

「あんた、ボケっと見てないで、作り始めなさいよ」

 と、生ハムやモッツァレラチーズなど、器用にオシャレに盛り付けながら、ハルちゃんは怒る。そんなハルちゃんを余所に、私は唐突に、

「ねえ、ハルちゃん。私が、もし死んだら、私の身の回り片付けとか、ハルちゃん、してくれる?」

 聞いてみたくなったと同時に、既に口に出していた。

 突然の、馬鹿みたいな質問に、ハルちゃんの手が止まる。

「あ、手、止まっちゃやだ。動かしててよ――」

「何、言ってるの…?彩花、死ぬの……?」

 同時に話し始める。

 ハルちゃんの手元から顔へと視線を変えると、私がハルちゃんを見てきた中で、見たことの無い表情をしていた。

「あ、違う、違う。――実はね、凄く仲良かった訳じゃないんだけど、高校の頃の、クラスメイトだった宮野さんって子がね。心筋梗塞で、突然、亡くなっちゃったって知って…しかも、孤独死だったって知って。昨日、お風呂に浸かりながら、私が孤独死してたら、誰か、気付いてくれるのかなあ、とか、身の回りのこと、誰が片付けてくれるんだろうなあ、とか、色々考えちゃって。そしたら今、急に、ハルちゃんに、聞いてみたくなっただけ。ごめん、ごめん」

 気不味くならないように、少しだけ冗談めいたように笑いながら話したが、ハルちゃんは俯きながら、少しの間、黙っていた。

「ごめん、ハルちゃん、変な話しして。怒ったの?」

 するとハルちゃんは、黙ったまま、綺麗に盛り付けたサラダをテーブルに出して、次のつまみに取り掛かった。

「…人なんて、亡くなる時はいつだって、一人で旅立つのよ」

 そう、呟いた。

 折角のハルちゃんとのキャンプを楽しもうと、私は話題を変え、話し続けているうちに、ハルちゃんは、いつもの調子に戻って来て、安心した。

 二十二時を過ぎると、周りのキャンパー達も静かになる。

 心地良い酔いと満腹感に、運転の疲労も合わさってか、ついついあくびをしてしまうと、ハルちゃんは、

「あんた、疲れたでしょ?あたしは焚き火が消えるのを見届けるから、先に休んだほうが良いわよ」

 と、言った。

「じゃあ、寝床の準備だけしてくる」

 そう伝えると、

「まだ準備してなかったの?本当に、ぼんやりさんね」

 と、笑う。

 テント内に入り、シュラフを探すがどこにも無かった。インフレーターマットを膨らませて、敷いてあるだけだ。車の中をもう一度探すが、見当たらない。記憶を辿ったが、そもそも、シュラフを準備した記憶が無かった。

 またハルちゃんの小言を覚悟で、

「ハルちゃん。私、シュラフ忘れた。今日は車の中で、着込んで寝る」

 と、報告した。

「あんた…いっつも何かしら忘れるわね。いいわよ、あたしのシュラフ、ダブルサイズだから、一緒に寝れるわよ」

 と、ハルちゃんは呆れながら言う。

「え!良いの?ハルちゃん!ありがとー」

 以前も一度シュラフを忘れた時、ハルちゃんは一緒に寝てくれた。暖かくて、私はすぐに眠った。翌朝、寝相が悪いと、散々文句を言われたが。

 そういえばあの時も、このぐらいの時期だったな、と、懐かしくなった。

 焚き火が消えるのを見届けてから、ハルちゃんのテント内で、ハルちゃんと一緒に、シュラフに入った。

「あったかーい!」

 ハルちゃんのシュラフは、ダウンで、ふかふかだ。私の安いシュラフとは、大違い。

「ちょっと、うるさいわよ、静かに!あ、足冷たい!くっつけて来ないでよ!不愉快よ!」

 文句を言うハルちゃんは、楽しい。

 私は大きな声を出さないように気をつけながらも、笑い続けた。

 笑いながら、ハルちゃんに背中を向けた瞬間、ハルちゃんは、私を抱き締めた。

 がっしりと鍛えられたハルちゃんの腕は、力強いけれど、優しかった。

 すると、何故か、泣けてきた。

「え、そんなに嫌だったの、悪かったわね」

 と、ハルちゃんは言ったが、私から離れはしなかった。

「違うよ。ハルちゃんが凄くあったかくて、優しいから、泣けてきたんだよ」

 そう言って、ハルちゃんの腕を掴んだ。

「ねえ、彩花――」

 ハルちゃんは、真面目な声で、私を呼んだ。

「考えたくないけど、彩花が…もし、彩花が死んじゃうなんて時が来たら。その時は、あたしが、そばに居るわよ――」

 そんなハルちゃんの言葉は、真っ直ぐで、くすぐったくて、嬉しかった。

「彩花?あたしね――」

 そして、ハルちゃんは続けた。

「あたし、ゲイだけど、異性では、彩花が一番好きよ。初めての、不思議な気持ち。自分でも、正直、分からないの。でも、あんたが今日変な事言うから、隠せなくなっちゃったじゃないのよ」

 と、私を抱き締めたまま、ハルちゃんは恥ずかしがる。

 驚いたけれど、私も、ハルちゃんに伝えたい。

「――私も。ハルちゃんの事、大好き。一番好き。友達みたいな、お姉ちゃんみたいな、でも、異性として、ハルちゃんを好きになってる私も居るの。私も、不思議な、初めての気持ち。ハルちゃんとの関係が無くなっちゃうのが嫌で、言えなかったけど」

 途端に恥ずかしくなって、足をばたつかせた。

「ちょっと!落ち着きなさいよ!さっきからうるさいのよ!」

 そう言いながらも、二人で笑った。

 変な出会いから、不思議な想いを抱いた私達。

 答えなんて、そもそも誰にも分からないし、そんなの見つからなくても良い。

 人それぞれの、色んな愛の形。

 二人で、新たに始めていくんだ。

 今日、ここから。

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