第38話 終末の大火 ※他視点

 体育教師の小林は打算でしか動かない男である。


 出世のためならお偉いさんの革靴を舐めるのも辞さないし、教育者としての評価を上げてくれる優等生はとことん贔屓し、評価を下げる劣等生はとことんいびる。


 自分より下の者は、出世のための踏み台か、階段。冒険では、囮か、肉壁としか見なさい。


 今回の出来事だってそうだ。


 正義感溢れる数学教師が、教諭と優等生の即席パーティで打って出ようと提案したときも、一目で無謀とわかっても反対することはなかった。


 反対すれば「勇なき」と見なされ、冒険者としての自分の評価に傷がつくからだ。


 そして、その態度は、いざ戦闘は始まっても変わらなかった。


 冒険者としての有名を高めつつ、意中の養護教諭の好感度を上げる。


 小林の第一目標はそれだった。


 元より勝算の低い戦闘だ。ヒーラーである養護教諭を守りつつ、体のよいところで学校に逃げ込み、そのまま一緒に裏口から離脱しようと考えていた。


 ところが戦況は小林が予想したよりも遙かに悪かった。


 小林としては「養護教諭を守る」というポーズだけでよかったのに、教諭も優等生も次々と脱落するので、そのしわ寄せを受けつつ、本当に養護教諭を守らねばならなかったのだ。


 打算でしか動かない小林は当然、自分を第一に考える男である。


 命がけの恋愛など小林は望んでいなかった。


 養護教諭は惜しいが、命を賭けるに値する女か、と問われれば、小林は迷わずに「ノー」と答えるだろう。


 彼女らが小林になびくかは別問題として、養護教諭よりも性格も見た目もよい女はごまんといる。


 性欲を満たしたいだけなら風俗に行けば良いだけの話だ。


(俺様を盾にしやがて!)


 割り切ると、途端に愛情は裏返り、憎悪が湧き立つ。


 事故を装い、囮にして逃げてやる、と決めた――そのときだった。


 M/Mから緊急通信を告げるアラームが鳴り響いた。


「なっ、なんだぁ?!」


「冒険者ギルドから緊急通信です、小林先生」


 どうやら自分のM/Mだけではなかったらしい。養護教諭のM/Mも、近くで戦っている教諭のM/Mからも、同様のアラームが鳴り響いている。


「なんですか? 何の連絡ですか?」


 突然のアラームに魔物が怯んだ隙を逃さず、小林は距離を取って問いかける。


「わっ、わかりません……『校舎に寄れ』としか」


「『校舎に寄れ』!?」


 まるで意味がわからない。だが、冒険者ギルドが緊急通信でわざわざ送ってきたのだ。

 無意味であるはずがない。


 小林はすぐさま近くで戦う教諭と目配せすると、優等生に「退却!」と短く、的確に指示を飛ばし、目の前の魔物に惜しみなく背中を晒して校舎に引いた。


(都合よく校舎に下がれたが……)


 おかげで陣容は滅茶苦茶だ。

 これで何も起きなかったら、全員で校舎に逃げ込むしかない。


 念願の校舎に逃げ込めるものの、これは小林の望んだ形ではない。前衛職の小林は殿を務めなければならないからだ。務めねば、これまた評価に関わる。


 当然、真っ先に逃げ込むなど論外――「勇なき」と見れて評価が落ちる。


「何が起きるのでしょう?」


「援軍……だと、よいですが――」


 そのときだ――ごごごごっ、という腹の底から突き上げるような鳴動が小林を襲った。


「地震?!」


 違う、と小林は直感で思った。揺れているのは足下ではない――背中だ。


 小林は咄嗟に振り返り、自分の目玉を疑った。


 学校が震えていた――窓ガラスを狂ったように打ち鳴らし、コンクリートの壁が弾むように揺れ動く。ぱきっ、ぱきっ、と乾いた音を響かせ、外壁に亀裂が駆ける。


「なっ――」


 危険を察して反射的に学校から離れようとした、そのとき。

 三階の窓ガラスがぶち抜き、激流が噴き出した。


「――にぃぃぃ!」


 どこぞの馬鹿者が学校内で水属性魔法でも使ったのだろう、と小林は苛立ちながら思った。


 後片付けが大変だからだ。


 しかし、そんな小林をあざ笑うかのように激流は、三階部分の窓ガラスという窓ガラスを次々とぶち抜き、校庭に滝のように叩き落ちる。


 小林は「ダムの放流みたいだな」と怒りを通り越して呆れながら思った。


 三階が終わらぬうちに、今度は、二階、一階の窓ガラスから同様に激流が噴き出す。


 本当に学校がダムになってしまったかのような光景だった。


「せっ、先生、見てください!」


 養護教諭が泡を食ったように校庭を指差す。


 激流が穿った水たまりの中に、四肢をねじ曲げられたゴブリンの死体が見えた。


 運悪く激流の落下に巻き込まれた個体か、と小林は思ったが……同様にしてできた他の水たまりにはブラック・ドギーの死体が浮かんでいた。


 ブラック・ドギーは迎撃できた個体を除いて、ほとんど校舎に入られてしまったはずだ。


 小林は、はっとさせられた。


「校舎に侵入した奴らか?!」


 まさか、まかさっ、と思った。


(学校に侵入した魔物を流し出しただと?!)


 しかも、水たまりに落ちているのは魔物だけだ。生徒や教諭の姿はない。


 人を巻き込まずに魔物だけを流し出す――。


 それは、日常的に魔法が存在してもなお「魔法のような」出来事だった。


「いったい、誰が?!」


 四方を見渡すがそれらしい影も形もない。


「小林先生っ、ミノタウロスが!」


 養護教諭の指摘に、小林は弾かれるように視線を真正面に戻す。


 ミノタウロスが、初めは歩くような速度で、段々に足早になり、ついには駆け出す。ミノタウロスの突撃だ――十数体ものミノタウロスが角を揃えて突撃してくる。


「くそっ! 無駄にやる気出しやがって!」 


 小林は愚痴りながら戦斧を構えた。もはや校舎に逃げ出す隙もない。逃げれば背中を穿たれる。とはいえ、胸を穿たれるか、背中を穿たれるかの違いしかないが。


「どこの誰か知らんが、一緒にこいつらもやってくれりゃいいのによ!」


「――元よりそのつもりです」


 ああん? と小林は振り返る。咄嗟に思い浮かんだ罵詈は残さず吹っ飛んだ。


 校舎から白い仮面のメイドが悠然と歩み出る。


 まるでお茶会終わりの主人に付き従うかのような所作に、場違いすぎるその出で立ちに、誰も彼もここが死地であることを忘れて呆然としてしまう。


 いつしか校舎から噴き出していた激流は止まり、過分な水に校庭は沼のように泥濘み、池ほどの水たまりがそこかしこにできていた。


「お下がりください」


「なっ、なにを?!」


 メイドが悠然と歩みながら空を指差す。と、空に夜明けのような輝きが瞬く。


 空には、七つの太陽があった。


 影すら焦げ付かせる、砂漠の空にあるかのようなギラギラした太陽だ。


 膨大な光と熱量を惜しみなく吐き出しながら、段々と近づいてきているように見えた。


 ――否。


 実際に、近づいてきているのだ。


「てっ、撤収!!」


 小林の号令に、その場にいた全員が一斉に校舎に駆け込む。


 直後、七つの太陽が校庭に落ちた。


 光が爆ぜ、圧倒的な熱量が熱波の暴風となって吹き荒れる。


 光の直撃を受けた魔物は、瞬時に消し飛んだ。


 光に近接していた魔物は熱風で消し炭に変わり、遠隔していた魔物は火達磨となった。


 運良く災禍を逃れようと、ただではすまない。


 圧倒的な熱量に炙られた水分が、高温の水蒸気となって、生き延びた命を焼き尽くす。


「なっ、なんということだ……」


 戦斧でいくら叩き込もうと膝を折ることさえなかったミノタウロスが、炎に巻かれてのたうち回り、1体、また1体とその躍動を止め、肉の塊となって地面に伏していく。


「これは……まさか、上級魔法――《軌道隕石爆撃》か?!」


 小林はそれしか知らなかった。

 目の前の奇跡とも呼べる現象を説明できる言葉を。


「違います」


 メイドの口からきっぱりと言い放たれた。


「あれは、ただの初級魔法――《爆熱砲撃》です」


「なん、だと……!?」


「ご注意を――」


 何を? と小林が問い返す暇はなかった。


 もうもうと立ち込める水蒸気を蹴散らし、魔王とその側近が姿を現す――と、小林が認識したのと同時、魔王の片腕が暴風を巻いて上から下に振り下ろされた。


「――ふぇ?」


 魔王より放たれた巨大な戦斧が完全な円形を描くほどの高速回転で小林の眼前に迫る。


 小林に出来たことは阿呆のように鼻水を垂らすことだけだ。




 1秒も満たぬ一瞬に、魔王の戦斧は小林のあほ面を輪切りにし、背後にした生徒や教諭をも等しく輪切りにした後、ありあまる慣性で校舎に致命的な損害を与えた。


 校舎は崩れ落ち、上層階の生徒を除き、多くの生徒が巻き込まれた。


 運良く生き残った上層階の生徒は、しかしその場を生き長らえたにすぎない。多くの生徒が重傷で動けないまま、魔物の餌食となり、その若い命を散らすこととなったからだ。


 学校をダンジョン化する、という魔神の思惑こそ阻止できた。だが、このときの人的な損失は10年後に致命的となり、人類は歴史的な惨敗を繰り返すこととなる。



 ……はずであった。



「――ふぇ?」


 爆風にも似た衝撃に、小林の鼻から垂れた鼻水が右へ左へぷらんぷらんと揺れ動く。


 小林の眼前には、いつしかひとつの影があった。


 気取りに気取ったタキシード姿で、顔にカボチャの被り物をした、ふざけた影だ。


 影の手には、巨大な戦斧があった。


 片手でゴムボールのように受け止めてはいるが、それは紛れもなく魔王の戦斧だった。

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