第34話 嵐の前のエリクサー

 学校に行くため玄関で靴を履いていると、珍しくセシルちゃんが見送りにやってきた。


春空はるくよ、今日はきっと大変な一日になるだろうから、これを持っていけ」


 手渡されたのは、緑色の怪しい液体がコルクで栓をされた試験管のような瓶だ。


「なにこれ?」


「エリクサーぢゃ」


「えりくさ~?」


「なんぢゃ、エリクサーも知らんのか?」


「いや、それくらいは知っているけど……」


 エリクサーと言えば、ポーションの原料として有名な薬草だ。


 普通は「エリクサー2%配合」とか記載されていて、エリクサーの配合比率が高くなるほど、ポーションの値段は跳ね上がり、比例して効果も高くなる傾向がある。


 噂では、エリクサーの配合比率50%超えのポーションは、手足の欠損も治せるとか。


「ポーションなら持ってるけど?」


「いや、エリクサーはもっておらんぢゃろ? とある決戦でもったいぶって使わなかったものだが、ちゃんと冷蔵庫で保管していたから、まだ使えるはずぢゃ。持ってけ」


「だから、……んん? エリクサー? ポーションじゃなくて?」


「エリクサーぢゃ」


「まさか……エリクサーの……原液? エリクサー100%?!」


「だから、そう言っておるではないか!」


 ふんす、と鼻息を荒くするセシルちゃん。


「こ、これ、もしかして……凄くお高いのでは?」


 かたかたと病的に手が震えてくる。


「城が六つは建てられるな」


「――なぁ!?」


 途端に、怪しげな緑色の液体が、何やら高貴な輝きを放っているように見えた。


「こ、こんな高価なもの受け取れないよ」


「万が一の保険ぢゃ」


「……それは、なに? どういうこと?」


「今日は千年に一度のアリスの力がもっとも弱まる日ぢゃ。この機に乗じてカリスが盛大な悪さをしでかすかもしれんでな、一応の用心のためぢゃ」


「はぁ……」


 何の話? 近所の悪ガキの話かな? 1000年とか、壮大だけど。


「もっと詳し――」


「春空、遅刻するわよ」


 台所からひょっこり顔を出した母親にそう言われた。

 後ろ髪を引かれるが……遅刻して目立つのは不味い。


「いっ、いってくる~」


 家を飛び出し、早足で学校に向かう。

 道中、妙にセシルちゃんの言葉が気になった。

 今日は雨が振るから折りたたみ傘を持っていけ、みたいな言い方だったけど……。


(アリス……アリス……アリス、……誰?)


 と自問して、ぱっと閃く。


(女神アリスティア?)


 まさか、と思った。しかし、なぜだかもうそれしか考えられない。

 ひとつ答えっぽいものがでると、連想ゲームの要領でもうひとつの答えが思い浮かぶ。


(カリス……カリス……カリス、……まさか!)


 早足で歩きながら、ぼくは自分の閃きのアホさ加減に頬を掻いた。


 ブサメン――認識阻害魔法でそう見えている――が口元を歪めているものだから、同じく登校中だった生徒は、変質者を見るような目で距離を取る。


 いつもだったら「やっちまった!」といじけるところだが、今のぼくにそんなゆとりはなかった。妄想と大差ない閃きに、冷や汗が止まらなくなる。


(暗黒神カリスメディナ?!)


 まさか、まさかっ、と頭を振って馬鹿な妄想を追い出そうとする。

 だが、すでに根が張っているかのように脳裏に定着して離れようとしない。


(これって……凄く不味いのでは?)


 もしもこの閃きが正解だとして、セシルちゃんの言葉を正しく言い直すのなら、


『今日は千年に一度の女神アリスティアの力が最も弱まる日だから、この機に乗じて暗黒神カリスメティナが攻めてくるかもしれない――』


(とっ、とってもヤバいのでは?!)


 暗黒神カリスティナの侵攻は、特に珍しいことではない。頻度は、週三くらい


 ちょっとでも女神アリスティアの力が弱まった地域があれば、目敏く見つけて、暗黒の霧の向こうから軍勢を送り込んでくる。


 これを冒険者ギルドの冒険者が迎撃する。


 その都度、ニュースで取り上げられるが、よほど大きな被害が出ないかぎりは、最後の方に取って付けたように報道されるだけだった。

 それほどまでによくあることなのだ。


(まっ、まさかね……)


 あり得ない。いつものことが、いつものように始まり、いつものように終わる――

 ただそれだけのことだ、とそう思いたかった。


 しかし、あのセシルちゃんがあろうことかお城を六つは建てられるエリクサーをぽーんと手渡してきたのだ。もうこれだけでただ事ではない。


(……え、エリクサーが必要になるほどの大惨事が起こるって事?!)


 あっ、でも……。


(かもしれん、って言ってたような気がする~)


 一縷の巧妙を見つけた気分だった。

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