第30話 炎の日常

魔王退治の次の日は、ぼくのクラスだけ休みになった。

怪我人が多すぎてクラスの半数以上の席が埋まらなかったからだ。

1限目が始めるぎりぎりに決まったことだった。


(……さて、どうすべきか)


机にだらしなく体を預けながら途方に暮れる。

午前中が暇になったのだからダンジョンに向かうべきなのだろう。


だが、こんな時に限ってM/Mはメンテナンス中だった。


今朝からどうにもM/Mの調子が悪くて、セシルちゃんに見てもらっているのだ。

セシルちゃん曰く「魔力込めすぎぢゃ!」とのこと。


どうやら昨日、魔王を倒すときに使った【水流斬撃ウォーター・カッター】が良くなかったらしい。

相手が魔王ってことで気合が入りすぎていたかも。


M/Mがなければ魔法も使えないので、ぱんぴ~も、にぶるも、家に置いてきた。

M/Mがないので、むすぺる用の火属性の魔法もインストールできない。


……そうそう、

むすぺるというのは、昨日作成した火の精霊っ子のことだ。


セシルちゃんが言うには、地球の古き神話に出てくる炎の国の名前なんだとか。

ちなみに熊の方は「すると」と名付けられた。炎の国に住まう炎の巨人の名前なんだと。


暇なので検索しようにもM/Mがないのでやっぱり何もできない。

セシルちゃん妖精とダベろうにもM/Mがないので呼び出せない。


現代人の弱点はまさにM/Mなのだ。

現代人を殺すのに銃弾は必要ない。ただM/Mを取り上げて暇にすればいいのだ。


これはM/Mに依存した現代人に警鐘を鳴らす一大事――。

などと高尚なことを言うつもりはないので、さっさと帰ることにした。


せっかくのオフなので親睦を深めるために火の精霊ズと遊んでやろう。

こんなときに一緒に遊ぶ友達もいないからね!


精霊最高~! ぼくを虐めないし、ぼくの言うことは何でも聞くし、まさに、ぼくによる、ぼくのための、ぼくだけの精霊、……言っててちょっと悲しくなってきた。



とぼとぼと数十分を歩いて家に戻ってきた。


「ただいま~」


玄関を開けて、母親が「あら? 早いわね、どうしたの?」ときたら、言ってやろうと用意していた文句が、がらがらと立て付けの悪い玄関を開けた瞬間に吹き飛んだ。


「……ゾ?」


むすぺるが給油ポンプでしゅこしゅこやっていた。

給油ポンプの先には玄関に置いてある灯油缶がある。

給油ポンプをしゅこしゅこすれば灯油缶から灯油が汲み出されるわけで。

汲み出された灯油が灯油ポンプの管を通るわけで。

その管の先にはむすぺるの口があるわけで。


「のぉ~!」


むすぺるから慌てて給油ポンプを分捕った!

むずぺるは突然のことにキョトンとしている。


……あ、危なかった。


灯油の誤飲事故なんて洒落にならないからな!


「おのれ! あの店員め! 灯油缶ではガソリンは売れんなどとほざきおって!」


そのとき、セシルちゃんがやってきた。

冬でもないのに、なぜか、灯油缶をえっちらほっちらと運び、


「おや、春空ではないか? 今日は早いな?」


玄関に、どすぅん、と落とすように置くと、んん~、と背を伸ばす。


「それより聞いてよ、むすぺるが灯油を飲もうとしてたんだ!」


「なんぢゃと!」


こういうのは年長者に怒ってもらうのが一番だからね。見た目、幼稚園児だけど。

可哀想だけど、むすぺるのためだ。


「灯油は熱効率が悪いから飲んではいかんと言ったではないか!」


「――ん?」


「ガソリン買ってきたから、ほれ、ガソリン飲め!」


と、灯油缶の蓋を開けると、ガソリン独特の刺激臭が鼻をついた。


「ほぁ~!」


「待て待て、ラッパ飲みなんぞしたら辺り一面火の海ぢゃ」


ガソリン入りの灯油缶に飛びつこうとしたむすぺるを押し止め、セシルちゃんは灯油入りの灯油缶に刺さってあった給油ポンプをガソリン入りの方に差してやった。


むすぺるはそれをしゅこしゅこしてガソリンを飲むのだが、……絵が、酷い!?

例えも悪くなって恐縮なのだが、まるでよろしくない薬を吸引しているみたいだ!


「……ってか、飲ませていいの?」


「もちろん、火の精霊ぢゃからな。低級は大気中の熱エネルギーを吸収できんから、文字通りに燃料を補給してやらんとろくに魔法も撃てんのぢゃよ」


ガソリンを飲んで目をとろんとさせる幼女にぼくは遠慮無くドン引きしたものだが、むすぺるの悪食はとどまることを知らなかった。


結局、この日はM/Mの修理が完了しないということで午後もオフになり、暇つぶしにむすぺるを観察していたのだが、まあよく食べる。小動物かってくらい食べまくる。


ぽりぽりとポッ○ーでも食べているのかと思えば、黒鉛鉛筆を食べていた。

ガスコンロに顔を寄せて何をしているかと思えば、漏れたガスを吸っていた。

庭先でポテチでも食べているかと思えば、庭に落ちた枝や枯れ葉を食べていた。

食べるものがないときは木製の家具にがじがじと囓りついていた。


がじがじとしながら物欲しそうにぼくを見つめてくるのに、ぼくは同情を禁じ得ない。

あまりに不憫だし、あまりに情けない。

甲斐性なしで、娘にろくなものを食べさせられないダメ親父の気分。


「セシルちゃん、ぼくは決めたよ」


おやつの伊予柑を剥きながらぼくは決意表明した。


「むすぺるを中級精霊にして熱エネルギーを吸収できるようにするよ」


「その前に、するとを低級にしてやれ、あっちの方がよほど不憫じゃ」


「え? まじで?」


そういえば、するとは……いた。

むすぺるに抱っこされて、違和感なくぬいぐるみと化している。


どこが不憫? と見守っていると、母親が帰ってきて、近所のホームセンターで買ってきたと思しきキャンプ用の薪を、むすぺるにおやつを上げる感覚で差し出した。


「半分こにするのよ」


話半分で、むすぺるは薪に齧りついた。

まるで麩菓子ふがしに喰らうようだが、バリ、ボリ、と咀嚼音はしっかりと薪だった。


むすぺるに抱かれながら、するとが手足を振って分け前を請求するが、むすぺるはどこ吹く風、子供ながらの貪欲さで、平らげてしまう。


確かに不憫だ。と思ったら、まだ序の口だった。


むすぺるがこぼした木片や木粉を、するとが拾って食べたり舐めたりしだしたのだ。


「うわ~……」


「な? 弱肉強食とはいえ不憫ぢゃろ?」


見かねた母親がするとに薪を渡した。

するとは全身で喜ぶように薪に抱きつく。

よかったね、すると。微笑ましい光景に、ほっこりだ。

と思ったのも束の間、むすぺるが牙を剥いた。

母親が台所に消えるのを見計らい、するとから薪を分捕ったのだ。

するとは必死になって取り戻そうとした。

けれど、するとの背丈はむすぺるの半分にも満たない。

どんなに手を伸ばそうと、むすぺるの口には届かない。

するとがジタバタと抵抗する間に、薪はどんどんと噛み砕かれていく。

そうして、最後の切れっ端を残してバリっと砕けた。


「くま~……」


「……」


「くま~……」


じ~っと果てなく見つめ合うひとりと1匹。

と、次の瞬間だった。

むすぺるはけぷっと愛らしいげっぷをして、


「……やる。半分こ、だゾ」


するとの口に残った一欠片を突っ込んだのだ。


「「おおっ!」」


これには思わずセシルちゃんと声を揃えて驚いた。


ただお腹いっぱいになったからでは? とか。それ半分こ言わないのでは? とか。色々突っ込みたいところはあるけれど、なんとも感動的な場面だ。


なんというか……娘の成長を目の当たりにしたお父さんの気分?


これを機に思いやりの心なんてものに目覚めてくれると嬉しいのだが……。

と思ったのも束の間。


「……むぅ、やっぱり返すんだゾ!」


するとの口に手を突っ込み、先ほどあげた木片を奪い返そうとするむすぺる。

……思いやりの心に目覚めるのは、まだまだ先になりそうだ。

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