第42話 虐殺
「――ぶべっ!」
突如、統括冒険者ギルドの職員のひとりの顔面が爆ぜた。
「……え?」
それが、後方から投擲された斧が自分の魔力障壁に弾かれ、運悪く統括冒険者ギルド職員のひとりの顔面にヒットしたものだ、と春空が理解するのに数秒を要してから、
「――何っ!」
後ろを振り返る――と目の前に斧が迫り、
「あぶっ――」
回避――した次の瞬間だ。
「――ぐぎゃ!」
後ろから悲鳴……というか、断末魔。
春空が忙しなく振り返ると……
胸から斧を生やしたもうひとりのギルド職員が苦悶の表情で崩れ落ちるところだった。
「……ぇ~……」
春空は痒くもない頬を掻いた。
「ぼくのせい?」
「――くるぞ!」
セシルちゃんの声に、春空ははっと我に返り、弾かれるように後ろを振り返る。
偽装の壁から精強なオークがわらわらと姿を現し、何の戦術もないように向かってくる。
たかがオークと笑うことのできない、圧倒的な数、そして圧倒的な勢いだった。
「くっ――」
春空は恐怖に駆られ、ほとんど反射的に殴りつけようとして――辞めた。
殴りつければオークは血肉を真っ向から浴びることとなる。それは不味い。
血に塗れるのはハイエルフの流儀のひとつ「優美であれ」に反すると教えられたからだ。
次案として十八番を発動しようとして、
「わっ、わっ、わっ、わっ――」
緊張感のない黄金の声が春空の注意を引いた。
何気なしにそちらに視線を向けて春空はギョッとした。助けを求めるように突き出した片腕を残して黄金の姿はオーク共の肉の波間に沈むところだった。
「てっ、てめぇ!」
その瞬間、――かちぃん! と春空の中で何かが弾け飛んだ。
「退けっ!」
激昂に駆られ、春空が躍りかかる。
狙われたオークは逃げようともしない。然もありなん、単純な体格差を見てもオークは春空の倍はある。体重に至っては、さらにその倍か。
殴られようと、頬肉が多少たわむだけ……そう、オークは考えた。
そして、春空の絶望に歪む顔を楽しみ、殊更、惨たらしく殺してやろうと企んだ。
――だが。
春空の拳がオークの頬を穿った――その瞬間。
オークの頭部はニヒルな笑みを浮かべたまま720度ほど回転し、耐えきれずにぷちぃんと千切れ、真上に飛び上がった。遅れてオークの胴体から鮮血が噴水のように湧き上がる。
見守る仲間のオークが、仲間の死と油断ならぬ敵の出現を確信するのは、その二秒後のこと。しかし、彼らがその確信を得ることはなかった。
先のオークの首を飛ばしてから一秒にも満たぬ一瞬にして春空の手刀が真空の刃を生み出し、最前列のオークの首を一息にすべてはね飛ばしたからだ。
最前列のオークが一瞬で屠られたことに、後列のオークは目の前の出来事を理解するのに三秒を要したが、三秒の間にある者は腹に大穴を穿たれ、ある者はふたつに千切れ飛ぶ。
運良く三秒を生き残り、仲間に戦況の急変を知らせようとしたオークもいたが、それに声にすることはできなかった。春空の一撃ですでに喉を、首を貫かれていたからだ。
何が起こっているのか、本当に理解できたオークはいなかった。
後方で順番を待つオークは、仲間の肉壁を越えて噴き出す鮮血を、最前列のオークによって生み出された獲物の血飛沫としか認識していなかった。
幸い、いざ順番が回ってきてもその認識が間違いであることに気づくことはなかった。なんか変だな? と首を傾げた瞬間には、仲間の血溜まりに沈んでいたからだ。
「ふぅ~、ふぅ~、ふぅ~……」
春空は荒く息をつき、頬を伝う汗を拭う。
――ぬるっ、とした不快な感触が頬に触れた。
何事かと見れば、腕は滴るほどに血塗れだった。
まるで皮膚を剥がしたかのような有様だ。だが、そうではない――オークの血だ。
腕に限らず、見渡せるかぎりに血が衣のように張り付いてある。
春空は夢から覚めたようにはっとして視線を彷徨わせた。
死屍累々。
言葉にすれば、たったの4文字だが、その表現が生やさしく思えた。
そもそも、まともな死体が1つもない。
くるぶしを浸すほどの赤い液体の中に、元がオークかも疑わしい肉塊や手足、臓器の一部が出来の悪いお化け屋敷の作り物であるかのように浮かんでいるのである。
「やっちまっ、――っ!」
春空ははっとして慌てて自分の耳を抓み、
「……あ、あれ?」
耳が丸まっていないことに、逆に驚いた。
「なっ、なんでぇ?!」
「春空よ――」
セシルちゃんの声が低く響く。
春空は長年の経験から怒られるかと思った。
「わしはどうやら思い違いをしていたようぢゃ」
「お、思い違い?」
「優美とは何か……光輝を纏い、清麗である姿がまさにそうなのだと思っておったのだ」
「は、はぁ……」
「しかし、今のお主の姿はどうぢゃ? 血の衣を纏い、血の化粧を引き、血肉の山に佇むその姿、……むむっ! なんと絵になる! 神話の一場面を描いた絵画のようぢゃ!」
「んなっ、……いやいやいや、流石に――」
言い過ぎ、と言いかけたそのときだ――パシャ、パシャ、と水が跳ねるような音がした。
「シャッターチャンス!」
「――ふぇ?」
春空が音に引かれるように顔を向けると、……黄金だ――オークの肉塊から這い出した姿勢のままM/Mの写真機能で春空を激写する黄金の姿があった。
「鶴橋さん、無事だったの?!」
「もちろんです。うちはこう見えてドワーフなので、頑丈さには定評があるのです」
黄金は応えながらも激写を辞めない。色んな角度で撮りまくっている。
「いや~、絵になりますな~、家に帰ったら拡大コピーして額縁に飾らねば!」
「いやいやいや、ぼくの顔なんてそんな――」
言いながら顔の包帯を確認すると、いつの間にやらすっかりずり剥けていた。
どうやら無我夢中で戦っているうちにほどけてしまったようだ。
「これは、お見苦しいものを……」
「いやいや、そんな……むしろ眼福です! おかしなカボチャなんて被らずに素顔で戦えばよいと思いますよ~」
「いや~、でも素顔を晒すのは――」
と、何かを言いかけて春空は続く言葉を忘れた。
「かぼちゃ……って?」
「学校を救ったときに被ってた奴ですよ? ……あれ? かぼちゃじゃない? コリンキーかな?」
「も、もしかして……ぼくの正体って――」
「パンプキンX様ですよね?」
「――!?」
「なぜ、わかったのぢゃ」
春空があんぐりと口を開けたまま固まってしまったので、セシルちゃんが代わりに問いかけた。
「え? だってパンプキンX様の精霊と同じ精霊ですよね? あの子」
「……」
3人の視線がぱんぴ~に集まる。
ぱんぴ~はオークの死骸にできた穴を他のオークの残骸で埋める謎の遊びに興じていた。
「あれ? 精霊の姿ってもしかして同じのがたくさんあるとか?」
「いや、あれはあれだけぢゃ。というか、お主、精霊が見えるのだな?」
「ええ、前は見えなかったんですけど……」
ふむ、とナビ妖精はひとつ頷くと、黄金の瞳を睫が触れるような距離から覗き込んだ。
「瞳の奥に金色が瞬いておるな。ハイ・ドワーフに覚醒しつつあるわ」
「「はい・どわーふ?」」
仲良く首を傾げる春空と黄金。
「なにそれ?」
「聞いたこともない種族です」
ふたりの純朴な質問には取り合わず、セシルちゃんは問いかけた。
「――いつから見えるようになった?」
「とある冒険中に謎の光を浴びてからです」
「謎の光とな?」
「粘液洞窟でスライム素材を集めていたときでした。七色の光がぶわ~って地面から溢れ出して、死んだ! と思ったけど何ともなくて、そしたら精霊が見えるようになってて」
「……ぁ~……」
「何か心当たりが?」
「心当たりも何も原因そのものぢゃ」
「と、いいますと?」
「七色の光はスライムを消し去るために放った春空の魔力ぢゃ。スライム以外は無害だから直撃しても眩しいだけだが……、大方そのときに春空のネフェリム因子に触発され、お主のネフェリム因子が目覚めたのぢゃろう。よもやよもやぢゃな」
「そ、それって……なにか良くない感じですか?」
「そうさな……」
もったいぶるようにナビ妖精は腕を組んで考え込んだ。
「良し悪しは人によって様々ぢゃ。まあ追々わかることぢゃろう。それよりもぢゃ!」
「――なんです?」
「トンカツぢゃ!」
「「とんかつ?」」
何か重要なキーワードだろうか、と春空と黄金は仲良く小首を傾げた。
「わしは今晩はトンカツが食べたい。さあオーク・キングを狩りにいくぞ!」
「え~……今日はもう帰りたいんですけどぉ?」
両手両足の指でも足りないほどのオークを肉塊に変えたせいか、春空にとってオークはとっくに食傷気味だった。
ましてオーク・キングを狩るとなればオーク・キング単体の討伐で済むはずがない。
王を守ろうとする、数十、数百のオークと余計に戦わねばならないのである。
考えるだけで心も体も重くなってくる。
「却下ぢゃ」
「そこら辺に散らばってるオークじゃダメ?」
「ダメぢゃ。オーク・キングがいい!」
「でも、M/M壊れたままだよ? ……またステゴロでやれと? 今度こそ耳が丸まりそうなんですけど? 素顔を誰かに見られるのも嫌だしさ」
咄嗟ではあったが、なかなか上手い言い訳ができた、と春空、内心で自画自賛。
「安心せい、美國に予備のM/Mを持たせて向かわせておる」
「……むぅ」
「はいは~い! うちはハイ・ドワーフのことをもっと詳しく教えて欲しいです!」
春空の憂鬱などどこ吹く風、黄金が好奇心に目を蘭々と輝かせ、律儀に手を上げて言ってくる。
「なら、うちに来い! トンカツを食いながらたっぷり教えてやるわ!」
「わ~い! お呼ばれされた~! ――がんばりましょうね! 春空!」
「うぃ~……」
美國が道に迷うことを願わずにはいられない春空だった。
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