第37話 そして日常へ

 結局、春空は名乗り出なかった。

 となれば、当然、「無能オーク」としての現実が待ち受けているわけで。


「……は?」


 職員室にて。

 古典の老教師のひと言に、春空の口から思わずおかしな声が出た。

 老教師は「ごふぉん」とひとつ咳を払い、


「ゴブリンの討伐数はぎりぎりクリアしているようだが、オークがね……1匹では話にならんよ。スライム退治でレベルを上げているようだが、如何せん、討伐目標はオークなのだから、オークを狩らんと、君。単位を上げることはできんのだよ」


 中間試験の討伐数が足らん、という話だった。


「……はぁ、すみません」


 魔王は二体ほど退治しましたけど、オークを退治するのをすっかり失念していました、とは言えないので、素直に謝っておく。


「君の実力でオークは厳しいのはわかるが、一学期の中間試験で躓くようでは、二学期、三学期の試験クリアは難しいよ? いや、敢えて言わせて貰えば、無理だよ? 君たちのレベルの上昇を見越して難易度が上がっていくからね。そうなると、君、留年だよ?」


「うぐっ、それは、……困ります」


「まあ今回は補習をクリアして貰えば良いが、このままでは補習のクリアも危ぶまれるからね、生産職科にひとり中間試験の単位を落とした子がいるから、彼女とパーティを組みなさい。他にパーティを組んでくれる当てがあるのなら、それでも構わないが……」


 老教師は言ってから眼鏡の上縁から覗き見てくる。

 暗に「あるかね?」と問われているような気がして、春空は苦笑いを浮かべた。

 それを答えと見たか、老教師はやれやれと首を横に振り、音もなくため息をついた。


「当てがあるならこうはなっておらんか……」


「……すみません」


「課題は2人分に増えるが、まあ1人より2人さ」


「……あの」


「なにかね?」


「……い、いえ」


 パーティは勘弁して貰えませんか、と春空は言いたかったのだ。

 というのも、春空はパーティというものに良い感情を持っていなかったからだ。


 人を魔物をおびき寄せるための囮にされたり、難解な罠を解除するための捨て石にされたり、強力な魔物の攻撃から身を守るための肉壁にされたり……。


 パーティを組んだ誰もが、役立たずのお荷物をどうにか有効利用しようと、人権というものをご存じないかのように春空を酷使してくるのである。


 もはやちょっとしたトラウマである。パーティと聞くだけで顔が強ばるレベル。


 それに、誰かとパーティを組むのは今の春空にとって不都合でしかなかった。実力の半分でも発揮しようものなら、噂の「パンプキンX」だとバレてしまいかねないからだ。


(……困ったわ)


 できれば「無能オーク」として影の方でこっそりと生きていたいのに。


「大丈夫、比較的レベルの低いオークが生息するダンジョンを選んでおいたから、パーティならクリアは難しくないはずだ」


「は、はぁ……」


「生産職科の彼女にもそう言っておくから。明日、現地集合しなさい」


 老教師の厚意に、春空は包帯の下で苦笑いを浮かべるしかなかった。




 翌日。

 県内にいくつもある「オークの群ダンジョン」のひとつに春空は足を運んだ。

 ダンジョンの正式名称は「D-6679」ダンジョン。

 通称は、ない。

 よくある坑道系の構造で、教習用に放置されているダンジョンのひとつだ。


「さて、お相手はどこかの~?」


 例によってナビ妖精をハックしたセシルちゃんが、ナビ妖精をきょろきょろさせて辺りを探す。


 春空はその姿を何となく眺めがなら、はっと息を呑んだ。


「今気づいたんだけど『誰かとパーティを組む当てがあるのか』って聞かれたときに、びーちゃんって言えばよかったんじゃない?」


「本当に今さらぢゃな。まあ大切なことを閃くのはいつも後になってからぢゃ。それに、美國にも体裁というものがあるから許諾したどうかは怪しいがの」


「そうかな~」


「――あの娘ではないか?」


 ナビ妖精が指差したのは、ダンジョンの入場口付近に佇むひとりの少女だ。


 鉄片をちりばめた戦闘用の前掛けに、長柄の戦鎚、ぶかぶかの革手袋に、頭にはゴーグルを被り、赤毛の波立つような髪をツインテールにまとめた、小綺麗な少女だった。


 少女は所在なさげに佇み、誰かを待っているように見えるが……、


「違うんじゃない?」


 春空はそう決めつけると、少女と数メートル離れたところに並んだ。

 用がある人がいれば話しかけてくるだろう、という構えだ。


「声を掛けてみてはどうぢゃ?」


「……いやだ」


「なぜぢゃ?」


「人違いだったら恥ずかしい」


「ナンパするわけでもあるまいし……、どれ、わしが話しかけてみるかの~」


 と、ナビ妖精が少女に向かおうとしたところで、春空の手がナビ妖精の足を掴んだ。


「やめて。ナビ妖精に探らせるとか、それもなんか恥ずかしいから」


「なら、自分で行け!」と、掴んだ手を蹴り飛ばされてしまう。


「嫌だよ、恥ずかしい。よし! ぱんぴ~に見てきて貰おう。――ぱんぴ~」


「何が『よし』なのやら……」


 春空に呼ばれ、ぱんぴ~がやってくる。

 さっきまで一緒に遊んでいた、にぶる、むすぺる、するとも一緒だ。

 3人と1匹とも人前であるためすでに不可視化している。


「呼んだかぁ?」


「ちょっと手伝って欲しい」


「なにする?」


「偵察任務だ。重大任務だぞ」


「おおっ!」


 春空の誇大な言い回しに、ぱんぴ~は目を輝かせた。

 春空は知っていたのだ。ぱんぴ~の今のマイブームはスパイもののアニメであることを。


「とある人の素性を調べて欲しい。名前とか」


「わかったのだ! で? どのひとを見てくれば良いのだ? そこの人か?」


「うん、そこの、――そこの人?」


 はて? と春空は首を傾げ、ぱんぴ~の視線をなぞって右方向を振り返る。

 と、そこには――


「すみません、お取り込み中でしたか?」


 件の少女である――今まさに素性を調べようとしていた件の少女が立っていたのだ。

 春空は驚きのあまり背面で壁を登った。何かの虫みたいだった。


「え、すっ、すごっ……」


「き、君は?」


「あっ、失礼しました。うちは鶴橋黄金です。あなたは――」


「御珠春空だ」


 ずるずると壁から下りながらそう名乗る。


「おお、やっぱり御珠殿ですか!」


「う、うん……」


「あ~、よかった。人違いだったらどうしようかとドキドキでした~」


 と、人好きのする笑みを浮かべる黄金。


「……」


「……」


 しばらく意味もなく見つめ合い、


「あの、そろそろ行きませんか?」


「……わかった」


 と、一応、合意はしたものの、どちらも動かない。包帯の下で顔を強ばらせる春空を、黄金は人好きのする笑みを浮かべたまま、物珍しそうに、じ~っと見つめている。


「なっ、なにか?」


 包帯の巻き方に問題でもあっただろうか。それとも包帯に醤油でもついていただろか。

 出がけに見たときは万全だったが、春空は見つめる間にそのような思考を巡らせた。


「いやいや、何でもないですよ~♪」


 黄金は何でもあるように言ってダンジョンの入場口に向かって歩き出した。


「では、行きましょ~♪」


 黄金のノリに「お~!」と、ぱんぴ~、にぶる、むすぺるが応え、黄金を先頭に列を成して洞窟の中に進む。ひとり取り残される形となった春空は首を傾げて、


「ぼくの顔に何かついてる?」


 ナビ妖精は外連味たっぷりに肩を竦めて見せた。


「いつも通りの包帯まみれの間抜け面ぢゃ」


「間抜けではないでしょ」


 念のためM/Mのカメラ機能で自分を撮ってみた。

 出来上がった画像には、顔全体に包帯を巻いた、全治何ヶ月という重病人の顔。


(イメチェンが必要かも知れない……)


 流石にず~っと重病人スタイルでは芸がない。


 何か、格好いい包帯の巻き方はないだろうか、と春空は思い悩むのだが、世間ではそれが「中二病」と呼ばれていることについぞ気づくことはなかった。


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