第30話 嵐の前のエリクサー
次の日。
「春空よ、今日はきっと大変な一日になるだろうから、これを持っていけ」
手渡されたのは、緑色の液体が入った試験管のような瓶だった。
「なにこれ?」
「エリクサーぢゃ」
「えりくさ~?」
「なんぢゃ、エリクサーも知らんのか?」
「いや、それくらいは知っているけど……」
エリクサーと言えば、ポーションの原料として有名な薬草だ。
普通は「エリクサー2%配合」とか記載されていて、エリクサーの配合比率が高くなるほど、そのポーションの値段は跳ね上がり、比例して効果も高くなる傾向がある。
噂では、エリクサーの配合比率50%超えのポーションだと、欠損した手足も生えてくるとか。
「ポーションなら持ってるけど?」
「いや、エリクサーはもっておらんぢゃろ? とある決戦でもったいぶって使わなかったものだが、ちゃんと冷蔵庫で保管していたからまだ使えるはずぢゃ。持ってけ」
「だから、……んん? エリクサー? ポーションじゃなくて?」
「エリクサーぢゃ」
「まさか……エリクサーの……原液? エリクサー100%?!」
「だから、そう言っておるではないか!」
ふんす、と鼻息を荒くするセシルちゃん。
「こ、これ、もしかして……凄くお高いのでは?」
かたかたと病的に手を震わせながら、そう問いかける。
50%配合のポーションでハリウッド俳優の豪邸が建てられるほどだ。
80%配合のポーションではネズミがマスコットの夢の国が買い取れるほど。
「城が六つは建てられるな」
「――なぁ!?」
途端に、怪しげな緑色の液体が、何やら高貴な輝きを放っているように見えた。
「こ、こんな高価なもの受け取れないよ」
「万が一の保険ぢゃ」
「……それは、なに? どういうこと?」
「今日は千年に一度のアリスの力がもっとも弱まる日ぢゃ。この機に乗じてカリスが盛大な悪さをしでかすかもしれんでな、一応の用心のためぢゃ」
「はぁ……」
何の話? と春空は思った。まるで近所の悪ガキのことを話しているかのようだ。
もっと詳しく聞きたかったが、生憎と春空には時間がなかった。
「春空、遅刻するわよ」
母親にせっつかれ、家を飛び出す。
遅刻したらやばい、とそぞろな心境でありながら、妙にセシルちゃんの言葉が気になる。
(アリス……アリス……アリス、……誰?)
と自問して、ぱっと閃く。
(創造神アリスティア?)
まさか、と思った。しかし、なぜだかもうそれしか考えられない。
ひとつ答えっぽいものがでると、連想ゲームの要領でもうひとつの答えが思い浮かぶ。
(カリス……カリス……カリス、……まさか!)
早足で歩きながら、春空は苦笑い。
包帯男が口元を歪めているものだから、同じく登校中だった生徒は、変質者を見るような
目で距離を取る。
いつもの春空だったら「やっちまった!」と立派にいじけるところだが、今の春空は、自分の妄想と大差ない閃きに、そんなことさえ気にならないほどに愕然としていた。
(暗黒神カリスメディナ?!)
まさか、まさかっ、と頭を振って馬鹿な妄想を追い出そうとするものの、すでに根が張っ
ているかのように脳裏に定着して離れようとしない。
(これって……凄く不味いのでは?)
もしもこの閃きが正解だとして、セシルちゃんの言葉を正しく言い直すのなら、
『今日は千年に一度の創造神アリスティアの力が最も弱まる日だから、この機に乗じて暗黒神カリスメティナが攻めてくるかもしれない――』
(とっ、とってもヤバいのでは?!)
暗黒神カリスティナの侵攻は、特に珍しいことではない。頻度は、週三くらい
ちょっとでも創造神アリスティアの力が弱まった地域があれば、目敏く見つけて、暗黒の
霧の向こうから軍勢を送り込んでくる。これを冒険者ギルドの冒険者が迎撃する。
その都度、ニュースで取り上げられるが、よほど大きな被害が出ないかぎりは、最後の方
に取って付けたように報道されるだけだった。それほどまでによくあることなのだ。
(まっ、まさかね……)
あり得ない、と春空は思った。思いたかった。いつものことが、いつものように始まり、
いつものように終わる――ただ、それだけのことだと思いたかった。
しかし、あのセシルちゃんがだ――見送りなんて小学校低学年以来、来たことのなかったセシルちゃんが、朝食を中断してまで忠告に来て、あろうことかお城を六つは建てられるエリクサーをぽーんと手渡してきたのだ。
もうこれだけでただ事ではない。
(……え、エリクサーが必要になるほどの大惨事が起こるって事?!)
あっ、でも、と春空は思い直した。
(かもしれん、って言ってたような気がする~)
一縷の巧妙を見つけた気分だった。
おかげで春空は1時限目と2時限目をそれなりに気楽に過ごすことができた。
ところが3時限目が始業してから数分後のことだった。
ひとりの女子生徒が絹を切り裂くかのような悲鳴を上げた。
何事か、と誰かが問いかけるより先に、クラス中にどよめきが走る。
誰もが外を見て、顔に恐怖を張り付かせていた。春空もそのひとりだった。
それは、どこからか風に流されて、流れ込んできたわけではない。また気象によって産み
落とされたわけでもない。唐突に現れた――唐突に現れて、暗雲のような密度で、濃霧の
ように広がり、見る間に学校に至るまで街並みを呑み込んでいくのである。
――暗黒の霧。
それは、そう呼ばれる超常であった。
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