第31話 弱者の正義

 学校をも餌食にしようとしたところで暗黒の霧は進行を止めた。

 暗黒の中に、ぽっかりと学校だけが残される形だ。

 助かった、と安堵するものはいなかった。

 暗黒の霧に異形の影が映る。大きなもの、小さなもの、その中間のもの……。

 影法師の悪戯だと誰もが願わずにはいられなかった。

 しかし、暗黒のベールを引き裂き、現れたものに、影法師による誇張はなかった。

 先陣を切ったのは、2メートルほどの牛頭の巨人――ミノタウロス。

 彼らの足下に続くのは、黒い肌に、頭に角を生やした小鬼――ゴブリン・オーガ。

 続いて、黒い体毛を持つ、痩せこけた犬のような魔物――ブラック・ドギー。

 そして――

 最後に現れたのは、灰色の濁った体毛に、隆々とした筋肉を鎧のように纏う、3メートルほどの巨躯を誇るミノタウロス――


「ミノタウロス・グレート!? ――まっ、魔王だ!?」


 3限目を担当していた英語教諭の叫びに、クラスの緊張が走った。

 英語教諭はすぐさま生徒に武装を命じて、


「わ、わたしは他の先生方とあれを迎撃せねばならん。君たちは机と椅子でバリケードを築き、何人も通すな。壁を登ってくる奴らもいるかもしれんから、外にも気を配るように」


 矢継ぎ早やに指示を飛ばすと、教室を飛び出していった。

 残された生徒は、英語教諭の指示にすがるように従い、忠実にこなしていく。

 動揺と恐怖で頭がいっぱいの生徒にとって、それが唯一の気休めだった。

 だから、このとき美國を除いて誰も気づくことはなかった。

 クラスメイトのひとりが、いつの間にか教室からいなくなっていることを。



 屋上に着くのを待てずに春空はM/Mの通話機能でセシルちゃんに連絡を入れた。


「せ、セシルちゃん、大変だ! 学校に魔物が!」


「なんと、学校にもか!!」


「そっ……え? にも?」


 屋上に辿り着く。

 眼下では、暗黒の霧からわらわらと現れる魔物に対して、教職員と――おそらく三年生や二年生の成績優秀者による即席パーティが迎え撃つ構えを見せている。


「街中ぢゃ。大型の施設は軒並み襲撃を受けているようぢゃな」


「お、お婆ちゃんは?」


「そのセシリアからの情報ぢゃ。ギルドメンバーを引き連れて方々を転戦しているらしい」


「学校には来ないの?」


「どうぢゃろうな。ろくに防衛能力のないスーパーやホームセンターまで襲われているせいで、民間人を避難させるので手一杯のようぢゃが」


「お、お母さんは?」


「ご近所の防衛に駆けずり回っておる」


「せ、セシルちゃんは?」


「わしか? 残念ながらセリアの援護で手一杯ぢゃ」


「うううぅ……」


 あわよくば祖母か、母親か、ダメ元でセシルちゃんに助けに来て欲しかったのだ。

 だが、どれもこれも色よい返事がない


「学校も襲われてるんだけどぉ~?」


「さっき聞いた。――もういいから帰ってこい!」


「え?」


「義理立てする理由などどこにもあるまい? お前を貶めた、ろくでもない連中の巣窟ぢゃ。やつらのために骨を折る必要がどこにある? 『いのちだいじに』ぢゃ」


「そ、そうかもだけど……」


 眼下では、魔物の大群が学校の正面玄関目掛けて殺到するのが見えた。

 対する学校側は魔法や弓で遠距離から応戦。結果、何体かの魔物は脱落するが、ただそれだけだ。大河に小石を投げ込むかのように、魔物の勢いは止まらない。

 前衛を打ち破られ、あっという間に乱戦になった。

 前衛も後衛も関係なく魔物に取り囲まれ、数の暴力で包囲殲滅……と思いきや、ゴブリン・オーガやダーク・ドギーは、彼らを捨て置き、学校へと雪崩れ込む。

 学校のダンジョン化を最優先したのだろう。あるいは、相手ではないと見下されたか。

 魔物の意図に気づいた者は背後から迎撃を試みようとした。だが、試みはことごとく失敗に終わった。ほうほうの体でミノタウロスの戦斧から身を守らねばならなかったからだ。


「どうした? 何かあったか?」


 セシルちゃんに問われ、ごきゅん、と春空の喉が鳴った。


「学校が……魔物に侵入された」


「学校裏がまだ無事ならそこから学校を迂回して帰ってこい」


「でも……」


 自分で何が言いたいのかもわからず、ただ言い淀んだ、そのとき、


「春空――」


 呼ばれて、振り返る。

 いつの間にか、メイド服に着替えた美國がいた。


「びーちゃん……」


「春空、どうしますか?」


「どう、って?」


 見捨ててもいい、と言われた。それだけの理由はあった。

 だが、覚悟がなかった。彼らを見捨てる覚悟が――身勝手に期待して、失望して、その代償を押しつけてきた連中など、知ったことではないのに、魔物に喰われてざま~、と笑えるだけの狂気もなければ、すべてをほっぽってこの場から逃げ出す勇気もなかった。

 ただ、ちっぽけな願望があった。刹那的で、衝動的な――たった一つの願い。


 ――魔物から人を助けたい。


 正義と呼ぶにはあまりに慎ましく,この時この場所に限った、ただの気の迷いなのかもしれないが、確かに――そのような衝動が春空の心にはあったのだ。


「うがあああああ~!」


 頭を掻きむしり、絶叫を上げて、のたうち回る。

 そして、ひとしきりのたうち回った後、春空はすっと立ち上がった。

 ……何事もなかったかのように。


「……やる」


「なんぢゃって?」


 ナビ妖精が意地悪な笑みを浮かべて、わざとらしく耳に手をかざす。


「やるよ! やってやる!」


 絶叫し、地団駄を踏む。ただの駄々っ子のように。


「流石、わしのひ孫ぢゃ! そうこなくては!」


 ぐぅ~、とひとつ唸る。なんて調子の良い、もしかしてこうなることは初めから折り込み済みだったのでは? と疑わしく思う春空だったが、今はそれどころではない。


「戦況は?」


 春空の質問に、美國は「こふぉん」と咳を払い、


「最悪です。1階にある1年生の教室は全滅。退避してきた1年生を交えて、現在、2階にある2年生の教室で防衛線を張っていますが、すでに半分の教室が落とされ、撤退する者、迎撃する者で、一切の連携が取れずでわちゃわちゃです」


「わちゃわちゃか~」


 のんびり迎撃すれば良い、というものではなさそうだ。


「短時間で、なおかつ一撃で、学校に侵入した魔物を一掃するには……」


 ロダンの「考える人」よろしく、腕を組み、顎に手を添える。ただ「考える人」と違い、屋上をうろうろと歩き回る。同じところを動物園の熊のように、うろうろ、うろうろ。


「ぱんぴ~のあの魔法で……ダメだ、屋内だと効果が――」


 うろうろ、うろうろ。


「むすぺるで学校ごと……ダメだ、みんな丸焼けになる――」


 さらに、うろうろ、うろうろ。

 何か楽しいことでもやっているとでも思ったのか、春空の後ろにきゃっきゃとぱんぴ~が続き、楽しげなぱんぴ~の様子に、続いて火の精霊ズ、最後尾ににぶるが続く。

 そのまま、春空が円を描くようにうろうろするものだから、隊列も円を描いて、いつの間にか、春空の目の前には、にぶるの小さな背中があった。


「――え?」


 何でこんなことに? と春空が思うと同時だった。

 にぶると屋上の貯水タンクが一緒くたに視界に入った――その瞬間、


「あっ、閃いた」


「妙案でも浮かんだか?」とセシルちゃん


「ぱんぴ~用のあの魔法って、にぶるに応用できる?」


「多少手を加えねばならんがお茶の子さいさいぢゃ」


「あとひとつ――」


 ナビ妖精からセシルちゃんが去る気配がしたので、慌てて呼び止める。

 それから、春空は屋上のフェンスから校庭を見下ろした。

 校庭では、今なお学校側の主力がミノタウロスの大群と死闘を演じていた。


「ちょっと危ないかも……、退避させられないかな?」


「なんとかやってみよう」


「何をする気なのですか?」


 美國が鼻息荒く聞いてくる。

 春空は悪い笑みでそれに答えた。


「悪いことさ」


 もちろん、魔物にとっての話だ。……多分。

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