第25話 美國の事情

 城美國は春空が好きだった。愛している、と言っても過言ではなかった。

 だから、珠城家として、春空に仕えるのは、美國にとっては至上の喜びだった。

 いつでも一緒にいたかったし、なんでもしてあげたかった。

 セシルに絶対的な忠誠を誓う珠城家のお役目を抜きにしても、これは役得だった。

 ところが大きな転機が訪れた。中学校に入学したときのときのことだ。

 小学校はいつも一緒で、中学校でもそうなるとばかり思っていた。


「よいか、美國よ、春空様のお情けを受け、春空様の子を身ごもるのだ」


 ある日突然、父親にそう厳命されるまでは。

 将来的には、そうなりたいと美國は思っていたので、まんざらではなかった。

 ところが、


「それは、春空様と夫婦になれと言うことですか?」


 返ってきたのは、父親の全力のビンタだった。


「馬鹿者っ! セシル様の血族に、我ら珠城の血が混じるなどあってはならぬことだ!」


 美國は忘れていたのだ。セシルを絶対の君主と崇める珠城家のお家事情というやつを。

 二つの世界が衝突する以前から珠城家――当時は別の家名を名乗っていたが――はセシルに仕えていた。ハイエルフでも、その祖である「ネフェリム」でもない、セシル個人にだ。

 セシルに対する忠誠は絶対だった。

 セシルの役に立たねば容赦なく切り捨てられた。セシルの足を引っ張ったものは一族の誰かが、もしくはそのもの自身が、命を以て償った。

 能力的にセシルの役に立たない、となれば、一族はあらゆる手段で自らを強化した。

 乱世ならば禁忌を平然と犯し、倫理も人権も完全無視の人体改造に明け暮れ、平時ならば個人の感情や尊厳など完全に無視をして、有能な血族との間に子をなした。

 おかげで、美國には、ほぼすべての種族の血が流れているほどだ。

 春空との間に子をなすというのも、実のところ、この一環だった。

 ハイエルフの血を一族に加えることで、セシルに役立つ人材を量産しようというのだ。

 さらにいえば、春空には姉と妹がいて、美國にも姉と妹がいるが、これは偶然ではない。

 セリア――セシルの孫で、春空の母親――の妊娠を知ると、父親が愛妾に産ませたのだ。セシルのため、セシルの一族ひとりひとりに仕えさせるために。唯一の男児である春空に、美國が当てられたのも、父親の遠大な計画の一環であることは言うまでもない。

 父親の言いつけを守り、図太く生きればよかったのだが、美國は立派な乙女だった。

 中学校に上がると、美國は春空とどう接すれば良いのかわからなくなった。

 春空の顔を見るたびに父親の言葉が反芻され、いつもどおり、のはずが、彼に触れられず、目も合わせられない。話しかけられてもしどろもどろで、逃げるように立ち去ってしまう。

 結果、中学校の3年間は春空との関係は進展することはなかった。逆に、後退した。

 高校生となってもそれは変わりなかった。

 冒険実習でその恵まれた体躯から一躍、時の人となった春空の盛衰を一喜一憂して見守りながら、なんとか前のような関係に戻れないかと、影ながら機会をうかがう日々が続いた。

 その機会は高校2年生のときに訪れた。同じクラスになったのだ。

 美國はこれを運命と思った。

 底辺まで落っこちた春空を救えるのは自分しかいないと思ったほどだ。

 ここからの美國の行動は早かった。

 まず、おそらく魔法職で後衛を担うであろう春空のために、前衛職の「見習い騎士」にジョブチェンジして、そのためのスキルも、装備も、つつがなく揃えた。

 あとは、春空をパーティに誘うだけ。周りは、「成績優秀なあの子が、どうしてあんな無能オークを?」と怪訝に思うだろうが、知ったことではない。もう覚悟は決まっている。

 そして、春空をパーティを誘おうという当日――。

 学校の誰よりも先に登校した美國は、持て余した時間で春空の机をピカピカに掃除した。

 ただ何となくそうしたかった、ただそれだけの行動だった。


「あれ? 美國、何しているの?」


 鼻唄を歌いながら念入りに春空の机を水拭きしていたときだった。

 他愛のないそんな声が美國の心臓の毛をむしり取った。

 振り返れば馴染みの生徒が不思議そうにこちらを見ている。

 美國の頭の中は一瞬で真っ白になった。


「それ……無能オークの机だよね? どうして掃除しているの?」


 なんて愚問、と美國は思った。

 答えは簡単だ。春空を愛しているから、だから、愛しい人の机を掃除している。何も不自然なことはない。これから一緒のパーティになるのだし、これくらいは当然のことだ。


「じょ、浄化しているのよ」


 気づけば、美國はとんでもないことを口走っていた。


「実は、あの無能オークはオーク・キングの転生体で――」


 その日はもう春空をパーティに誘うどころではなくなってしまった。

 美國の口から出任せが恐ろしい速度で浸透し、学校中に知れ渡ってしまったのだ。

 誰か疑えよ、そんで立証とかしろよ、と美國は頭を抱えたが、名門である珠城家のご令嬢で成績優秀な美國の言葉を疑うものは誰もいなかった。

 春空のいない時間を見計らい、その日のうちに美國は父親と一緒に御珠家を訪れた。

 そして、五段重ねの座布団の上でふんぞり返るセシルの前で、平身低頭で謝った。

 許しが得られなければ、珠城家の定めに従い、切腹する覚悟だった。ところが、


「よいよい、春空に悪い虫がつかなくて、むしろ助かる」


 セシルの許しはあっさりと得られた。それどころか、


「ついでに春空に悪さする連中が出んようにしてくれるとありがたいな」


 こうして、美國は春空のあることないことをセシル公認で流す羽目になった。

 おかげで春空に危害を加えようという連中は出なくなったが……。

 春空とパーティを組むという美國の願望は叶えられなくなったのだった。

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