第26話 舞い降りる、ぱんぴ~
「《アース・ウォール》!」
いよいよ《インフェルノ・フラッシュ》が放たれようといた瞬間。
美國の眼前に、忽然とあのカボチャ頭の精霊が舞い降りた。
「――ふぇ?」
カボチャ頭の精霊は見る間にその数を増やして、組み体操で壁を作る。
直後、組み体操の壁は、本物の土の壁となって《インフェルノ・フラッシュ》を遮った。
「な、なんで……」
膝が砕け、この場にぺたんと腰が落ちる。と、そこに、
「じゅん、び、ばん、たん! ――で、す!」
カッパを着た小太りな女の子がのっしのっしとやってきた。
「君は――」
身を覚えがある。これまた春空と一緒にいた精霊だ。
ただ――、
カッパの前側を押し開き、シュミーズのお腹の部分をぱんぱんに膨らませていた。
前に見たときはぺたんこだったのに。
「おすそ、わ、け、――で、す!」
なにを? と美國が問う間でもなく、口から水をぶっかけられた。
疲労でほてった体には気持ちいいが、それが口から出たものと思うと微妙な心境だった。
「なにを――」
顔を拭う間に、土壁の向こうで閃光が収まるのが見えた。
魔王の《インフェルノ・フラッシュ》の照射が終わったのだ。
美國は奇跡を目の当たりにした気分だった。
あれだけの熱量、あれだけの規模の攻撃を受けながら、美國たちは誰ひとり欠けなかった。カボチャ頭の精霊が造り出した土壁がすべてを別次元のことのように押し止めていた。
「――反撃だ」
はっ、として美國は声を振り返り、ギョッとした。
小太りの少女の隣に、カボチャ頭の親玉が立っていたからだ。
誰? と問いかける言葉さえ失い、ただその顔を見る。乱雑に切り抜かれた目や口の奥に、見覚えのある輪郭があった。もう何年も肉にまみれて見えなかった輪郭が。
「いくぞ、にぶる、――全力だ!」
カボチャ頭の親玉は、小太りの女の子の頭に、撫でるように手を乗せる。
「はぃ、――でっ、す!」
元気な返事、と同時、カボチャ頭の親玉が左手に佩いたM/Mに紫電が舞った。
「《ウォーター・カッター》!」
小太りの女の子が嫌々するように、ぷぃっと首を左から右に回す。
その瞬間、魔王とその取り巻きを真一文字の空白が横切った。それは、魔王と取り巻きを題材にした絵に、消しゴムを真一文字に走らせたかのような光景だった。
「――ふぇ?」
美國の理解が追いつかないまま、取り巻きは火の粉なって散り、魔王は――流石、魔王だけあってしぶとく、炎の触手を伸ばして、真っ二つになった体を結び合わせようとした。
(失敗?)
美國の中で深い絶望が鎌首をもたげようとした、その瞬間。
女の子は、今度は右から左に首をぷいっとして、また左から右に首をぷいっとした。
「かっ、可愛い……」
戦場に似つかわしくない所作に美國は思わず黄色い声を上げてしまう。
だが、もたらす結果はぜんぜん可愛くなかった。
一文字の空白が、二度三度と魔王を行き交い、その巨体を6等分に切り裂いたのである。
魔王は、断絶した傷口から炎の触手が伸ばし、なおも再生を試みようとした。
魔王の中心に近いほどその試みは成功したが、中心から遠のくほどその試みは失敗に終わり、火の粉を散らして消えていく。そして、体の半分ほど失った瞬間、魔王の体に決定的な破滅が訪れた。再生に成功した部位ですら火の粉となって散っていったのだ。
「勝、た、――で、す!」
女の子が小さくガッツポースをする。
小太りだった女の子はいつの間に痩せっぽちに戻っていた。
おそらく体内に蓄えていた水で攻撃したのだろう、と美國は当たりをつけて少女を見守っていると、視線を感じたのか、美國のところに、とことこと駆け寄ってきた。
「おまえ、だい、じょうぶ、――で、す?」
「大丈夫よ」
獣人のご先祖様から受け継いだスキル《超回復》のおかげで怪我らしい怪我はない。ただ、《超回復》の反動で疲れてしまっただけだ。
「回復、してや、る、――で、す!」
おぇ~、と、とんでもなく可愛い少女の口から、とんでもなく汚い方法で、緑色の液体が溢れ出す。美國はそれを両手のひらを器にして受け止めた。
「飲むと、げん、き、いっぱい、――で、す!」
「あ、ありがとう……」
世の中にはこういうのをありがたがる人間もいると聞いたことのある美國だったが、生憎と美國当人のそのような趣味はなかった。
愛想笑いを浮かべ、どうしよう~、と持て余していると、女の子はとてとてと走り去る。女の子が走り去った方には彼がいた。女の子が足に抱きつき、きゃっきゃとじゃれつくのを適当にあしらいながら、こちらをじ~っと見つめてくる。
……何も言わない。
しゃべると正体がばれると思っているのだろう。もうバレバレなのに。
「美國よ」
と、そこにナビ妖精が飛んできた。聞き覚えのある声に、珠城家の教育の賜か、美國は居住まいを正し、正座で、しゃきんと背を伸ばす。
「あとのことは任せてよいな?」
「ははっ! ……ところで魔王討伐の功はどうしましょうか?」
「あやつがいらんというからお前が好きにせよ」
「かしこまりました。言い訳も適当に言い繕っておきます」
「うむ、ではな――」
「あの」
美國は飛び去ろうとするナビ妖精を呼び止めた。
「これ、どうしましょ?」
明らかに聞く相手を間違えている気がしないでもないが、両手のひらを器にした緑色の液体を差し出し、美國はお伺いを立ててみた。すると、
「飲まん方が良いぞ、毒だから」
「――は?」
にわかに信じられず、件の女の子を見ると、悔しそうに顔を背けるのが見えた。
心なしか「ちっ」という舌打ちが聞こえたような気さえした。
「なっ、なぜ? わたし、何もしてない……はず、ですよね?」
「強いて言うなら『女の勘』という奴ぢゃな」
しししっ、とナビ妖精……もとい、セシルちゃんは愉快に笑い、
「見事に魔性を帯びておる。これは将来が楽しみぢゃわい」
「は、はぁ……」
魔王サンライズウィルオウィプスの消滅に、灰色の世界に暗闇が戻ろうとしていた。
気のせいかもしれないが、なんだかそれが自分の前途のようで、毒を飲んだわけでもないのに、戦勝の喜びも、再会の喜びも消え失せ、ただただ嫌な気分になる美國だった。
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