第23話 火の玉洞窟
小高い丘から周りを見渡せば、灰色の地底世界が延々と続いている。
なぜ、太陽も月もない地下世界で、灰色が見えるのか。
なぜなら、魔王「サンライズ・ウィルオウィプス」の御体が、この地底世界の果ての果てで、仮初めの太陽となって輝いているからだ。
本来、地底ダンジョンは高レベル冒険者泣かせの高難易度に指定されるものだが、ここ『火の玉洞窟』が地底ダンジョンでありながら「E」の上位に甘んじるのは、このためだ。
地上の山間部と遜色ない、山あり谷ありの起伏に富む――真っ暗闇だったら絶望しかない――地底世界を余すことなく、魔王そのものが照らし出しているである。
そのため、魔王討伐なら、この地底世界を照らす光源を目指せば良いし、魔王と出会いたくなければ光源から逃げれば良い。地形は丸見えなので、どちらもさほど難しくはない。
「み~っけ、と……」
もちろん、クラスメイト捜しだって、お茶の子さいさいだ。
光源である魔王を目指して、足早に進む一団が見える。
先頭は、騎士鎧姿の美國、あとにイケメンズ、ファンの女子、後衛、最後にサポーター。地形が丸見えなので、山にも谷にも難渋することなく、平坦な地形をどんどん進んでいく。
「随分、急いておるな?」
「う~ん……」
人差し指と親指で丸を作り、覗いてみる。指の間に魔力でレンズを張った望遠鏡だ。
魔力のレンズ越しにサポーターのひとりが転けるのが見えた。他のサポーターが駆け寄り、助け起こすが、一団は彼らを置き去りにして行ってしまう。
「そういえば、タイムトライアルに挑戦するみたいなこと言ってたような……」
「なんとまあ、学生の身分で魔王に挑むだけでも相応な冒険だというのに……、けったいなことぢゃな。過ぎたる栄誉は身を滅ぼすぞことを、まだ知らんと見える」
「ぼくらも行こう。このままでは見失ってしまいそうだ」
小高い丘の向こうに一団が消えると、春空の場所からは見えなくなってしまった。
急いで丘を下り、後を追う。
クラスメイトに倣って平坦な道を進めば、追跡は簡単……なはずだった。
「お客さんぢゃ」
セシルちゃんの皮肉に足を止める。
丘を下り、少し開けた場所にでたばかりだった。
灰色の世界に、別の色彩がゆらゆらと蠢く火の玉となって、春空を取り囲んだ。
ここ『火の玉洞窟』の代名詞である人魂系の魔物だ。
赤、青、緑、黄色……、様々な色彩を持ち、それぞれに名前も種類も種族も違う。
ウィルオウィプス、ジャックオウィプス、ジーナオウィプス……。
炎の中に人や動物の顔を映すものいる。これらは死霊系だろうか。
「急いでいるときに……まあいい。ちょっと順番が前後しただけだ。――にぐる!」
「はい、――で、す!」
ふ~、ふ~、と喧嘩する猫みたいに鼻息を荒くして、にぶるが前に躍り出る。
春空はリュックから1リットルの水入りペットボトルを取り出すと、にぶるに投げ渡した。
にぶるはそれを抱き止めるようにして胸とお腹で危なげにキャッチする。
それから、キャップを開けようとして、しどろもどろ。不器用なのか、単に力が足りないのか,キャップが開けられない。片手では滑るばかり、ならば両手を使い、火起こしのように摺り合わせるが、これまた開かない。ついには噛みついて無理矢理開けようとした。
「わっ、悪かった悪かった」
べそをかき出したにぶるからペットボトルを取り上げ、キャップを開けてから、返す。
「あり、がと、――で、す!」
にぶるは返して貰ったペットボトルを煽り、一息に飲み……干そうとして、ぶげぇ~、と半分ほどを吐き出した。たちまち、にぶるの口元は自分のものともペットボトルのものともわからない液体で、べちょべちょになった。
「ぱんぴ~の例に漏れずポンコツぢゃな~」
呆れたようなセシルちゃんの声。
「が、がんばれ!」
もう1本のペットボトルの開けて手渡す。
「がんば、る、――で、す!」
今度はゆっくりと飲み干す。
1本と1本半の水を飲んで、にぶるのお腹はぽっこりと膨らむ。
「じゅん、び、かん、……うぷぅ、りょ、う、……で、す!」
意気込んでにぶるは言うが猶予はなさそうだ。
春空はさっさと水属性の魔法を試すことにした。
ちなみに水の精霊のにぶるが魔法を使うのにわざわざペットボトルで水を補給するのは、ひとえに、にぶるが下級の精霊で、自前で水分を生成できないからだ。
上位の水の精霊ともなれば、地下水脈を掘り起こしたり、大気中の水分を絞り出したりして、魔法の触媒に使うものだが、にぶるにはまだまだそれができないのである。
「《ウォーター・ガン》!」
魔法の発動――と、同時に、にぶるが口をラッパを吹くみたいに突き出して、ぷっ、ぷっ、ぷっ、と水の塊を射程圏内にいた何匹かの火の玉に向けて吐き出す。
「……」
直撃。そして、消滅、……いや、何匹かは火勢を弱めながらも耐えている。完全に消化するほどの水が足りなかったのだ。
「……これ、ゴブリン殺せる?」
愚問だとわかりつつも、春空は聞かずにはいられなかった。
ナビ妖精は外連味たっぷりに肩を竦めて、
「無理ぢゃろうな。相手が火属性だから効果あるが、それ以外の属性のものには水をぶっかけるだけの、ただの嫌がらせにしかならん」
「だよね……」
知ってた。でも、聞きたかったのだ。他の口から。
「あるじ~? だめ、で、す、……か?」
にぶるが不安げに聞いてくる。
「ダメじゃない! まだまだこれからさ! ――「《ウォーター・カッター》!」
自分に言い聞かせるように言って、春空は次の魔法を発動した。
今度の魔法もにぶるはラッパを吹くみたいに唇を突き出して、右から左に首をぷいっとした瞬間、正面にいた火の玉は一文字に切り裂かれ、大気に溶けるように消えた。
「「お?!」」
春空の声に、セシルちゃんの声がぴったりと重なる。
「今のは?」
「水ぢゃ。高圧力で吐き出された水が刃となって切り裂いたのぢ!」
「凄い! やっとまともに――あ、いや、とにかく凄い!」
やっとまともに魔法が出た、と言いかけた失言を呑み込み、春空は素直に喜ぶ。
と、功労者であるはずのにぶるが、なぜか泣きそうな顔でちょこちょこと近づいてきた。
「あるじ~、み、ず、なくな、た、――で、す!」
「え?」
見れば、ぽっこりだったにぶるのお腹は、もうすっかり、すっきりしていた。
「燃費悪っ!」
「あぅ~……」
春空の失言に、にぶるは口を尖らせ、自分の足下を睨むように見つめる。
春空の目線の高さからでは、にぶるがどんな顔をしているのかはわからなかったが、ぱんぴ~がにぶるの顔を覗き込んで、それから、にぶるの頭をぐしぐしとかき混ぜた。
「泣くななのだ」
「やく、たた、ず、――で、す!」
「なんてことないのだ。にぶるはきっと海をも凍らせる大精霊になるのに、こんなことでめそめそしている方がおかしいのだ」
な~? と春空に同意を求めるぱんぴ~。のっからない手はない。
「も、もちろんだ! こんなのは失敗でもなんでもないしな!」
「そうぢゃそうぢゃ」
春空とセシルちゃんに励まされ、にぶるは面を上げた。その顔はすっかり機嫌を取り戻し、やる気と自信に充ち満ちていた。春空は「ちょろいな」と思った。
「にぶる、がん、ば、る、――で、す!」
にぶるの決意表明に、春空、セシルちゃん、ぱんぴ~は万雷の拍手で応え……ようとした、そのときだった。
爆音が轟き、怒号と罵声と悲鳴が、この灰色の世界に木霊した。
「なんぢゃ?」
ただならぬ騒音に、ナビ妖精は高度を上げた。空から騒動の元を観測しようというのだろう。春空は恐々としながらそれを見守っていると、ややあってナビ妖精が戻ってきた。
「案の定ぢゃ」
「――案の定?」
「失敗ぢゃ。クラスメイト共が逃げ帰ってくるぞ」
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