第20話 魔性の水精霊
ギャルを警備担当の冒険者に預けて、家に帰り、セシルちゃんと夕飯の唐揚げを競うように平らげた後、いよいよお待ちかねの「精霊作成」という段になった。
二つの世界が重なった夜空には、ふたつの月がある。
ひとつは、地球に古来からあるお月様。
もうひとつは、異世界アリスティアの夜空に浮かぶ赤い月……赤月ミュルガルだ。
「今日は、赤月ミュルガルがよう輝いておるわ」
春空に続いてセシルちゃんが庭に出てきた。
「こんな日に生まれた精霊は魔性を帯びると言われておる。しししっ♪」
セシルちゃんは意地悪く笑い、夕飯時に春空から強奪した唐揚げを口に放り込む。
「え? じゃあ、辞めた方が良い?」
「ひゃまわんひゃまわん、たひゃのめいひんぢゃ」
唐揚げを美味そうに頬張りながら言ってくる。
「なんて?」
「ただの迷信だから気にするな、ですって」
エプロンで手を拭きながら庭に出てきた母親が通訳してくれた。
「本当に?」
「気に食わなかったら消せばよい」
平然とセシルちゃんは言った。消しゴムで文字を消すかのような気軽さだ。
「うわっ、ひどっ! ゲームのデータじゃあるまいし!」
「いいから、はよせよ、八時から『迷探偵ゴナン』を見るんぢゃから」
セシルちゃんにせっつかれるまま、春空はM/Mを起動させ、「精霊作成」のアプリを開く。精霊の属性を「水」に設定し、あとはお任せのまま「作成」ボタンをボチッと押す。
すると、春空の全身から水色の光の粒子が溢れ出した。
スライムをせっせと絞って集めた、水属性の微精霊だ。
水属性の微精霊群は生き物のように一所に集まると、見る間に人型を作る。
そして、人型の中心に集まるように収束を繰り返した。何度も、何度も。
やがて、収束は止み、人型に水色の光の粒子が満ちた――その瞬間。
光り輝く水色の人型は、爆ぜて、ご近所に一瞬の夜明けをもたらした。
「……」
例によって魔力障壁で対閃光防御していた春空は平然とその一部始終を見守っていた。
もちろん、春空よりも魔力に熟達している曾祖母も母親も閃光に目を焼かれることはない。
「……なぜ?」
しばらくの沈黙の後、春空が口にした素朴な疑問は、帰ってきた夜に溶けるように消えた。
春空の目の前には、ひとりの女の子が所在なさげに立っていた。
年格好は、ぱんぴ~と同じ小学校低学年くらいで、身長は100センチあるかないか。
シュミーズの上から半透明な雨合羽を着て、目深にフードを被り、傘を差して、長靴を履いている。雨も降っていないのに水滴に濡れているのは、彼女が水の精霊だからだろう。
春空が彼女と同じ視線まで膝を折ると、とてつもなく可愛い顔が驚いたように春空を見て、頬を赤くして目をそらした。まん丸と開かれた瞳は、綺麗なアクアマリン色だった。
「これはまた――」
「可愛い~♪」
セシルちゃんを押しのけ、母親が黄色い声を上げて、女の子に抱きつく。
女の子は嫌々して逃げ出そうとするが、その抵抗はあまりに無力だった。母親にされるがまま、頬ずりされたり、耳たぶを甘噛みされたり、首元にキスされたりと、散々だ。
「たすけ……て、くだ……さい」
やがて春空に助けを求めるような視線を寄せてくる。ぱんぴ~と似た顔立ちだが、ぱんぴ~とは違い、垂れ目がちな目元が、彼女の気弱な性分をうかがわせた。
「母さん――」
名前を呼ぼうとしたところで、まだ名前がないことに春空は気がついて、慌てて口を噤んだ。適当に呼んだ言葉がその子の名前になったら、またセシルちゃんに怒られてしまう。
春空は口を固く閉じたまま、セシルちゃんを見た。
セシルちゃんはいつの間にか分厚い図鑑のようなものを小脇に抱えていて「ほれ、退け退け」と母親を強引に退かすと、女の子の前で分厚い図鑑のようなものを開いた。
それから、こほぉん、と可愛らしく咳を払い、
「地球の古き神話に倣い『にぶる』と名付ける。嘘か誠か、地球の神代に存在したと言われる、霧と氷と闇の国の名から一部を抜粋した、由緒ある名ぢゃ」
「にぶ、る?」
にぶると名付けられた女の子は小動物のような可愛らしさで小首を傾げた、
「可愛くない名前ですね」
はっきり言ったのは母親だ。さきほど、にぶるを愛でていたのを邪魔された恨み辛みがあるのかもしれない。
「可愛い、可愛くない、ではないわい! 栄華を約束された由緒ある名ぢゃ、大海を凍らせるほどの大精霊になること間違いなしぢゃ! のぉ、春空もそう思うぢゃろ?」
「――え?」
突然、春空はお鉢を回せ去れて戸惑った。
正直、女の子につけるには華やかさのない名前だな~、とは思ってはいたが、正直に言うわけにはいかない。あの分厚図鑑のようなもので、せっかく考えてくれた名前なのだから。
「い、いいんじゃないかな?」
「ぢゃろ!」
えっへん、と胸を張るセシルちゃん。
「可愛くない、で~っす」
なおも食い下がる母親。
「君はそれでいいかい?」
春空は助けを求めるように、にぶるに問いかかた。
にぶるは「ん……」と小さく頷いた。
「にぶるは、にぶる、いい、……です。いつか大海を……凍らせる、ほどの大精霊……やり、ま、……すっ!」
にぶるの健気な宣言に、ふたりから「可愛い~」と黄色い声が飛ぶ。同時に、M/Mから『水属性、低級精霊個体Aの名称を『にぶる』で登録しました』という音声アナウンス。
「上手くいってよかった。これから、よろしくな」
「よろしく、――で、す!」
春空に、ぺこりとお辞儀するにぶる。と、顔を上げたところでにぶるの動きが止まる。春空越しに、見てはいけないものを見てしまったかのように、じ~っと一点を見つめている。
春空が何気なく振り返り、にぶるの視線を追ってみると……そこには、庭一番の大木に半身を隠して、これまた、じ~っとこちらを見つめるぱんぴ~の姿があった。
「ああ、忘れていた。紹介するよ、土の精霊のぱんぴ~だ」
こっちにくるように手招きするが、ぱんぴ~はいやいやと首を振って応じようとしない。
それどころか、いつものやんちゃっぷりはなりを潜め、人が……いや、精霊が変わったかのように物静かだった。借りてきた猫みたいだな、と春空は思った。それで、ぴんときた。
「まさかっ、人……いや、精霊見知りしてる?」
春空が当たりをつけると同時に、にぶるがちょこちょことぱんぴ~に駆け寄る。
ぱんぴ~は木を盾にして、先ほどとは反対側から顔を出してにぶるをかわそうとした。
「にぶ、る、――で、す!」
ぺこりと丁寧にお辞儀して、ご挨拶するにぶる。
「ぱ、ぱんぴ~、なのだ」
ぱんぴ~は宇宙人にでも出会ったかのようにギョッとして、半ばやけくそ気味に返す。
「ぱぱんぴ~、……さ、ん?」
「ぱんぴ~! なのだ! そんなヘンテコな名前じゃないのだ!」
怒りのあまり、ぶ~っとぱんぴ~の頬が膨らむ。
「あぅ、これ、は……しつれ、い、……ました!」
素直に謝られ、ぱんぴ~はキョトンとした。それから、にぶるをしげしげと見て、どうやら敵じゃないと感じ取ったのか、木の陰から完全に姿を現した。
「別に良いのだ」
「よかっ……た、――で、す!」
にぶるがにこりと笑うと、ぱんぴ~もにこりと笑った。
ちびっ子ふたりに、もはやそれ以上の挨拶は必要なかった。
「来るのだ! 新入りにぱんぴ~のお気に入りスポットを紹介してやるのだ!」
ぱんぴ~が、にぶるの手を取る。それから、にぶるを引っ張っていくのだが、にぶるが嬉々としてついていくので、その後ろ姿は仲のよい姉妹のようだった。
「にぶるはびちょびちょだな~」
「にぶるは、びちょ、びちょ、……で、す!」
ぱんぴ~とにぶる合作の巨大な水たまりに、帰宅した春空の父親が嵌まり、一騒動を起こしたのは、それから数時間後のことだった。
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