第16話 粘液洞窟
多種多様なスライムが生息するダンジョン、通称「粘液洞窟」は、学校から徒歩で10分ほど行ったところにある河川敷にある。正確には、河川に接続する排水路がそれだ。
洞窟と呼ばれているが、歴とした人工物で、大雨のときの増水対策用に設えられた下水道の一部が、魔物に占領され、ダンジョンと化したのである。
河川敷には、警備担当の冒険者の詰め所と休憩所が用意され――河川敷という場所柄、すぐに撤去できる大型のテントだが――冒険者はここで準備を終えてから、排水路に向かう。
「――あっ!」
道具も防具も完備し、あとは武器だけ、という段で、春空は思わず声を上げた。
「棍棒が……ない」
M/Mの画面には「No material」という表示。
意味は「棍棒? ないよ? 戻してないんじゃない?」。
なぜ? と春空は首を傾げ、はたと思い当たった。
前々日にゴブリンに襲われたとき、なくしてしまったのだ。
どんなに壊れていても、壊れた部品などをあまさずに回収すれば、新品同様に再構築されるものの、なくしてしまえば、それまでだ。再構築もままならない。
「どうした?」
セシルちゃんが話しかけてきた。
「じ、じつは――」
春空は言いかけて、自分が周りの連中の視線の中心にいることに気がついた。
もちろん、顔に包帯を巻いた怪しい奴が変な声を上げたからだ。
「ぶ、ぶきがない」
ナビ妖精を連れ立ち、春空はテントの隅っこに避難すると、恥じ入るようにそう告げた。
「武器がないぢゃとお?!」
「ちょ、声でかいって!」
セシルちゃんの声はテントの屋根を押し上げるかのようだった。
せっかくテントの隅っこに非難したのに、また視線が集まってくる。
「なんたるたわけっ! これから戦場に赴こうというのに、得物を忘れてくるとは!」
聞き耳を立てる必要もない、セシルちゃんの大声に、「ふっ」と鼻で笑われたり、「ぷっ」と失笑されたり、「ぶっ」と吹き出されたり、色んな反応が返ってくる。
コメディアンなら美味しい局面ではあるが、普通人である春空には、ただただ居心地が悪いだけだった。耳まで真っ赤になって、そっぽを向いて、ただただ耐える。
「なんだぁ、御珠~、武器を忘れてダンジョンにきたのかぁ~?」
そのとき、小馬鹿にしたような声が、春空の背中を小突いた。
振り返ると、顔の半分を青髭に覆われた角刈りの男性が、ニヤニヤ笑顔で立っていた。白Tシャツに、緑色のジャージが、鎧のような筋骨で、はち切れんばかりに盛り上げっている。
体育教師の小林だ。
ちなみに包帯を巻いた春空を認識できたのは、午前の授業に小林の授業があったからだ。
顔に包帯を巻いた春空を悼むでもなく、むしろ春空の様を「無能」であるが故の当然の結果として、クラス中の笑いものにしていた。まあ多くは機嫌取りの愛想笑いであったが。
とかく学校の外でまで会いたい人間ではない。
しかし、高等部の教員は基本的に午後、暇である。冒険実習で、授業ができないからだ。
そのため、生徒にスキル習得などの個別指導を頼まれた先生を除いては、多くの教員は冒険実習をサボる生徒がいないか、近場のダンジョンを見回っているのである。
運が悪いことに、春空は小林がいるタイミングでダンジョンに来てしまったのだ。
(うぐっ、青髭ゴリラめっ!)
内心で悪態をつくも愛想笑いは忘れない。
「こ、こんにちわ……」
笑顔が引きつる。幸い、包帯で見えないが。
「武器を忘れたのなら武器レンタルサービスがあるぞ?」
「え。ええ……」
そんなこと百も承知だ。だから、本当なら武器を忘れたことくらい、大して騒ぎ立てることではない。……なのに、と春空はこの恨み辛みを込めてナビ妖精を睨むが。
「まったくぅ~!」
ナビ妖精はナビ妖精で、頬をぱんぱんに膨らませて怒っていた。
武器のあるなしではなく、どうやら心構えの問題らしい。
「先生が良い武器を選んでやろう!」
拒否権もなく、隣のテント――警備担当の冒険者用のテントに連れて行かれる。
「あ~、武器をレンタルしたいのだが?」
小林が偉そうに言うと、パイプ椅子に座ってダベっていた冒険者三名は一斉に起立し、直立不動の体勢で、小林と向き合った。
なぜ、小林がこんなにも偉そうなのかと言えば、小林の冒険者ランクが「B」で、彼らの冒険者ランクが「C」だからだ。冒険者の階級特権は体育会系のそれに近いのである。
「す、スライム相手なら斬撃属性の剣が――」
「いや、この生徒は剣術スキルを習得していない。鈍器を見せてくれ」
小林が偉そうに言うのに、冒険者3人は顔を見合わせた。
「で、ですが、スライムに打撃は――」
「見せてくれ、と言っているのだが?」
「は、はい」
小林に気圧され、冒険者のひとりがレンタル武器のカタログを広げた。
「どれがいい?」
人好きのしない笑顔で小林が聞いてくる。
春空はさっさと小林とさよならしたい一心からカタログを適当に指差した。
「これがいいです」
「グレートクラブだと?」
ぷっ、と小林が吹き出す。
「筋肉自慢の重戦士だって両手でも持て余す……い、いや、わかった……他ならぬ生徒の希望だからな、では、グレートクラブを頼むよ、君」
笑い出したいのを堪えつつ、偉そうにそう言い放つ。
ややあって冒険者3人がかりで持ってきたのは、大木の根と枝葉を切り落とし、人が持ちやすいように柄の部分を削り出しただけの、無骨で、ただただ巨大な鈍器だった。
「たっ、試しに振ってみたらどうだ?」
小林がそう言うのに、冒険者3人は愛想笑い。
入場許可を取りに来た他の冒険者も遠巻きに眺めて薄ら笑いを浮かべている。
「お~、いいですね」
一方、意外にも春空は上機嫌だった。
なくした棍棒が大きくなって戻ってきたかのような武器を一目で気に入り、周りを一顧だにせずに手を伸ばす。そして、木そのものの感触を伝える柄をむんずと掴み、
「悪くないです」
ひょいとそれを持ち上げて見せた。
「凄く良いです」
ついでに片手でぶんぶんと振って見せる。
「これ、お借り、――ん?」
このときになって春空はようやく気づく。
またもや視線の中心にいながら、見守る誰もが笑顔を引きつらせていることに。
小林など、顔の穴という穴を半開きにしたまま、鼻水を垂れ流しながら固まっている。
「なんかやっちゃった?」
小首を傾げてナビ妖精に聞くと、ナビ妖精はない胸をえっへんと張った。
「いや、上出来ぢゃ。見事な吠え面ぢゃ」
「はぁ~?」
何のことやら身に覚えがないので春空は困惑するばかりだった。
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