第9話 どきどきの登校
素顔を隠すために顔に包帯を巻くという奇行はおおむね成功を収めた。
衆目を集めはしたものの、前日のように話しかけてくる人がいなかったからだ。
集まってくる視線が、好奇心と同情がほとんど、というのもポイントがでかい。
今までは軽蔑、嫌悪、不愉快を滲ませた敵意ある視線ばかりだったから、なんと居心地の良いことか。あまりの居心地の良さにスキップを踏みたくなったほどだ。
(――上手くいった!)
心の中で喝采を揚げ、心の中でサンバを踊った。
……学校の校門前につくまでは。
(しまっ、た……)
校門前では風紀委員の生徒と担当の教師が持ち物検査をしていた。
……なんて、うかつ!
素顔がバレなくても、これでは顔を包帯で隠した変質者ではないか。
というか、登校中、ずっとそうじゃないか! 今気づいたわ!
当然、風紀の番兵である風紀委員が快く校門を通してくれるはずがない。
一応、冒険者カードは防犯のため、持ち主以外は使えないことになっているので、身元を証明するには冒険者カードの情報を提示するだけでよいのだが、
(まっ、まずい……)
提示する情報が、これまた不味い。何が? と問われれば、いろいろ不味い。
まず種族名のハイエルフ。
今朝方バレたら不味いと母と曾祖母に念を押されたばかりだ。
次に増えすぎた能力値。
一桁で有名なぼくの能力値が、一晩で化物めいた数値にまで変容してしまったのだ。
否応なく注目を集め、「なんでこうなった?」と問い詰められること請け合いだ。
「どうした? 遅刻してしまうぞ?」
「あっ、セシルちゃん――」
ちょうど良いところにセシルちゃん――がハッキングしたナビ妖精が飛んできた。
……しかし、セシルちゃんなのかナビ妖精なのか紛らわしいな。
紛らわしいので、今度から「セシルちゃん妖精」と呼ぶことにしよう。
「かくかくしかじか」
事情を説明した。
「なるほど、それは不味いの」
「どうしよ?」
「なんくるないわい。冒険者カードに、ちょちょいと認識阻害魔法をかけてやろう」
「大丈夫かな?」
M/Mから冒険者カードを取り出し、セシルちゃん妖精に差し出す。
ちなみにM/Mは防犯のため、持ち主の冒険者カードを差し込むことで起動する仕組みだ。
「ちょちょいのちょ~い! ――ほれ、できたぞ!」
「本当に大丈夫?」
見た感じ、特に変わった様子はない。
「超高濃度魔力持ちでもなければ、看破はほぼ不可能ぢゃて、大丈夫ぢゃ」
「本当かな~」
何時までも校門前で立ち止まっているのもばつが悪いので、歩き出すことにした。
「良い眺めぢゃな」
ぼくの頭の上に腰を下ろすと、セシルちゃん妖精は鷹揚と足を組み、頬杖をつく。
同じものを見てもぼくが特に何かを思うことはない。普段通りの登校時の風景。
頭に獣の耳を生やした獣人の女子、頬に鱗を生やした魚人の男子、頭に角を生やた青白い顔の魔人の先生、反対に真っ赤な顔に下顎から牙を突き出した鬼人の体育教師……。
耳の尖ったエルフや、横にがっしりとした体型のドワーフ、背丈がみんなの半分ほどしかない小人に、背に翼を生やした天人、髪が葉っぱの樹人の姿も見受けられる。
「次元融合前の世界はちょっとした地獄だったが、これだけは確実に良い」
「何にが?」
「差別や偏見がなくなったことぢゃ」
「――そうなの?」
たっぷり差別や偏見に晒された記憶があるのだが。
「隣人の頭に獣の耳が生えていようと、尻に獣の尻尾をぶら下げていようと、誰も、何も言わん。誰もがそれを当たり前と感じ、当たり前に受け入れておる」
「前はそうじゃなかったと?」
「次元融合前は最悪ぢゃったな……、獣人だ、魚人だ、と分け隔て、純血ばかりが偉いという風潮があってな。差別や偏見でしょっちゅう戦争ばかりしておった」
「ふ~ん、変な世界~」
「良い反応だ、頭を撫でてやろう♪」
わしゃわしゃと大型犬を洗うみたいに頭を撫でられた。
「アリスティアの人間は亜人を毛嫌いしておったが、地球人はそうではなかった。何故かは知らんが、彼らは亜人を好意的に迎え入れ、結果として地球人と亜人の雑婚により多くの混血児が誕生することとなった。そして、混血児同士の結婚により、さらに種族の垣根は曖昧なものとなり、差別や偏見で他者を貶めることはなくなった」
「それは、……なんで?」
「考えてもみぃ、祖母がエルフなのに、お主はエルフという種族を差別したり、偏見を持つことができるか? エルフを貶めることは、自らのルーツを貶めることになるのだぞ?」
「なる――」
ほど~、と続く言葉を呑み込み、ぼくは足を止めた。
目の前には、虎耳を生やした女子生徒が、睨むようにぼくを見上げていた。
いつの間にか校門前、それも風紀委員の真ん前だった。
「身分証の提示をお願いします」
「あっ、はい」
ポケットに入れておいた冒険者カードを取り出し、虎耳の女子生徒に見せる。
「御珠春空さんですね。お顔はどうされました?」
「ちょっと冒険実習でヘマをしてしまいまして」
「なるほど、しかし、能力に見合わない冒険は身を滅ぼしますよ? 冒険者は冒険しないのが冒険者なんですから、酷い顔がもっと酷く……いえ、失礼。気をつけてください」
「あっ、は~い」
校門を通り抜け、学校の敷地内に入る。
ちゃんと認識阻害魔法が利いてくれたようだ。一安心。
「おいおい、春空、言われっぱなしぢゃぞ?」
「――はぃ?」
「ちょっと素顔を見せて惚れさせてこい! そして、滅茶苦茶にして、とことん惚れさせたら、こっぴどく振ってやれ! なんのなんの! あやつくらい、許――」
「ん?」
不意に、セシルちゃん妖精の動きが止まった。
「セシルちゃん?」
再起動すれば治るだろうか、とM/Mを弄ろうとした、そのとき。
「うわ~ん! セリアに怒られた~!」
ナビ妖精が唐突に動き出し、大粒の涙を流しながら抱きついてきた。
「うわっぷ!」ぼくはそれを顔面で受け止める羽目になった。
「今日のおやつ、抜きだって~! 鬼ぢゃ、あやつは~! 鬼ぢゃ~!」
「は、はぁ……」
向こうで何があったのか、想像に難くない。やれやれだ。
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